中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

カプリ島とポンペイの遺跡(南イタリア紀行 最終章)

2006年10月01日 08時13分18秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(カプリ島1)
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(カプリ島2)

(カプリ島とポンペイの遺跡)
カプリ島もシチリアと同じでリゾートとして名高い。
中でも世界の話題になるのが、青の洞窟。
入り口が狭く天候が悪く波立つと
中へ入れない。洞窟の中へは小さな船ではいるのだ。
中へ入れないときは仕方ないとしても、入った後で波立ち、
出るに出られなくなるということはないのだろうか?
出口を舟で洞窟の外へ出ることができなくなり、
舟から飛び込んで一人ずつ洞窟の入り口をくぐって
外に出るなんてことはないのだろうか?
閉所恐怖症で水泳が全くダメの金槌のボクは、
舟に乗るのさえ怖いのに、
洞窟に閉じ込められるなんて、気が狂ってしまう。
第一、海の中の洞窟でなくても、
陸上の洞窟さえ恐怖感があり、
ガイドさんのすぐ後ろに陣取って、
いの一番に逃げ出せる体制でないと
洞窟にさえ入らないボクである。

しかし、ボクたちが訪ねた日は、
幸いというか残念ながらといおうか、
雨が降り波立っていたので、青の洞窟は中止になった。
ほかのツアー客には言えないが、
心の中で「バンザーイ」を三唱した。
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(ポンペイから見たベスピオ山)
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(ポンペイの遺跡)

紀元79年に起きたベスビオ山の大噴火によって、
火山灰が6メートルも降り積もり、ポンペイの街は埋れ、
家畜や人達は、逃げる途中に死んでいったとされる。
三日間の噴火が、大量の火山灰を、
雪が積もるように積もらせたと言う。

熱い灰の中に閉じ込められた人達は灰の中で燃え、
灰の中に骨だけが残った。
熱で分解して無くなった肉体の跡が灰の中に残り、
空洞が出来、後世の人が、
その地中の空洞に石膏を流し込み当時の人、物、
家畜を再現しながら発掘は行われた。
火山の噴火による犠牲者達の石膏像が展示されている。
子供を抱えたままかがんでいる婦人、
ほとんどの人が上から降り積もる灰を
避けた形でうつ伏せになっている。
口をあいて苦しみにゆがんだ顔の人、
一方で服装から奴隷と思われる人の像、
ロダンの「考える人」よろしくうずくまっている人、
などなど。
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(人)
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(考える人?)
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(うつぶせの人)
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(苦悩の顔)
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(苦しみを感じる顔)
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(腹の帯が奴隷を現す)

建造物では
・水道跡
・浴場あと
・売春やどの跡
・道路の飛び石
・夜間の誘導用の白大理石の埋め込み
・パン屋の粉挽き臼や、かまど跡 etc.
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(道路の白い大理石は夜の道路の目印)
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(飛び石、雨の日の水を避けた)
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(彫刻1)
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(彫刻2)
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(パン屋の挽き臼)
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(壁の彫像1)
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(壁の彫像2)
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(売春やどの壁画、以前は観覧できたが今は観ることが出来ない。ポンペイの雑誌より)
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(壁画2何の絵か想像してください)
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(壁画3)
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(壁画4)
壁に描かれたモザイクやフレスコ画、沢山の彫刻、
観るものは沢山あり、
詳しい説明を受けながらの見学は二~三日掛かりそうだ。

今回で二回目のポンペイ見学は、
10年前と違って驚いたり感動したりということは無く、
比較的落ち着いて、冷静に見学できた。

日本で言えば、原爆投下跡の焼け野原、
そこにうずくまる人の姿、
御影石に残された人の影などを思い出させる。
もし地獄絵があれば、これこそ地獄絵、
を思い出させるポンペイの遺跡の数々である。

自然災害は止むを得ないが、それでも予防する手立てを考え、
被害を最小限にとどめようとする人類の英知は歓迎するが、
原爆などの人的災害は二度とあってはならない。

宗教の違いか、民族を、国を、守るためか、
はたまた一握りの個人の身を守るためなのか良く解らないが、
核を保有し、いつかこれを利用して殺しあう事態にならないよう、
お互い気をつけなければならない。
また、国を指導する人が、自らの利権を守るために、
国民を煽って間違った方向に導こうとするのを
手を拱いて見ていてはならない。
断固、阻止しなければならない。

