![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/38/c0ad1f6e7613c5678d9b1bf06864dc6c.jpg)
(信濃と美濃の国境の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/cb/b52403e0f9a461c26b1445b00a992faa.jpg)
(広重画浮世絵 木曽海道69次之内 「落合宿」)
(落合宿)
新茶屋の一里塚の脇に、国境の石碑が建っている。
今は馬籠峠の頂上が県境になっているが、2005年までは、
ここが美濃と信濃との国境であった印である。
新茶屋と言うのは、かって立場茶屋が別の場所にあり、
江戸時代の終り頃 現在の地に移ったことから、
新茶屋と呼ばれるようになったと言う。
この新茶屋の一里塚を過ぎると、すぐ右脇に入る石畳が始まり、
120m先で今の道路を横断し、渡った所に「中山道」の石の道標がある。
約2km続く石畳の道を「落合の石畳」と呼び、十曲峠ともいう。
道標に落合宿2kmとある。
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(落合の石畳が始まる)
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(落合まで2kmの案内)
「落合の石畳」は昭和39年(1964)に岐阜県の指定史跡になっており、
次のように説明がある。
(この石畳は、中山道の宿場落合宿と馬籠宿との間にある、
十曲峠の坂道を歩き易いよう石を敷き並べたものです。
江戸時代の主な街道には一里塚をつくり、並木を多く植え制度化し、
その保護にはたえず注意を払いましたが、
石畳については何も考えた様子がありません。
壊れたまま放置されることが多く、
ここの石畳も一時は荒れるに任せていましたが、
地元の人たちの勤労奉仕で原形に復元しました。
今往時の姿をとどめているのは、ここと東海道の箱根のふたつに過ぎず、
貴重な史跡です。
中山道が出来たのは、寛永年間ですが、
石畳が敷かれたのは、いつごろか不明です。
文久元年皇女和宮の通行と明治天皇行幸の時修理しましたが、
このとき石畳に砂をまいて馬がすべらないように
した事が記録に残っています。)(岐阜県教育委員会)とある。
石畳は120mに渡って修復されている。
これは2005年馬籠宿が町村合併で中津川市に編入されたことにより、
中山道の中津川宿、落合宿、馬篭宿の三宿が中津川市となり、
その内の馬籠宿の石畳120mが痛んでいて、
修復が必要になったのであろう。
岐阜県からの助成金で修復が行われたと、
説明板に書かれている。
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(落合の石畳に入る)
藤村が「夜明け前」で木曽路十一宿は
「東境の桜沢から西の十曲峠まで」と書いているが、
ここで修復を受けた約120m先までが馬籠宿であったのであろう。
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(落合の石畳に入ってすぐにある「中山道」の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/9e/a1801d176ec7962153c346c52193ec4d.jpg)
(右に曲がり)
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(左に曲がり)
その名の通り、石畳の道路は曲がりくねって登っていく。
途中、「なんじゃもんじゃの杜」があり、
落合の老人クラブが植え継いでいると言う。
説明板には、
(・本名をヒトツバタゴ(一つ葉たご)と言い、古世代の依存木である。
五月中旬ごろの開花で満開時は樹上が真っ白になり、
雪が積ったような景観を醸す。
この杜は昭和51年落合の老人クラブが植樹したものです。)
(落合まちづくり推進協議会)とある。
「なんじゃもんじゃ」の木の名については、
(昔、今の明治神宮外苑の道路沿いに、
この「なんじゃもんじゃ」があり、
名前がわからなかったので、
「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちに、
いつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまった。)と
いう嘘のような話。
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(なんじゃもんじゃの木)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4f/1449a358ce8b7704a52b596dc224250b.jpg)
(「ヒトツバタゴ」とある)
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(準備中の峠の茶屋)
その先に、峠の茶屋があるが、店は閉まっていて準備中になっている。
人の気配は無く、このさき夏を経て、
冬に差し掛かるまで営業するのであろうか?
うっそうとした木に囲まれて、湿気の多そうな道は、
歩く者にとって、石畳は良いようであるが、
凸凹が多く、苔むしていて滑りそうで、意外に歩き難い。
道路両端の石はあまり段差が無いので、道路の縁を選んで歩く。
およそ2kmの石畳が終わり、舗装道路に出る手前に
「岐阜県史跡 落合の石畳」の白い標柱がある。
江戸側には無かった案内であるが、
京都側から来る人への案内は充実しているように感じる。
石畳道路を出て舗装路を左折200mも歩くと左側に、
大きな枝垂れ桜のあるお寺の前に出る。
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(落合の石畳の標柱)
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(落合の石畳、京都側入口の案内)
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(道路上の「中山道」の案内標識)
瑠璃山医王寺という。
本堂入口に「狐こうやく」の古い木の看板が置いてある。
むかし、住職が傷ついた狐を助けたところ、そのお礼にと狐が教えた
「狐こうやく」が名物で、刀傷に特効が合ったという。
がまの油売りの話に良く似ている。
歩いている時見えた医王寺の枝垂れ桜について、
(この木は今は二代目であるが、俳諧の宗匠 嵩左坊が
・その日その日 風にふかせる 柳かな
と詠んだ県下随一といわれた名木であった。)(落合まちづくり推進協議会)
という。
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(左側に見える枝垂れ桜)
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(医王寺の参道)
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(本堂入口にある「狐こうやく」の看板)
しだれ桜を柳に見立てたのであろうか?
また、俳諧の「宗匠 嵩左坊」とは、「夜明け前」の翁塚のくだりで、
「崇佐坊」の名で出てくる美濃の俳人である。
俳諧の宗匠 嵩左坊については、前回(旧中山道番外記 26)で述べた。
でも、やはり歩いてみたい気がします。