大木昌の雑記帳

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本の紹介 森永拓郎著『マイクロ農業のすすめ』(1)―トカイナカの農業は楽しい―

2021-04-05 15:03:47 | 食と農
本の紹介 森永拓郎著『マイクロ農業のすすめ』(1)
―トカイナカの農業は楽しい―

私は通算で10年以上、畑と、一時は稲作もしましたし、現在は100坪ほどの畑で農業をやって
いるので農業には強い関心があります。

そんな中で、たまたま森永卓郎さんがラジオで『マイクロ農業のすすめ』(農分協、2021年3月
15日)という本を出版したことを知り、すぐに買い求め一気に読んでしまいました。

森永卓郎さんは、テレビやラジオでおなじみの経済アナリストで、いまさら紹介するまでもあり
ませんが、一応、簡単に書いておきます。

森永さんは1957年生まれ、東京都の出身。東京大学経済学部を卒業後、日本専売公社、経済企画
庁、UFJ総合研究所を経て、現在、経済アナリストとして活躍中です。

TBS系の日曜日、朝の「がっちりマンデー」という番組に、ほぼ毎回、最近の「儲かりビジネス」
の紹介をしているので、見たことがある方も多いのではないでしょうか。

ところで、この本の全体は、大きく二つのテーマから成っています。一つは、今回紹介しようと
している、“農業は楽しい”という点が強調されます。

二つは、「マイクロ農業」がもつ社会的意義として、現在日本や世界で支配を強めつつあるグロ
ーバリズムと巨大農業資本が、農業のあり方を根本的に歪めてしまいつつあることの危険に対す
る警告と、それへの対抗行動という側面を議論しています。

以上の二つの主題は、章によって分かれているわけではなく、二つの主題が織り混ざって書かれ
ています。

さて、著者は埼玉県の所沢に近い町に住んでいますが、しばらく前まで群馬県昭和村に土地を借
りて農業を行っていましたが、昨年から家から歩いて3分のところに20坪ほどの畑を近所の農
家から借りて農業を実践しています。

森永さんは、所沢あたりを「トカイナカ」と呼んでいますが、これは、都会(この場合は東京)
と田舎(イナカ)の中間地点を指します。

つまり、都会から完全に切り離すことなく、しかも自然に触れ、農地も安く、しばしば無料で貸
してもらえる、絶好の立地だという。

というのも、最近の日本では農家の高齢化にともなり農業をやめた人が多く、かといって農業を
継ぎたいという後継ぎもなく、大量離農時代をむかえつつあります。

こうして耕作放棄された田畑は荒れ放題になっており、雑草だらけの荒れ地にしておくより、ち
ゃんと管理してくれるなら、無料で貸してもいいという農家も珍しくないようです。

しかも、耕作放棄された土地を抱えた市町村には、そのような農家を紹介してくれる部局(たと
えば農政課)や、農業委員会のような組織があります。

多くは、田畑を借りるだけではなく、家や土地を借りたり買ったりして、地方移住を考えている
人も増えてきているようです。

ただ、農地を買うには、各市町村で農業者として認定される必要があり、それには法律で定めら
れた条件を満たさなければなりません(自治体によって条件は異なりますが、例えば耕地面積が
一定以上であることなど)。

次に、「マイクロ農業」という言葉について、著者は独特の意味を込めています。

一般には「小規模農業」と表現できるのですが、森永さんは日本の状況を考えて、自家消費だけ
を目的とした家庭菜園よりは規模が少し大きく、しかし、プロの農家が経営する規模よりはずっ
と小規模な農業というほどの意味を込めています。

「マイクロ農業」の場合、自分の家族で食べる以上の収穫があり、運が良ければ地域の直売所や、
「道の駅」で売ることもできるし、さらには優れた野菜なら特定のレストランなどで使ってもら
える可能性もあります。