人はいつも誰もが平和を願っているのであり、
その平和を勝ち取るために、命を投げ出し、
殺しあう戦争に突入するのは間違っていることを
みんなで自覚すべきである。

ポンペイの苦悩を表す石膏像を見て、
平和の尊さを知りたいものです。

そんなことを考えながら、南イタリアの旅を終えました。
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ナポリを観ずして「結構」と言うなかれ(南イタリア紀行8)

2006年09月26日 08時55分10秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(カメオ)

(ナポリを観ずして「結構」と言うなかれ)

ナポリと名前を聞いてすぐ思い出すのが、
日本製パスタのナポリタン。
ナポリについて少し知識ある人は、ピザのマルゲリータ。
このマルゲリータはボクたち夫婦の大好物である。
イタリアンレストランに入ると、
1) まず野菜サラダ、これは苦味が少しあるルッコラが
           入っていないといけない。
2) 次がピザのマルゲリータ、モッツアレチーズとトマトとバジルが
   程よく混ざっているのが美味しい。
3) つぎが茄子とベーコンのトマトソースのパスタ、
           すこしピリ辛が良い。
4) 最後にエスプレッソのコーヒー、砂糖とミルクを入れる。

コーヒーを除き、一人前を二人でシェアするのが、
われわれにはほど良い量である。
十年ほど前にイタリア北部を訪ねたときは、
ガイドさんに聞いたら、ソフトドリンク、
次にパスタ、サラダ、これは前菜で、
メインは肉か魚、
デザートには甘~いケーキにコーヒーが普通と言われ、
その通りに注文したら
一人前分余ってしまった苦い経験がある。
挙句の果てにレストランのオーナーシェフが日本人びいきで、
頼んでもいないのにアルコールは無料にしてくれて飲み放題。
ウエイターががんがん注いでくる。
これには参った。
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(ピッツア マルゲリータ)
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(野菜サラダ)
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(デザートのケーキ)

外国で困るのは食事の量の問題で、
外国人、特に白人系の国では、
およそ日本人の三倍くらいの量を食べるようだ。

何回もその量で困った経験がある。
カナダ、アメリカ、オーストラリア、
ここイタリアでも体験したが、おおむね一人前分余ってしまう。
ホテルへ帰って、食べるわけでもないのに、
余り物を持ち帰る英語を使いたいばっかりに、
格好つけて、ドギイバッグ(doggie bag)に入れてもらった。

今になっても「食べ物の量はどの位?
ボクには多すぎるのではないか」という
英語が思い当たらない。

信州へ旅した時、蕎麦屋さんに入って、
「ここの蕎麦の大盛りはどの位の量ですか?」
店員さんが答えて言う
「大盛りは1キロあります」
なぜこんなことを聞いたかというと、
メニュウに(中盛り)があったからだ。
このように答えてくれれば、どんなにそば好きのボクでも
(大盛り)を食べきれないことぐらい解る。
こんな会話ができる英語を是非教えて欲しいものである。
(どなたか適切な英語を教えていただけませんでしょうか?)
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(ポンペイから見たベスピオ山)

「ナポリを観ずに死ぬな!」
「ナポリを見ないで結構と言うなかれ!」で代表されるナポリは、
ベスビオ山を含む海岸線の市街地の美しさを言うのであろうが、
ボクには特に感慨はなかった。

ナポリには二回目の訪問だったからであろうか。
どちらかと言うと
スペインのコスタ・デル・ソルの白い街ミハスや
イタリアにアルベロベッロ、日光、
トルコのカッパドキアのほうがはるかに感動した。

それより感動するものがナポリにはある。
それはベスビオ山の噴火によって埋まったポンペイの街である。
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(ポンペイの遺跡)



洞窟住居とマザコンとトイレチップ(南イタリア紀行7)

2006年09月21日 11時31分36秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(世界遺産:マテーラの洞窟住居)

(マテーラの洞窟住居とマザコンのイタリア男性とトイレチップ)

苦労して授かった子供の、
健やかな成長を願って明治神宮にお宮参りをした。
抱えている子供の重みもあり、
一休みしたベンチには、
目の前にまもなく花開く菖蒲の池があり、
木陰で涼しい風が吹いていた。
隣のベンチでは外国人女性が日陰で
せっせと編み物をしている。
そのお子さんであろう男の子が二人、
道の砂利をすくっては池に投げていた。

参詣を終わった一団が、
子供たちの近くを通りかかったとき、
母親の女性が静かに何か一言、
子供たちに向かって言うと、
楽しそうに砂利を池に投げていた子供たちはさっと遊びをやめた。
回りの人に迷惑になる砂利投げの遊びをやめさせたのである。

