小沢一郎裁判-何が裁かれているのか-
2012年4月26日、小沢一郎元民主党代表にたいする一審で無罪判決が出ました。これに対して、5月9日、検事役の3人の指定弁護士は
控訴しました。
この控訴に対して、小沢氏およびその弁護人が、とても理解に苦しむ、違和感を感じる、という声明を出しました。実をいうと、私もこの控訴に
は少なからず違和感をもちました。ただし、それは裁判という場での法律論議とは別な観点からの違和感です。
まず最初にはっきりとさせておかなければならないのは、小沢氏に関する容疑が何であるか、というもっとも基本的な点です。新聞などでは、
土地の購入に関するお金の出入りが政治資金報告書には、取引のあったその年ではなく、翌年に記載されていたこと、つまり不実記載、さらに
4億円の出所などについて繰り返し書いていますが、これらは正確ではありません。
これらのうち、秘書が不実記載を行ったことは既に立証されています。これは、法律の世界で言えば、形式犯で、通常は世間を騒がせるよう
な重大犯罪ではありません。
小沢氏への容疑は、これとは別に、小沢氏が、犯罪性を知りつつ、秘書と共謀して不実記載を行ったか否かという点です。
それにたいして1審では、指定弁護士の出した証拠と論理では共謀とまでは言えないという結論を出した、というのが今回までの事実経過です。
さて、私が今回の一連の経緯と報道を見ていて違和感を感じたのは、いくつかあります。断っておきますが、私は小沢氏の支持者でもないし、
弁護人でもありません。
また、4億円の出所とか、どの会社の誰それから、賄賂をいくらもらったとか(西松建設その他の企業との黒い噂を新聞は書き立ててい
ましたが、今は誰も問題にしていません。あれはいったい何だったのでしょうか)、といったことにも関心はありません。
私が不思議に思うのは、東京地検の特捜部が徹底的に調べ、時には嘘の供述調書まで作り上げて、(これこそ正真正銘の不実記載なのですが)
証拠固めをしたにも関わらず、二度とも起訴できなかった事実です。
地検の特捜部といえば警察官僚の中でもエリート中のエリートであり、徹底的な捜査を行うことでよく知られています。その特捜部が何とし
ても起訴して有罪にしようとして二度までも試みたにもかかわらず、二度とも起訴さえできなかったのです。
ほとんど有罪まちがいないかのようなマスコミの論調の中で、なぜ、検察にとってこういう惨めな結果に終わってしまったのでしょうか、
とても不思議です。
言い換えるとこれは、検察当局の捜査能力がここまで低下していたからなのか、最初から「筋の悪い」案件を、無理やり起訴しようとした
からなのかは分かりません。
どちらにしても我々一般市民にとっては不可解なことです。
なお、起訴に持ち込めなかった問題を不起訴のまま放棄することは、検察権威の失墜を意味します。
そこで登場したのが「無作為抽出」で選ばれた20才から69才までの「一般市民」から成る、検察審査会という制度です。
これは、検察が不起訴にしても、市民から要請があればもう一度審理のやり直しへの道を開く制度です。
小沢氏の事件では、検察審査会は二回行われ、二回とも「起訴相当」の結論が出されました。問題は、すでに随所で報道されたように、
その審査会のメンバー11人の年齢構成に関する謎です。
最初、構成員の平均年齢は30.90才と発表されまたが、低すぎるとの指摘にたいして二転三転したあげく、34.55才に落ち着き
ました。
この数字だけでも首をかしげたくなります。というのは、本当に無作為に抽出して平均年齢が34.55才になる確率はきわめて低い
からです。
さらに大きな謎は、第一回目と二回目の審査会メンバーの平均年齢が、小数点以下2位までまったく同じ、34.55才だったことです。
このように一致する確率は天文学的に低いのです。本当に,審査会の構成員は別の人だったのでしょうか?
そして,わずか11人の平均年齢を計算して最終的に数字を出すまでに10日もかかっているのはどういうわけでしょうか?
