大木昌の雑記帳

政治 経済 社会 文化 健康と医療に関する雑記帳

沖縄と原発-ノドに刺さった二つの大きなトゲ-

2012-05-16 22:29:06 | 政治
沖縄と原発事故-ノドに刺さった二つの大きなトゲ- 


 本年5月15日で、沖縄返還40年を迎え、式典が開催されました。40年と一口にいっても、沖縄以外の地域に住む日本人にとっては、
それほどの実感はないかも知れません。

しかし、一度でも沖縄を訪れたことのある人なら、航空機が離発着時に発する爆音と、建物すれすれに飛ぶ航空機から受ける脅威に
1日中さらされていることの苦痛は実感できるはずです。
 
 しかし実際には、必ずしもこうした苦痛は日本人に等しく共有されてはいないようです。式典で仲井沖縄県知事は、東日本大地震や
福島第一原発事故と同様に沖縄の米軍基地の問題について沖縄県民とともに受け止めていただきたい、と述べました。

 沖縄は日本の敗戦直後からアメリカの施政権下に置かれました。当時は政治も行政もアメリカ政府の手にあり、経済の根幹である
貨幣も米ドルでした。

この状況は、実質的に沖縄が植民地支配下に置かれていたといえます。
 
 そして40年前、自民党の佐藤栄作首相の時、沖縄は名目的には「核抜き本土並み」の条件で日本に返還されました。

このとき、アメリカ政府との間で交わされた「沖縄返還協定」に密約があったこと、そしてこの事実は歴代の首相が報告を受けていながら、
伏せられてきたことが、国会の場でも明らかにされてきました。核兵器の問題も含めて、私たちに知らされない内容はまだまだ数多くあるか
もしれません。
 
 ところで、仲井知事が東日本大震災・福島の原発事故とを関連させて、沖縄の基地問題を国全体で考えてほしいと訴えたのは、本人が意図
していたか否かは分かりませんが、はからずも、現代の日本が抱える深刻な問題を端的に指摘しています。
 
 復帰40年というけれど、それ以前と本質的に何も変わっていないではないかという切実な声が沖縄県民から発せられました。

沖縄は戦後65年にもわたって、面積の20パーセントの土地を米軍基地にとられ、現在でも日本にある米軍専用施設の74パーセントを担し、
上に述べたさまざまな脅威、米兵による少女暴行事件に見られる犯罪や交通事故などに悩まされてきたのです。
 
 アメリカ政府は沖縄の核兵器の存在を公式には認めていませんが、客観的にはあると考えるべきでしょう。米軍基地があることによって、
むしろ日本が攻撃の対象になる危険性さえあるのです。

 問題は、こうした状態がこれから何年続くのかもまったく不透明であることです。

 仲井知事の発言は、日本政府も全国民が、沖縄のことを自分たちの問題として真剣には考えていない、「無関心」でいることにたいする痛烈
な批判でもあります。

 式典の日にインタビューに答えた沖縄の女性が、本土から来た観光客は、青い海と南国の雰囲気を味わって帰ってしまい、沖縄がこれまで
経験してきた苦痛を本当に理解はしてくれない、といった内容を訴えていました。やはり、現地の人と外部の人との間には、問題の受け止め
方に大きな「温度差」があるようです。
 
 沖縄が受けてきた苦痛について多くの日本人は新聞やテレビで繰り返し報道されているので、知識としてはよく知ってはいますが、苦痛を
分かち合うという意味での「絆」という言葉も「つながろう日本」という言葉もこれまでまったく聞かれません。

 一方、震災と津波の被害は、想像を絶する被害で、多くの人命、家屋、田畑が流されました。しかし、原発事故がもたらした放射能汚染は、
これらの人的・物的被害とは別の次元の問題を引き起こし続けています。放射能汚染のために避難させられた地域では、家も畑も見た目には
まったく以前と変わらないのに、そこに住むことができません。現在、故郷を離れて不自由な暮らしをしている人たちは大勢います。

 震災直後から、「絆」や「つながろう日本」といったかけ声が、マスメディアをつうじて盛んに流されました。そして、寄付やボランティア、
チャリティー・コンサートなどが盛んに行われました。

