大木昌の雑記帳

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三笠宮発言の重み―南京虐殺「一人であっても虐殺」―

2016-11-04 22:34:17 | 社会
三笠宮発言の重み―南京虐殺「一人であっても虐殺」―

三笠宮崇仁親王(以下に三笠宮と略称)は、2016年10月27日、逝去されました。三笠宮は1915年(大正4年)12月2日生まれですから、
100歳の生涯ということになります。

三笠宮が生きた約1世紀の特に前半は、日本にとってもご本人にとっても激動の時代でした。

まず1936年には、青年将校が「昭和維新・尊王討奸」を合言葉に決起し、彼らが腐敗したと考える政財界の要人を襲撃し、高橋是清大
蔵大臣(当時)ほか数人を暗殺した、「二・二六事件」が起こりました。

これは、世界的な大不況下にあり、日本社会が暗く重苦しい世相の只中で起きた事件で、一層、不吉な未来を予感させました。

翌1937年には、「盧溝橋事件」をきっかけとして日中戦争が勃発し、続いて41年には太平洋戦争が始まりました。

三笠宮は、43年1月から44年1月まで中国派遣軍参謀として南京に就任しました。

戦後の1947年には東大文学部の研究生となり、歴史家として研究への道を歩み始めました。そして1954年には「日本オリエント学会」の
初代会長に就任します。

1964年には青山学院大学の講師(78年まで)、1985年には東京芸術大学客員教授(2003年まで)をとして教育にたずさわりました。

これらの経歴からみると、三笠宮は歴史家として学問と研究の道に専心してきたような印象をもちます。

しかし、三笠宮は皇族でありながら、戦時中も戦後にも、文筆や講演を通して日本が関わってきた戦争に批判的な発言をしています。

南京から帰任する直前の1941年1月、三笠宮は“若杉参謀”の名で将校らを前に講話をしています。

その講演では、軍紀の乱れや現地軍の独走を激しく指弾したという。この内容は戦後、著書、インタビューなどで明らかになります(注1)。

たとえば、1956年に上梓された『帝王と墓と民衆』(光文社)に付された「わが思い出の記」の中で、1年間ご赴任された南京で見聞した
日本軍の行状を痛烈に批判しています。
    
    一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いて
    しまった。内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか。

これほど鋭く、本質を突いた言葉で日本軍人と日本のアジアにおける戦争批判が、昭和天皇の弟という皇族から発せられたことは、驚く
べきことです。

三笠宮がこのような厳しい言葉で批判した背景には、彼が南京に赴任中に見聞した、もっと生々しい事実があったからです。

1984年に刊行された自叙伝『古代オリエント史と私』(学生社)で、「今もなお良心の苛責にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識し
ていなかったことです」と前置きしつつ、南京での実態をさらにしています。

    ある青年将校――私の陸士時代の同級生だったからショックも強かったのです――から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜
    を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの
    生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟か
    ら派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。「聖戦」のかげに、じつはこ
    んなことがあったのでした。

直接的な表現は避けていますが、『帝王と墓と民衆』のなかの「わが思い出の記」の中では、日本軍人による中国人女性の強姦について
も触れています。

日本軍の残虐行為に関連して、いわゆる「南京虐殺」についても、1993年1月に、『東方学』の座談会で、現地にいた軍人として、次のよう
に語っています。

    最近、南京虐殺が問題になっています。新聞をみていると、何万人殺したとか、いや殺してないとかいう話が載っていますけれども、
    これは数の問題ではなくて、1人であっても虐殺は虐殺なんです。(『東京新聞』2016年10月28日より引用)

また、94年には半世紀ぶりに公表された「支那事変に対する日本人としての内省」という文書にまとめられ、当時、月刊誌の取材で、次の
ように語っています。

    最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむ
    ごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません。(『THIS IS 読売』94年8月号)(注1)  

また、建国記念日の制定の動きがあった1957~58年頃、三笠宮は、これを神武天皇が即位したとされる2月11日の「紀元節」の復活とみて、
強く反対します。

    国が二月十一日を紀元節と決めたら、せっかく考古学者や歴史学者が命がけで積上げてきた日本古代の年代体系はどうなることで
    しょう。ほんとうに恐ろしいことだと思います。

つまり、歴史家としての三笠宮は、『古事記』や『日本書紀』の中で書かれている神武天皇は、歴史上の実在の人物であるかどうかは、歴史
学という科学の問題であり、科学的に検証されていない人物が即位した日を建国記念日とすることは間違いである、と言っているのです。

さらに、次の言葉は、実体験に基づいて現代日本の一部の人たちに対する強い批判と、日本の将来に危機感を表しています。現代の政治家
にも聞かせたい思慮に富んだ貴重な言葉です。

    偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……それは過去のことだと
    安心してはおれない。もうすでに、現実の問題として現われ始めているのではないか。紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にす
    ぎぬのではあるまいか。(注2)


この問題につい三笠宮はさらに、「紀元節についての私の信念」と題する論文(『文藝春秋』59年1月号)で、次のように危惧を述べています。

    日本人である限り、正しい日本の歴史を知ることを喜ばない人はないであろう。紀元節の問題は、すなわち日本の古代史の問題で
    ある。・・・(中略)昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、
    架空な歴史――それは華やかではあるが――を信じた人たちは、また勝算なき戦争――大義名分はりっぱであったが――を始め
    た人たちでもあったのである。もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人としてこれらのことには大いに責任がある。
    だからこそ、再び国民をあのような一大惨禍に陥れないように努めることこそ、生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者
    としての責務だと考えている。

以上は、三笠宮が残されたお言葉や発言の一部にすぎない。それでも、過去においても現在においても、非常に客観的・冷静な目で自分と
日本の過去を批判的に見つめ、自分に対しては厳しく反省しています。

同時に、過ちを犯した人々にたいしても手厳しく批判しています。それというのも、三笠宮は、日本の将来に対して、強い危機感をもっている
からです。

三笠宮が皇位継承四位という皇族でありながら、これまで見たような見解を堂々と発表できた一つの理由は、彼が、政治的な発言が許され
ない、法律的に制約の多い天皇ではなかったこと間違いない。

しかし、それだけでなく、三笠宮個人の正義感や人間性、そして罪意識から、やむにやまれぬ心情として社会的に発言せざるを得なかったの
だと思います。

三笠宮は、後年、ダンスのサークルで一般の人たちと交流を深めていましたが、一人で電車で会場まで行くことがありました。

ここには、自分が皇室の人間であることを特別視することなく、人生を一般の国民と同じ目線で歩もうとする気持ちがよく表れています。

また、三笠宮は依然、天皇といえども人間であるから、その基本的人権は守られるべきだし、生前退位は当然認められるべきである、とも語
っています。

三笠宮の南京虐殺に関連して述べた当時の軍人に対する批判、「1人であっても虐殺」という明快な解釈、紀元節復活の動きに対するに対す
る警戒感、そして、「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」という言葉は、今
の日本にとって、極めて重要なメッセージだと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。



(注1)これは、『デイリー新潮』(2015年12月8日)
 http://www.dailyshincho.jp/article/2015/12080705/?all=1 に再録されています(2016年10月30日閲覧)。
(注2) http://www.asyura2.com/14/senkyo161/msg/295.html (2016年10月30日閲覧);
    http://matome.naver.jp/odai/2144971574807356901(2016年10月30日閲覧) 


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