検察当局の説明では、偶然にこのように一致したということですが、これを信じている日本人はどれほどいるでしょうか?
こんな弁明は小学生にもつうじないでしょう。これは選出から審査結果までのプロセスが,全て密室で行われているからです。
検察審査会のメンバーとなった人たちの間には、一体感が生まれるらしく、後で同窓会的な集まりがもたれるようです。
最近、テレビで、以前、審査会メンバーであった人たちの同窓会パティーの様子が映しだれましたが、その映像を見る限り、
どうみても平均年齢34.55才よりは、ずっと上で40代から50代にしか見えませんでした。
構成メンバーとは別の問題も後に発覚しました。検察当局は検察審査会にそれまでの捜査資料なるものが提出しましたが、
小沢氏有罪をにおわす部分には下線が引かれていたこと、さらに深刻な問題は、その資料(具体的には供述調書など)には検察当局による
虚偽記載があることが分かったのです。
これは、現在の検察による捜査方法、とりわけ利益誘導や脅しによる供述調書の作成という点で大きな問題を抱えており、検察への信頼性
を根底からくつがえす事態です。
こうした不透明な問題をはらんだ裁判でしたが、4月26日には無罪判決が出たのです。この裁判の審理過程で、裁判長は検察の役割を
果たす3人の指定弁護士が提出した証拠のほとんどを不採用としました。
つまり、証拠の主要部分を成す、秘書の供述調書が虚偽記載だったのです。
小沢氏の裁判の出発点が、政治資金規制法にかかわる虚偽記載であったことを考えると、検察による調書そのものが虚偽記載であった、
というのはぞっとするようなブラックジョークです。
さすがに裁判所も、このような事態を放置すると、裁判制度そのものの信頼性が揺らぐことを危惧して、裁判の過程で検察の捜査方法を
批判したうえで、この問題を検討する法務委員会を発足させることを決めました。
さて、今回の裁判で何が裁かれているのかをもう一度考えてみたいと思います。というのも、これは小沢一郎という一人の政治家の問題
だけではないからです。
まだ記憶に新しい、大阪地検特捜部の前田惇彦検事による、フロッピー改ざん事件があり、それによって2009年、厚生労働省の村木
厚子局長が逮捕、拘留されました。
しかし翌年、この改ざんが発覚して村上氏は無罪となりました。このようなことは絶対に繰り返してはなりません。
今回の事件で裁かれているのは、第一に政治家の金銭問題です。この際、国会議員全員の政治資金報告書を精査すべきだと思います。
なぜなら、国会議員には多額の税金が与えられているからです。
次に、今回の裁判過程で明らかになったように、検察当局の捜査方法です。検察審査会の構成員の選出がまったくの秘密に行われ、
その議論の過程もいっさい記録に残さない、という秘密性は、裁判制度そのものに対する信頼性を大きく失わせます。
このような状況を考えると、裁判制度への信頼性を回復するには、捜査の透明性、とりわけ尋問の過程をビデオなどの映像で残す、
可視可することが、私たち国民の安全を確保するために何よりも大事だと思います。
しかし、検察当局が、何としても阻止したいのがこの可視化です。そういえば、先の衆議院選挙の際、小沢氏はこの可視化を強く主張
していたように記憶しています。
戦前の、拷問や脅迫による尋問のような捜査方法は絶対に繰り返してはならないし、証拠の大部分が不採用となる根拠で起訴することも
慎重でなければなりません。
この意味で、今回の一連の裁判手続きでは、検察そのものも社会的に裁かれている、ということを検察当局は深刻に受け止めて欲しいと思います。
そして,検察審査会の審議に影響を与えた文書が,たとえ捏造資料や不実記載であっても,「起訴相当」という検察審査会の判断は形式的には
有効であると判断した司法当局にも大いに問題はあります。この点では司法当局もやはり裁かれているといえるのではないでしょうか。
検察審査会の問題点については,以下のサイトを参照されたい。
http://wpb.shueisha.co.jp/2010/11/01/919/