 しかしその当時でさえ、被災地とそれ以外の地域、東日本地域と西日本地域では、震災・原発事故にたいしてかなりの「温度差」がありました。
 
 問題の性質はことなりますが、将来の見通しがたたない状況で苦痛が続く点、そしてその苦痛にたいする日本人の間に「温度差」がある
という点で、沖縄問題と震災、とりわけ原発事故とには共通点があります。
 
 ところで、沖縄の基地問題と原発事故とは直接の関係はありませんが、歴史的にみると、この二つは相互に関連し合いながら、戦後の日本が
歩んできた道筋を象徴的に表しています。

 すなわち、日本政府は戦後一貫して、アメリカの軍事的な庇護のもとに経済発展に邁進する、という政策をとりつづけてきました。

その軍事的な庇護の象徴が沖縄の米軍基地で、経済発展主義の結末の象徴が原発です。

 沖縄問題からもう少しくわしくみてみましょう。沖縄の人たちは、返還後40年経っても状況は本質的にはまったく変わっていないと感じ
ています。それは、日本とアメリカの関係が変わっていないからです。
 
 日本政府はこれまで、アメリカに守ってもらうのだから、基地を提供し、「思いやり予算」という米軍へ経済的支援をするのは当然である
という説明の仕方をしてきました。
 
 アメリカの軍事基地を置いている国で、日本ほどあらゆる面でアメリカへの奉仕を熱心に行っている国はありません。

 しかし、その割には、日本ほどアメリカの言いなりになっている国もないでしょう。
 
 アメリカの軍事的な庇護のもとに進んで入ってきた日本は、当然のことながら、外交面でもアメリカに追随せざるを得ません。
 
 歴代の政府が「日米関係は日本外交の基軸である」と、一つ覚えに繰り返してきました。軍事・政治ばかりでなく、経済の面でも日本は
アメリカからの圧力を受け続けています。その反面、沖縄を本気で苦痛から解放しようとする努力を怠ってきたのです。

 それでは、経済発展の方はどうなったのでしょうか。日本は戦後めざましい経済復興と発展を経験してきました。それを支えてきた大きな
原動力は日本人の努力と、急速に増大するエネルギー需要をまかなうための火力発電と原子力発電でした。
 
 しかし、1973年の第一次石油危機いらい、日本はエネルギー源として脱石油の方向に舵を切り、その分、エネルギー源は原発に向
かったのです。

 こうして、高度経済成長のエネルギー需要をまかない、経済成長を謳歌してきました。

 しかし、その影で、放射性廃棄物の処理の問題も解決のめどはたっていないし、原発のもつ危険性には日増しに増大しているのに、
それらに目をつぶってきたのです。

 沖縄の基地問題と福島の原発事故(潜在的には原発がかかえる潜在的な危険性)は、問題の出方はちがいますが、現代日本のノドに
刺さった二つの大きなトゲです。

 しかも、大切な点は、軍事的なアメリカへの依存と飽くなき経済発展への欲望追求という構造は、日本社会の根っこに横たわる構造的
な問題である、という事実です。
 
 これらの問題を同時に解くことは非常に難しいとは思いますが、方向としては、まず本当の意味で日本が独立国としての主権を確立する
(アメリカへの従属から抜けだし)ことです。

 日本には日本の利害があり、これはアメリカや他の国とはちがって当然です。
 
 したがって、いかに日米同盟が基軸だといっても、日本の利害を損ねるようなことには抵抗し、日本の安全と利益を守るための自主
外交を追求すべきだと思います。しかし、戦後の日本の為政者も国民全体も、まるでマインド・コントロールされているかのように、
アメリカなしには日本は存続できないという脅迫観念にとらわれています。そから抜け出すことが第一歩です。
 次に、もうそろそろ、やみくもに経済的豊かさを追求することを見直すことだと思います。エネルギーを使いたい放題使い、物質的・
金銭的な欲望から自らを解放し、別の幸福の形を見つける努力が必要です。


沖縄返還にまつわる密約にかんしては、さしあたり以下のサイトを参照してください。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-141824-storytopic-11.html (琉球新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0207/TKY201202070462.html(朝日新聞)
http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/okinawa/(北海道新聞)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする