中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

十曲峠の石畳(旧中山道を歩く 210)

2010年09月11日 10時10分05秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2


(信濃と美濃の国境の碑)


(広重画浮世絵 木曽海道69次之内 「落合宿」)


(落合宿)
新茶屋の一里塚の脇に、国境の石碑が建っている。
今は馬籠峠の頂上が県境になっているが、2005年までは、
ここが美濃と信濃との国境であった印である。
新茶屋と言うのは、かって立場茶屋が別の場所にあり、
江戸時代の終り頃 現在の地に移ったことから、
新茶屋と呼ばれるようになったと言う。

この新茶屋の一里塚を過ぎると、すぐ右脇に入る石畳が始まり、
120m先で今の道路を横断し、渡った所に「中山道」の石の道標がある。
約2km続く石畳の道を「落合の石畳」と呼び、十曲峠ともいう。
道標に落合宿2kmとある。


(落合の石畳が始まる)


(落合まで2kmの案内)

「落合の石畳」は昭和39年(1964)に岐阜県の指定史跡になっており、
次のように説明がある。
(この石畳は、中山道の宿場落合宿と馬籠宿との間にある、
十曲峠の坂道を歩き易いよう石を敷き並べたものです。
江戸時代の主な街道には一里塚をつくり、並木を多く植え制度化し、
その保護にはたえず注意を払いましたが、
石畳については何も考えた様子がありません。
壊れたまま放置されることが多く、
ここの石畳も一時は荒れるに任せていましたが、
地元の人たちの勤労奉仕で原形に復元しました。
今往時の姿をとどめているのは、ここと東海道の箱根のふたつに過ぎず、
貴重な史跡です。
中山道が出来たのは、寛永年間ですが、
石畳が敷かれたのは、いつごろか不明です。
文久元年皇女和宮の通行と明治天皇行幸の時修理しましたが、
このとき石畳に砂をまいて馬がすべらないように
した事が記録に残っています。)(岐阜県教育委員会)とある。

石畳は120mに渡って修復されている。
これは2005年馬籠宿が町村合併で中津川市に編入されたことにより、
中山道の中津川宿、落合宿、馬篭宿の三宿が中津川市となり、
その内の馬籠宿の石畳120mが痛んでいて、
修復が必要になったのであろう。
岐阜県からの助成金で修復が行われたと、
説明板に書かれている。


(落合の石畳に入る)

藤村が「夜明け前」で木曽路十一宿は
「東境の桜沢から西の十曲峠まで」と書いているが、
ここで修復を受けた約120m先までが馬籠宿であったのであろう。


(落合の石畳に入ってすぐにある「中山道」の碑)


(右に曲がり)

(左に曲がり)

その名の通り、石畳の道路は曲がりくねって登っていく。
途中、「なんじゃもんじゃの杜」があり、
落合の老人クラブが植え継いでいると言う。
説明板には、
(・本名をヒトツバタゴ(一つ葉たご)と言い、古世代の依存木である。
五月中旬ごろの開花で満開時は樹上が真っ白になり、
雪が積ったような景観を醸す。
この杜は昭和51年落合の老人クラブが植樹したものです。)
(落合まちづくり推進協議会)とある。
「なんじゃもんじゃ」の木の名については、
(昔、今の明治神宮外苑の道路沿いに、
この「なんじゃもんじゃ」があり、
名前がわからなかったので、
「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちに、
いつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまった。)と
いう嘘のような話。


(なんじゃもんじゃの木)


(「ヒトツバタゴ」とある)


(準備中の峠の茶屋)

その先に、峠の茶屋があるが、店は閉まっていて準備中になっている。
人の気配は無く、このさき夏を経て、
冬に差し掛かるまで営業するのであろうか?
うっそうとした木に囲まれて、湿気の多そうな道は、
歩く者にとって、石畳は良いようであるが、
凸凹が多く、苔むしていて滑りそうで、意外に歩き難い。
道路両端の石はあまり段差が無いので、道路の縁を選んで歩く。

およそ2kmの石畳が終わり、舗装道路に出る手前に
「岐阜県史跡 落合の石畳」の白い標柱がある。
江戸側には無かった案内であるが、
京都側から来る人への案内は充実しているように感じる。
石畳道路を出て舗装路を左折200mも歩くと左側に、
大きな枝垂れ桜のあるお寺の前に出る。


(落合の石畳の標柱)


(落合の石畳、京都側入口の案内)


(道路上の「中山道」の案内標識)

瑠璃山医王寺という。
本堂入口に「狐こうやく」の古い木の看板が置いてある。
むかし、住職が傷ついた狐を助けたところ、そのお礼にと狐が教えた
「狐こうやく」が名物で、刀傷に特効が合ったという。
がまの油売りの話に良く似ている。

歩いている時見えた医王寺の枝垂れ桜について、
(この木は今は二代目であるが、俳諧の宗匠 嵩左坊が

・その日その日 風にふかせる 柳かな

と詠んだ県下随一といわれた名木であった。)(落合まちづくり推進協議会)
という。


(左側に見える枝垂れ桜)


(医王寺の参道)


(本堂入口にある「狐こうやく」の看板)

しだれ桜を柳に見立てたのであろうか?

また、俳諧の「宗匠 嵩左坊」とは、「夜明け前」の翁塚のくだりで、
「崇佐坊」の名で出てくる美濃の俳人である。

俳諧の宗匠 嵩左坊については、前回(旧中山道番外記 26)で述べた。





最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
落合の石畳、散歩してみたいなあ~、と思ったけど... (salasala)
2010-09-12 20:56:44
落合の石畳、散歩してみたいなあ~、と思ったけど、やはり苔むしていたりして歩きにくいのですね。
でも、やはり歩いてみたい気がします。
返信する

コメントを投稿