ただし、そのためには自分でも相当勉強したり、プロに手ほどきを受けたり、それなりの努力を
してセミプロくらいのノウハウは身に着ける必要はあります。

森永さんは東京へ“出稼ぎ”に出て現金収入を得て、家に帰っては畑で農作業にいそしんでいます。

昨年からのコロナ禍の影響もあって、リモートで仕事ができる人が自然の中で仕事をしつつ農業
もしてみたい人が増えてきているようです。

ただし、完全に都会を離れて田舎に引っ越すのは、自然の中で暮らすことは、一つの理想ですが、
それには相当の覚悟が必要だ、と森永さんはクギを刺しています。

本当の田舎の場合、現金収入の機会は少ない、共同体のさまざまな義務(たとえば水路の清掃な
ど)、濃密すぎる人間関係など)、医療や教育環境など、都会では当たり前に得られる便宜が得
られにくいこと、なども考えなければなりません。

この点、「トカイナカ」では都市機能へはせいぜい1時間半くらいでアクセス可能で、家賃は都
内の3分の1とかそれ以下で、食べ物などの物価は安い。隣人との人間関係もほどほどで、それ
でいて自然との距離も近いというメリットがあります。

森永さんの場合には、現金収入には問題ないので、彼の事例を一般化することはできません。彼
もそのことは十分承知していて、とりあえずは、特に退職して年金で最低の生活費が確定してい
る人たちにたいして「マイクロ農業」を推奨しています。

この場合、利益を出す必要もなければノルマもない、生産性は低いが、膨大なエネルギーを消費
するわけではない、などある意味で余裕のある人が対象になるかもしれません。

ただ、農業というのは、自然相手ですから思い通りにならないから楽しい。どんなに習熟しても
成功率はせいぜい3分の2くらいだそうです。

私は、苗を植えたのに、その後日照りが続いて苗が全滅してしまった苦い経験があります。

それでも、自分で作ったものを自分で収穫する喜びは、誰がどのようなどのような形で行っても、
間違いなく味わうことが出来る喜びです。

森永さんは経験から、農業には多くの楽しみや生きがいがあると感じています。いくつか本から
引用します。

たとえ一部でも、自分で作った食べ物を食べることは、それだけでも、たとえようもない喜びで
す。しかも、森永さんは農薬を一切使わないので、健康的な食べ物を食べられるというのはとて
も恵まれているし、ある意味で贅沢でもありま。

農業を始めて森永さんのライフスタイルも変わりました。コロナ禍のためリモート出演で済んで
しまうので、自宅での滞在時間が長くなり、その代わり毎朝3時間ほど農作業が増えました。

森永さんは農薬を使っていないので、2週間も放っておくと雑草が生い茂ってしまうので、手作
業で1本1本抜いてゆくのですが、完了までに3時間はかかるそうです。この作業はスクワット
をやっているのと同じで、ずいぶん鍛えらる言っています。

しかも、農作業中は「マスクしないでいい」「空気よし」「水おいしい」、そして「何より楽し
い!」感じています。

こうした感覚を彼は、「大地と向き合うよろこび」と表現しています。

また、近所の人とのコミュニケーションが増えたことも大きな収穫です。畑をいじっていると、
通りかかった近所の人が声をかけてくれる。

日々育ってゆくのを見るのは近所の人も楽しみのようで話がはずみます。また、近くに定年退
職後に森永さんと同じようにマイクロ農業をしている人が何人もいて、彼らとの交流もできた。

彼らは作物の育て方のアドバイスをくれたり、野菜や稲や苗を分けてくれたり、作物を「獲れ
すぎちゃったから」といって分けてくれることもある。

こうした交流や人間関係は、都会ではなかなかできないことで、現代では貴重な財産です。

農業は精神的にも大きな喜びを与えてくれる。それは「全部を自分で決められるということで
す」。

サラリーマン生活は、思い通りにならないことの連続で、多少理不尽と感じていても唯々諾々
と従うしかありません。だから「給料は我慢料」だと言われるのです。

しかし、農業の場合、全て自分の考え通りに事を選べるのです。

実際、私もこの春、今年は、畑のどこに何をいつ頃植えるのか、そして春・夏野菜が終わった
後で、秋から冬にかけて何を栽培しようか、など年間の計画をたてました。これは農業をおこ
なうことの楽しみであり、醍醐味でもあります。

今回は、森永さんが、本で書きたかったことのうち、個人としての楽しみや喜びに焦点を当て
ましたが、次回は、こうした「マイクロ農業」の社会的意義について、私自身の考えも含めて
紹介します。
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桜の花びらが散って道を桜色に化粧しています。                               桜に代わってヤマブキが一斉に咲き始めています。
    


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