この様子をカミさんと眺めていたボクは、
「子供をあんなふうに躾けようね!」と
カミサンに話したことを覚えている。
がなりたてて「やめなさい!」ではなく
「迷惑がかかりますよ」と静かにいえば、
やめる子供にしたいと思ったのである。

前置きがやや長くなった。イタリア語に
「マンマ ミーア!(Mamma Mia!)」と言う言葉がある。
これは英語の
「オーマイ ガッド(Oh my God!)」と
同じ意味を持つ。
キリスト教が多数の英語圏では、
神は絶対の存在で、
神様でもどうしようもないこと起こると発せられる言葉です。
イタリア語圏ではおかあさんが絶対らしく、
神様の代わりに
「Mamma Mia!」と
お母さんが出てくる。

どうしようもないトンデモもないことが起きて、
「神様!どうしましよう!」→{神様もどうしようもない}→
「なんてこった!」となる。

「Oh My God!」=「Mamma Mia」で、

「かあちゃん!なんとかして」→「かあちゃんもどうしようもない」→
「なんてこった!」になる。

イタリアでは神様とかあちゃんが同格なのだ。
考えてみれば日本も同じかも。あるいは全世界同じかもしれない。

第二次世界大戦の特攻隊で戦死する時、
「天皇陛下ばんざーい」といったというが、
あれは作り話で本当のところは
「かあちゃん!」「おかあさん!」「おっかさーん」と
言ったというのが正しいというのである。

「神様!仏様! おっかさん! てえへんだ!」となるのである。
母がもつ子供への愛情は、
子供が一番良く知っているし、
子供のためなら、火の中水の中を厭わないからであろう。
子供への愛情は、
まさに山よりも高く、海よりも深い。

話がそれてしまったが、
イタリア男性はマザコンが多く、
そのため「Oh My God!」でなく
「Mamma Mia!」に
なっているというのだ。

(本当のところは、どうも解からないが)
結婚してからでも、何かことがあると、
カミサンに相談するのではなく、
まず、お母さんに相談するという。
イタリア男性のマザコン振りがうかがえる。

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(マテーラの洞窟住居)
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(住居の中の道路)
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(煙突1)
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(煙突2)
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(教会も見える)

さて、トンガリ帽子のアルベロベッロを後にして、
観光バスは
70キロ北上して、世界遺産 マテーラの洞窟住居へ向かう。
大理石でできた大きな山をくりぬいて、
横穴式洞窟を掘り住居にした。
何階建てになっているのかわからないし、
住居は山すそから順に出来たのか
山頂が最初だったのかわからないが、
非常に複雑にビルディングのようになっている。
壁一つ隔てて隣があり、屋上に家があるかと思えば、
屋上は道路になっている箇所もある。
道路の脇には階下の煙突が何本も出ていたりする。
そしてその集合体が山になっており、
屋上の通路は迷路のように
複雑であるのに車も通ることが出来る。
当然、その山の住居の中にはお店もあり、
教会もある。

住居は洞窟であるから狭いし、
日の光も無いように思われるが、
採光も考えられており、下水も設置されている。
狭い中に家畜も飼っており、
子供たちはタンスの引き出しを
ベッド代わりにするなど狭い部屋を工夫して使用したようだ。
まさしく世界遺産にふさわしい不思議な光景だ。
言葉で説明するより写真をご覧いただくほうが手っ取り早い。
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(明り取り窓)
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(ベッド下の子供用ベッド)
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(タンスの最下段の引き出しが子供用のもう一つのベッド)
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(家畜はロバ鶏などが同じ家の中にいた)
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(下水溝)
洞窟住居を後にナポリに向かう。
その前に「バール(Bar)」に寄って
トイレ休憩だ。
もちろんトイレチップが取られる。

バールは日本で言えば喫茶店のようなもので、
軽い食事も出来れば、
お茶でも良いし、夕方には一杯やる人たちで溢れる。
そこのトイレを借りるのであるが、
コーヒー一杯飲めばトイレ代はタダ。
つまり、コーヒーやケーキを食べたお客さんが
トイレを使うのは無料と言うことだ。
トイレだけのお客様にはトイレチップをいただく。
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(バールの様子1)
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(バールの様子2)
日本人観光客はこのトイレチップに
違和感を持っている人が多い。
日本にはトイレチップの習慣がないことにも一因はある。
しかし、理屈を言わしてもらえば、
品物を出されて代金を出すというのは理解できる。
トイレの場合は、物を出しているのはわれわれであり、
出したものに対する代価は
お店側が払うのが当たり前なのだ。

少なくとも肥料にはなるからだ。
が、お店側にも理屈はある。
トイレにも経費が掛かっているからだ。
電気代、水道代、汚せば清掃代、使用する紙代、
ドアー開閉による磨耗を考えれば、
いつか部品交換が必要、人件費、などなど。
日本では、喫茶店の商品にその費用は転化されているだけのことである。
一杯350円(180円もあるが)のコーヒーも
原価はせいぜい10円くらいのものだ。
それから比べれば、
イタリアのコーヒー一杯1ユーロ(150円)
のほうがよほど良心的といえる。
その代わりトイレだけの場合は料金をいただく。

それでも貧乏人のボクたち夫婦は一杯のコーヒーで、
二人分の用を足してきたから、

しめしめと言うところか・・・



トンガリ帽子の三角屋根、アルベロベッロ(南イタリア紀行 6)

2006年09月13日 08時22分13秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(アルベロベッロ)

(トンガリ帽子の三角屋根、アルベロベッロ)

シチリアのリゾート中のリゾート(タオルミーナ)を出て、
メッシーナからフェリーに乗りメッシ―ナ海峡を渡る。
バスごと船に乗り対岸のヴィラ・サンジョバンニに到着。
わずか数十分の船旅であった。

気が付くともうお昼で、レストランに寄り昼食。
(タグリオーニ・パスタ『どんなパスタだったか忘れてしまった』と
シーフード・フリット『魚介類のフライ』を戴く。)

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(タグリオーニ・パスタ)
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(シーフード・フリット)

イタリア半島の長靴の足の裏を海岸線に沿って北上する。
サッカー日本代表の中村俊輔が移籍したレッジーナが本拠にしている
レッジ・ディ・カラブリア(地名)を通過していく。
すこぶる田舎町に住まいを決めた中村俊輔は、
もくもくとトレーニングに励み、
数少ない街の商店のおばちゃんからも
気さくに声をかけられる存在であったという。
この緑一杯の丘陵地帯で、中村俊輔のランニング姿を想像すると、
さもありなんと納得できる彼の人柄を感じさせる――そんな
ひなびた地域をバスで通過する。

長い道のり、南イタリアの風景を楽しみながらバスに揺られ、
夕刻になって、
トンガリ帽子の三角屋根で有名なアルベロベッロへ到着。
ホテルから、三角屋根のお伽の国まで散歩する。
ぽつりぽつりと降り出した雨が、本格的になってきたが、
明日朝のうちにおとぎ話の街を見学するので、
場所だけを確かめた。
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(夜のトンガリ帽子の屋根)
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(お伽の国の中)
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(トンガリ帽子三個で一軒)
街の一角がなるほどおとぎ話の中に
入り込んだのかと錯覚するような家が並んでいる。
三角帽子は三つで一軒。
土産物屋さんがあって、中を見学させてもらうと、
中は結構広くできている。
階段を登ると屋上にも出られ、周りの三角屋根が見渡せる。
建物の屋根も壁も床も全てが大理石で出来ている。

ホテルのディナーにワインを頼んだら、すこぶる美味しかった。
話によれば
イタリアのワインが作られたのはこの地方が最初とのこと。
だから美味しいワインが出来るらしい。
お土産にこのワインをと思い
のちほどラベルを調べておこうと考えたが、
美味しいワインを飲みすぎて
すっかり忘れて眠ってしまった。

翌朝、食事前に昨夜訪れたトンガリ帽子の家並みを見学に行く。
入り口にはドアがない家もあり、
暖簾というかカーテンが掛かっており、
歩く人たちの声が中に響くので
静かに散歩して欲しいと注意があったが、
地域の生活を乱すような
大声は避けたい気持ちになるほど静かだ。

歩いているとカーテンが押しのけられ、深い皺を刻んだ、
これぞイタリアンを思わせる老婆の顔が出てきて、
目が合うや否や、
「ボン ジョルノ」と笑顔で声をかけられた。
外国人は知らない人とでも目が合うと声をかけるー
挨拶をする習慣があるのだろうか?
こんな時ボクはいつも日本語で応える。
「おはようございます」
老婆のニコッとした笑顔がカーテンの中に隠れた。

(しまった!旅の記念に写真を一枚!と話せばよかった)
と思ったが後の祭りである。
旅に出ると時々こんな場面に出会うが、
一度としてうまく行ったためしはない。
追いかけてお願いするとなにやら
「造ったすまし顔」に」なってしまうからだ。

それにしても目が合うと、間髪を入れず挨拶をするというのは、
生まれながらに身につけたものに違いない。

紳士、淑女たる第一は微笑を絶やさない、
第二に挨拶ができる、である。
彼らはこの原則を子供のときから、
しっかり身につけているに違いない。
そんなことを知らないで、初めてアメリカに渡った時、
道路の右と左を歩いているのに、
チラッと見た道路の向こう側のお嬢さんと目が合った途端、
「ハーイ!」と手を大きく振られたのには面食らった経験がある。
おおらかで良い印象であった。

脱線してしまった。話を戻す。
トンガリ帽子の三角屋根の街を、しばらく散歩してホテルに帰り、
あわただしい朝食を済ますと、
次の観光場所 世界遺産の洞窟住居 
マテーラヘの移動が待っていた。




タオルミーナのギリシャ劇場(南イタリア紀行5)

2006年09月07日 08時19分47秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(リゾートの中のリゾート シチリア)

(タオルミーナのギリシャ劇場)
シチリアは島全体がリゾートであるが、タオルミーナは
別荘地の中の別荘地といえる。
海から切り立った崖の上に建っているホテルに宿泊したが、
ホテルの窓から身を乗り出せば、断崖絶壁のはるか下のほうに、
波が打ち寄せ岩に砕け、轟くような白い大きな波濤が幾重にも
重なって見える。その先の長い大きな浜辺には、波が大きく
打ち寄せ、また引いていく景色が見える。
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(リアス式海岸で左下は海)
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(切り立ったがけの上から海を臨む)
映画「グランブルー」の舞台となったシチリアを代表する
別荘地と言うのだが、
あいにく「グランブルー」なる映画を見ていない。
リゾートとして有名なフランスのニース、
スペインのコスタ・デル・ソルなどとは違った美しさを見せる。

映画「グランブルー」もイタリア旅行から帰ったら
見ることにしようと思いながら、いまだに見ていない。
映画の画面の中では、観光地は最も美しい場所を、
最も美しく見える時間帯に撮影するのであろうから、
よほど美しいに相違ない。

以前イギリス旅行をしたときも、
オックスフォードで「ハリーポッター」の
第一話(賢者の石)にでてくる学生食堂を
観ることが出来る場所がありますので
見学しましょうと言われて、
他のツアー客は「行きましょう!行きましょう!」と賛成したのに、
映画を見ていないボクは
(童話のような魔法使いの物語)なんてつまらないと思いつつ、
行くところがないから、一緒について入り、
食堂の写真をビデオで撮って帰ったら、
子供夫婦や孫達にすごく喜ばれたことがある。
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(ハリーポッターに出てくる学生食堂)
その後でDVDを借りてきて、
映画「ハリーポッター(賢者の石)」を観た。
感想としては、娯楽映画としては、
奇想天外でとても面白い映画であった。
映画「グランブルー」も
きっと美しい画像と共に楽しい映画と思われる。
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(市街の様子)
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(路地の細道)
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(街の様子)

そんなホテルに入る前に、タオルミーナの市街を観光。
300メートルほどの街の中心街を散策、
表通りのお菓子屋さん、
酒屋さん、民芸品店、古代ギリシャの劇場跡、
裏通りのお店や喫茶店、などを
日本人が一団で覗いて歩く。
アイスクリーム屋さんでは、喉が渇いたカミさんが、
アイスクリームを欲しがる。
購入しようとお店に入ると、
なんと12種類ほどのアイスクリームがあり、
どれか選んで買うらしいが、
なにぶんボクはアイスクリームが好きでないから、
どれを選んでよいやら解らない。
カミさんは話が出来ないからもじもじしているだけ。
第一値段が書いていないから、
値段も聞かなければならない。

色を見ればイチゴとかオレンジとかバニラとか
何とか解るが、他は訳が分からない。
たった一つだけ書いてある文字が読めるものがあった。
シチリアと書いたアイスだ。
きっとシチリア風という意味だろう。
色は白く、なかにぶつぶつくるみ様のものが入っている。
指差して買ったら、
くるみようのものはアーモンドであった。
カミさんが「おいしい」と言いながら、
「食べて見ます?」というので、
一口なめてみるとなるほど、甘すぎず上品な味であった。

食べ物の話が多くなってしまったが、
古代の石造りのギリシャ劇場は、
ギリシャで完全な形の劇場を見たことがあるが、
全く同じ構造になっていたと思われる。
また同じものはローマでもトルコでも、観ることが出来た。
ローマ帝国の勢力が及んだヨーロッパの各地で
同じものを観ることが出来るだろう。