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/10/post_677.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/7310.html
2012年4月26日、小沢一郎元民主党代表にたいする一審で無罪判決が出ました。これに対して、5月9日、検事役の3人の指定弁護士は
控訴しました。
この控訴に対して、小沢氏およびその弁護人が、とても理解に苦しむ、違和感を感じる、という声明を出しました。実をいうと、私もこの控訴に
は少なからず違和感をもちました。ただし、それは裁判という場での法律論議とは別な観点からの違和感です。
まず最初にはっきりとさせておかなければならないのは、小沢氏に関する容疑が何であるか、というもっとも基本的な点です。新聞などでは、
土地の購入に関するお金の出入りが政治資金報告書には、取引のあったその年ではなく、翌年に記載されていたこと、つまり不実記載、さらに
4億円の出所などについて繰り返し書いていますが、これらは正確ではありません。
これらのうち、秘書が不実記載を行ったことは既に立証されています。これは、法律の世界で言えば、形式犯で、通常は世間を騒がせるよう
な重大犯罪ではありません。
小沢氏への容疑は、これとは別に、小沢氏が、犯罪性を知りつつ、秘書と共謀して不実記載を行ったか否かという点です。
それにたいして1審では、指定弁護士の出した証拠と論理では共謀とまでは言えないという結論を出した、というのが今回までの事実経過です。
さて、私が今回の一連の経緯と報道を見ていて違和感を感じたのは、いくつかあります。断っておきますが、私は小沢氏の支持者でもないし、
弁護人でもありません。
また、4億円の出所とか、どの会社の誰それから、賄賂をいくらもらったとか(西松建設その他の企業との黒い噂を新聞は書き立ててい
ましたが、今は誰も問題にしていません。あれはいったい何だったのでしょうか)、といったことにも関心はありません。
私が不思議に思うのは、東京地検の特捜部が徹底的に調べ、時には嘘の供述調書まで作り上げて、(これこそ正真正銘の不実記載なのですが)
証拠固めをしたにも関わらず、二度とも起訴できなかった事実です。
地検の特捜部といえば警察官僚の中でもエリート中のエリートであり、徹底的な捜査を行うことでよく知られています。その特捜部が何とし
ても起訴して有罪にしようとして二度までも試みたにもかかわらず、二度とも起訴さえできなかったのです。
ほとんど有罪まちがいないかのようなマスコミの論調の中で、なぜ、検察にとってこういう惨めな結果に終わってしまったのでしょうか、
とても不思議です。
言い換えるとこれは、検察当局の捜査能力がここまで低下していたからなのか、最初から「筋の悪い」案件を、無理やり起訴しようとした
からなのかは分かりません。
どちらにしても我々一般市民にとっては不可解なことです。
なお、起訴に持ち込めなかった問題を不起訴のまま放棄することは、検察権威の失墜を意味します。
そこで登場したのが「無作為抽出」で選ばれた20才から69才までの「一般市民」から成る、検察審査会という制度です。
これは、検察が不起訴にしても、市民から要請があればもう一度審理のやり直しへの道を開く制度です。
小沢氏の事件では、検察審査会は二回行われ、二回とも「起訴相当」の結論が出されました。問題は、すでに随所で報道されたように、
その審査会のメンバー11人の年齢構成に関する謎です。
最初、構成員の平均年齢は30.90才と発表されまたが、低すぎるとの指摘にたいして二転三転したあげく、34.55才に落ち着き
ました。
この数字だけでも首をかしげたくなります。というのは、本当に無作為に抽出して平均年齢が34.55才になる確率はきわめて低い
からです。
さらに大きな謎は、第一回目と二回目の審査会メンバーの平均年齢が、小数点以下2位までまったく同じ、34.55才だったことです。
このように一致する確率は天文学的に低いのです。本当に,審査会の構成員は別の人だったのでしょうか?
そして,わずか11人の平均年齢を計算して最終的に数字を出すまでに10日もかかっているのはどういうわけでしょうか?
検察当局の説明では、偶然にこのように一致したということですが、これを信じている日本人はどれほどいるでしょうか?
こんな弁明は小学生にもつうじないでしょう。これは選出から審査結果までのプロセスが,全て密室で行われているからです。
検察審査会のメンバーとなった人たちの間には、一体感が生まれるらしく、後で同窓会的な集まりがもたれるようです。
最近、テレビで、以前、審査会メンバーであった人たちの同窓会パティーの様子が映しだれましたが、その映像を見る限り、
どうみても平均年齢34.55才よりは、ずっと上で40代から50代にしか見えませんでした。
構成メンバーとは別の問題も後に発覚しました。検察当局は検察審査会にそれまでの捜査資料なるものが提出しましたが、
小沢氏有罪をにおわす部分には下線が引かれていたこと、さらに深刻な問題は、その資料(具体的には供述調書など)には検察当局による
虚偽記載があることが分かったのです。
これは、現在の検察による捜査方法、とりわけ利益誘導や脅しによる供述調書の作成という点で大きな問題を抱えており、検察への信頼性
を根底からくつがえす事態です。
こうした不透明な問題をはらんだ裁判でしたが、4月26日には無罪判決が出たのです。この裁判の審理過程で、裁判長は検察の役割を
果たす3人の指定弁護士が提出した証拠のほとんどを不採用としました。
つまり、証拠の主要部分を成す、秘書の供述調書が虚偽記載だったのです。
小沢氏の裁判の出発点が、政治資金規制法にかかわる虚偽記載であったことを考えると、検察による調書そのものが虚偽記載であった、
というのはぞっとするようなブラックジョークです。
さすがに裁判所も、このような事態を放置すると、裁判制度そのものの信頼性が揺らぐことを危惧して、裁判の過程で検察の捜査方法を
批判したうえで、この問題を検討する法務委員会を発足させることを決めました。
さて、今回の裁判で何が裁かれているのかをもう一度考えてみたいと思います。というのも、これは小沢一郎という一人の政治家の問題
だけではないからです。
まだ記憶に新しい、大阪地検特捜部の前田惇彦検事による、フロッピー改ざん事件があり、それによって2009年、厚生労働省の村木
厚子局長が逮捕、拘留されました。
しかし翌年、この改ざんが発覚して村上氏は無罪となりました。このようなことは絶対に繰り返してはなりません。
今回の事件で裁かれているのは、第一に政治家の金銭問題です。この際、国会議員全員の政治資金報告書を精査すべきだと思います。
なぜなら、国会議員には多額の税金が与えられているからです。
次に、今回の裁判過程で明らかになったように、検察当局の捜査方法です。検察審査会の構成員の選出がまったくの秘密に行われ、
その議論の過程もいっさい記録に残さない、という秘密性は、裁判制度そのものに対する信頼性を大きく失わせます。
このような状況を考えると、裁判制度への信頼性を回復するには、捜査の透明性、とりわけ尋問の過程をビデオなどの映像で残す、
可視可することが、私たち国民の安全を確保するために何よりも大事だと思います。
しかし、検察当局が、何としても阻止したいのがこの可視化です。そういえば、先の衆議院選挙の際、小沢氏はこの可視化を強く主張
していたように記憶しています。
戦前の、拷問や脅迫による尋問のような捜査方法は絶対に繰り返してはならないし、証拠の大部分が不採用となる根拠で起訴することも
慎重でなければなりません。
この意味で、今回の一連の裁判手続きでは、検察そのものも社会的に裁かれている、ということを検察当局は深刻に受け止めて欲しいと思います。
そして,検察審査会の審議に影響を与えた文書が,たとえ捏造資料や不実記載であっても,「起訴相当」という検察審査会の判断は形式的には
有効であると判断した司法当局にも大いに問題はあります。この点では司法当局もやはり裁かれているといえるのではないでしょうか。
検察審査会の問題点については,以下のサイトを参照されたい。
http://wpb.shueisha.co.jp/2010/11/01/919/
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/10/post_677.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/7310.html