中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

白旗塚史跡公園(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 20)

2013年10月06日 20時09分15秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(竹ノ塚駅西口)


(草加宿)
炎天寺をあとに、竹ノ塚駅に向う。
駅の反対側にまわり、線路沿いに北に向う。
線路沿いと書いたが、正確には線路に沿って道路があるわけでないから、
線路が見える程度で、つかず離れず北へ向うと、
右側に白旗塚古墳公園が見える。
夏の日差しを避けて、木陰で休んで居眠りの方もいらっしゃる。
お手洗いもあり、木陰で一休みも楽しそうだ。

(白旗塚史跡公園)

東京都教育委員会の説明では、
(白旗塚古墳は直径12m、高さ2,5mの円墳ですが、
未調査のため主体部の構造や古墳の年代はわかっていない。)と、
何も解からないが、古墳であることは確かだという、
平成23年3月の新しい説明板が建っている。
(古墳 白旗塚)

(白旗塚古墳)

公園の中央に、お濠に遮られた円形の古墳があり、
中央にお稲荷さんか、源氏の義家と頼義か、何か祀られている。
(あとで知ったことだがもともと祠があったらしい、
発掘未調査のため、詳しくは不明)
その向こうに古墳らしく、船、家、兵士、
とぼけた馬など、埴輪が置かれている。
また自然石に化粧盤を埋め込み、
新編武蔵風土記稿の一部抜粋を載せているので、紹介したい。

(古墳を思わせる埴輪1)

(古墳を思わせる埴輪2)


(「足立編抜粋」白旗塚は
伊興村東の方にあり。この塚あるをもって、
白旗耕地と字(あざな)せり。塚の除地22歩。
百姓持なり。上代八幡太郎義家 奥州征伐の時、
此所に旗をなびかし、軍勝利ありとて、此名を伝へし由。
元来社地にして祠もありしなれど、此塚に近寄るは咎ありとて、
村民畏れて近づかざるによりて、祠は廃絶に及べリ。
また塚の上に古松ありしが、後年立ち枯れて大風に吹き倒され、
根元より兵器共数多出たり。
時に村民来り見て、件の兵器の中より、
未だ鐡性を失わざる太刀を持ち帰りて、
家に蔵せしが、彼の祟りにやありけん。家挙りて大病をなやめり。
恐れて元の如く地下に埋め、しるしの松を植え継ぎし由。
今 塚上の両株是なりと云う。
今 土人この松を二本松と号す。太さ一囲い半許。)
とある。

(新編武蔵風土記稿の石碑)

白旗塚公園を出て、東武線のガードをくぐり、
旧日光街道へ向う。
信号をいくつか越えて左手に動物病院が見えたら、
その信号を左折すると、旧日光街道である。
道なりに進むと、左手に竹ノ塚小学校が見え、
その先で右にカーブする所にある案内標識どおりに進むと、
国道四号線との交叉点にでるが、ここを突き切ってその先で左折。
まもなく「けなが川」にさしかかる。
これが東京都と埼玉県の境で、ここから草加市になる。
橋を渡った先に埼玉県の案内表示板が出ている。
この当りから商店が活発であるように見える。
レストランがあり酒の安売り店があり、車も多くなりにぎやかだ。
草加に近づいたことが解かるせんべい屋さんの看板があちこちに見える。

(旧日光街道、左の動物病院が見える)

(標識どうり直進)

(標識どうり直進)

(道路を直進)

(4号線直進の案内)

(国道4号線交差点を直進)

(けなが川)

(川が境で向こうは埼玉県)

やがて右手に富士浅間神社が見えてくる。
ここが谷塚駅(やつかえき)入り口でさらに進むと、
Y字路になり真ん中に、
「今様 草加宿」の赤い石碑が見える。
ここを左折すると直ぐ信号角に地蔵堂が見え、草加市役所がある。
少し先に進むと、左手に草加駅のロータリーが見えてくる。
(富士浅間神社)

(Y字路を左へ)

(Y字路の真ん中に立っている案内標識)

(見えてきた地蔵堂?)

(地蔵堂の後ろが草加市役所)

(草加駅の案内)

(にぎやかな草加駅)


草加宿は、この後草加松原までを、「芭蕉の道を歩く」につながりますので、
下記を参照願います。
(草加~草加の千本松原「芭蕉の道を歩く 9~12」)
URL:(http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2009/05/post_994e.html)