今回見るギリシャ劇場は、
丘陵地の頂上に建てられており、空と海、
そしてエトナ山を背景に建っているが、
壊れた石垣の間から見る、
リゾートの景観はとても美しく、
これだけはヨーロッパのどこの劇場にも引けはとらない。
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(ギリシャ劇場)
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(劇場の観客席、階段式のところは男性の席、
女性はその上の立見席しかなかったと言う)
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(劇場の舞台側から写真を撮る観光客)

夕食はカジキマグロ料理と言うので期待していたが、
何のことはないぶつ切りのカジキマグロの焼き物で、
塩味がついているわけでなく、
無味乾燥で、塩を振って食べたが、
ワインで喉に流し込むばかりであった。
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(カジキマグロ料理 カミさん写す)

追記:つい最近、DVDを借りてきて、
映画「グランブルー」を観た。
明るい太陽を受けたシチリアの美しい海岸と海とホテル、
映像はとても美しいものであるが、
物語の内容は意外に深刻なものであった。
グランブルーの海にどのくらい深く潜水できるかを競う話で、
ある一定の限度を越えると生命が危ない。
それを承知でチャレンジする人たち。
神のみが知るその先の世界への挑戦者は、
やはり神のたなごころの中にあるという、
少し考えさせられる映画であった。


オレンジと古代の大きな別荘の跡(南イタリア紀行4)

2006年09月01日 08時20分44秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(カザレの別荘跡の案内図) 

(オレンジと古代の大きな別荘の跡)
三日目はピアッツア・アルメリーナへ約100キロ走り、
映画「グランブルー」の舞台となったシチリアを代表する別荘地
タオルミーナへ。
途中、古代モザイク画が残されている
世界遺産「カザレの別荘」を観光。

シチリアはそもそもがリゾートである。
この二月の時期はまだ早く、
ホテルも空いているが、
三月に入るとヨーロッパの人たちが、
どっと押し寄せホテルは満室となるという。
リゾートとして混雑する前の閑散期に
あっちこっちを観たがる日本人観光客が押し寄せる。
つまり閑散期の穴埋めに日本人達がいるのだ。
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(美しい丘陵地帯)
海岸線を走った昨日とは打って変わり、
本日は内陸を走る。
なだらかな丘陵地帯を走って、野原の茂みの中に
その世界遺産「カザレの別荘」はあった。

車を止めて遺跡の入り口までしばらく歩く。
道の両側に背の低いオリーブの木が生えており、
熟した黒い実をつけている。
食べられそうに見えるオリーブの実を取って、
口に入れようかどうしようか迷っていると、
いかにも農夫らしい男性がミカン様の実を手に持って、
歩いている人全員に試食を勧めている。
例によって物売りである。無視して遺跡の方向に進む。
前回の乞食の婆さんの件(南イタリア紀行2参照)もあるので、
ツアー客はみんな素知らぬ顔で通り過ぎる。

「カザレの別荘」は優に500坪はあるかと思われるほど広い。
お風呂、居間、室内競技場など見て回ったが、
全ての床はモザイクで描かれている。
どれもモザイクとしては良く残っている。
オデッセイの物語を描いたもの、
水上の生活を描いたもの、水中の様子(魚など)を描いたもの、
どれもこれも感心する。
日本では見ることが出来ない。
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(モザイク床)

モザイク画はトルコのモスクの壁に
描かれたものを観たのが始めてであったが、
今回は床に描かれたもので、当時は床の上を何人もの人が歩いて、
モザイクが磨り減ってはいるが、良く残ったものと感心する。
古いモザイク画の床を持つ別荘を一巡して外に出る。

待っている観光バスまでの道のりを、
オリーブ並木に囲まれて歩きながら、
(出来るときにやらなければ悔いが残る)とばかりに、
脇の木から黒いオリーブの実を一つ取って口に入れた。
いつも食べるオリーブのピクルスを想像していたら、
似ても似つかぬ味であった。
回りの仲間達が興味深そうにボクの顔をき込んでいたが、
ボクが「渋いっ!」と吐き出すのを見てげらげら笑った。

ボクは思う。
(なまこや、その腸のこのわた)を始めて食べた人の勇気を。
果物ではドリアン、
発酵食品では納豆をはじめて食べた人の、
その勇気を感じたものだが、
ボク自身そんな冒険者の気分である。

その日の翌朝、浅い夢を見た。

《オリーブの実を(ああ 美味しい!)と言って、
にこやかに飲み込んで見せた夢だ。
周りの仲間達が競って黒オリーブの実を手にとって、口に入れる。
次の瞬間、みんなが渋そうな顔をして、
(べっべっ)口からオリーブを吐き出している夢だ。
(わっはっはあ!!!)お腹を抱えて笑ったところで目が覚めた。》

意地悪な夢だ。

話を戻す。
口の中にオリーヴの渋さが残っており、弱っていると、
往路にいた農夫がしきりにみかんの試食を進めている。
お口直しにともらって食べたら、これがすこぶる美味しい。
カミさんに「すごく美味しいよ!」と勧めると、
周りのみんなが競って試食した。
カミさんも食べてみて、(おいしい)と言う。

すかさずボクが、
(いくら?)と聞くと(1ユーロ)と言う。
一個かと思い、
(えっ?)と聞きなおすと、
ビニール袋を持ち上げて、
(1ユーロ)と言う。
袋を持ち上げてみると、6個は入っている。

6個147円は安い!
東京ではスーパーマーケットで買っても一個200円だ。
1ユーロ出して早速買った。

さて、これがシチリアで食べたオレンジである。
オレンジは普通切ると中身はオレンジ色である。
当たり前のことだ。
ところがシチリアのオレンジは中が赤い。
赤い身のグレープフルーツに似ているが
色はもっと透明で鮮やかである。
グレープフルーツより酸味が少なく甘くておいしい。

翌朝、ホテルの食堂を見渡すと
フレッシュ・オレンジジュースと書いた機械が置いてある。
横に昨日と同じオレンジが山と積んであり、
機械の下には絞りかすのオレンジが
これまたタップリバケツの中にある。
機械をどのように使うのか解らないので、
あれこれ眺め回していると、
イタリア人らしき客が来て、
オレンジを機械の上部から一個づつ入れていくと、
下のほうからジュースが出てくる。
三個入れるとコップ一杯分の
フレッシュジュースが出来上がる。
何のことはない、コーヒーメーカーみたいなものだ。

右へ習えで、ボクが試し、
カミサンの分と二杯ジュースを作ると、
ボクの後ろに日本人旅行客が並んでいる。
カミサンにジュースを渡すと、
あのオレンジの機械はどのように
ジュースを造るのかとご質問である。

そこまで観察していなかったので、
もう一杯ジュースを作りに行く。
一個オレンジを入れて機械を見ていると、
機械の中に入ったオレンジは、
すぐに二つに切られ、
奥まで進むと両側から切られたオレンジが押し潰されて
ジュースが出来る仕組みになっている。
三個分で200CCのジュースが出来る。

しかし、あのオレンジの味は忘れられない。
あのオレンジのために、
また来年の二月にシチリアに行きたいものである。
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(昼食はコトレッタ・アッラ・シチリアーナ【シチリア風カツレツ】カミさん写す)
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(順序が逆であるがスープ)




アーモンドと神殿の谷(南イタリア紀行3)

2006年08月28日 08時15分42秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(アーモンドの花)

(アーモンドと神殿の谷)
午後はアグリジェントへバスで130キロも南下し、
世界遺産の神殿の谷を観光する。
東京では最高気温10℃、
その寒さから脱出してきた今回の旅行であるが、
シチリアは気温16℃と暖かい。

シチリアの地形は日本に似てリアス式海岸で、
坂あり山あり海ありの変化に飛んだ地形である。
車窓からは、その起伏のあるのどかな丘陵地帯が連なって見えるが、
所々に桜と見間違う白い花を満開にした木を見かける。
ガイドさんに聞くと「アーモンドの花」だそうだ。
胡桃に似た味のアーモンドを食べたことがあるが、
食べているのは種で、その花や実を見たことがなかった。

桜の花はうっすらと赤みを帯びた白であるが、
アーモンドの花は桜と違ってただただ白い。
日本で桜を見るには、まだまだ二ヶ月の先の話。
日本人の桜好きは、説明する必要がない。
アーモンドの木が群生している景色に出会うと、
一斉に「ワー!きれい!」と歓声が上がるからである。
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(アーモンドの花2)
アグリジェントは、
今朝の観光地パレルモより130キロ南に位置するせいか、
気温がさらに暖かく、
アーモンドの花が沢山咲いている。
東京では見られなくても、
熱海では満開の桜を見られるのに似ている。

神殿の谷と聞いていたのに、
丘陵の頂きにギリシャのパルテノン神殿を
思わせる遺跡が見えてきた。
修復中のようで、
足組みと養生シートで一部を覆われていたが、
ほとんど全貌を見ることが出来る。
コンコルディア神殿だ。
その神殿の先に、屋根はなく、
列柱だけ見える神殿の遺跡も見える。
いずれも満開のアーモンドの木に囲まれている。
両方ともパルテノン神殿と同じ時期の
2500年前に建造されたという。
これら神殿の脇に立つと古代へタイムスリップしたような
不思議な気持ちに包まれる。
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(コンコルディア神殿)
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(エルコーレ神殿)

――古代ローマ――
ボクの貧しい知識の中での古代ローマは、
シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」しかない。
(ジュリアス・シーザーは英語読み、
ラテン語ではユリウス・カエサル)
それも、

「ブルータス!お前もか!」
の有名なセリフが思い浮かぶだけ。
一説では
「我が子よ!お前もか!」と言われているそうだが、
ガイドさんの説明では、
その両方とも言っていないとされる。
後世の人たちの創作のようだ。

あるいはシェークスピアの創作なのかも知れない。
そもそもシェークスピアは、
生涯イギリスから出たことがないから、
素晴らしい想像力で物語を構成したに違いない。
その元ネタは、各地を歩く商人からの又聞きだという。
自分は外国には行っていないのに、
外国で起きた物語を創っている。
「ベニスの商人」「ハムレット」
「ロミオとジュリエット」などなど・・・
「ハムレット」はスペイン、
「ヴェニスの商人ととロミオとジュリエット」は
イタリアにその舞台があって、
観光地になっている。

余談であるが、
ハムレットはスペインのセゴビアの城に起きた物語で、
実在の人物はAmleth(アムレス)王子と言われる。
シェークスピアはAmlethの名前の最後のHを取り除き、
頭に持ってきて、Hamlet「ハムレット」としたと言う。
(まことしやかで、「うん!なっとく!」 これはボクだけだろうか?)
なお、物語の上では、ハムレットは
デンマークの王子と言うことになっている。

シーザーに戻るが、エジプトのクレオパトラと
その弟との間に後継者争いが起きた時、
シーザーはクレオパトラ側に着いて政争に介入したとされる。
有名な言葉に、
「クレオパトラの鼻が、もう少し低かったら事態は変わっていた」
と言われるが、
クレオパトラの美貌に惑わされたわけではないようである。

飛びぬけた実力を発揮すると、
後世に、民衆が面白おかしく話を創作するのは、
日本でも中国でも西洋でも同じらしい。

話が飛んでしまったが、
イタリアには古代の歴史が詰まった場所が沢山ある。
今回訪問の南イタリアに歴史に残る世界遺産は数多くあるが、
ローマから北の地方に残る世界遺産には数ではとても及ばない。
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(カミさんが撮った肉料理)



お金(南イタリア紀行 2)

2006年08月22日 06時33分35秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(パスタ・アッラ・ノルマ=なすとトマトのパスタ)

(お金)
パスタを食べるのなら、
トマトたっぷりなパスタがボクは好きだ。
中でもなすとベーコンのトマトソースのパスタ
(しかもぴり辛のアラビアータ)が大好物である。
イタリア名物のパスタは、
イタリア南部へいけば行くほどトマト味になる。

シチリアで思い起こすのが、
オレンジとマフィア、太陽と青空とトマト。
その昔、コロンブスかマルコポーロか知らないが、
冒険家がヨーロッパに持ち込んだ花の一種として、
トマトは南米からイタリアにもたらされ、
今や世界中に広がりを見せるトマト。

白人にしては背も高くなく日本人に似た体系のシチリア人。
黒い帽子に黒装束のマフィアの男に
オレンジを投げかける気の強い陽気な女たち。
ボクにとってシチリアはそんなイメージ。
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(デザートのオレンジは美味しかった)
黄色人種の日本人にはどこの国の皆さんも親切。
日本人が特にと言うことはないが、
日本人が持つ財布に親切にしているように思う。
まさに金の切れ目が縁の切れ目で、
金がないというと親切も無くなってしまうに違いない。
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(教会と青空)
南イタリア旅行の初日は、
パレルモとモンレアーレの街の見学。
いずれも古い石造りの教会を見て歩く。
抜けるような青空に聳え立つ教会、
入り口前の広場にある噴水と
見事な大理石の彫像が朝陽に輝きとても美しかった。
教会内部も荘厳で目を奪われたが、
古い石造りのせいか、
室内は暗く明かりがなければ、
モザイクで作られた壁画などは、観ることも出来ず、
もちろんカメラにも収められない。
800年も前に描かれた壁画だというのに・・・

私達一団より少し前を、
土地の信者と思しき人が黒いベールで顔を覆い、
祈りながら進んでいく。
彼女が進む先では、壁画が美しく明るく照らし出される。
観光客のわれわれが壁画を見ようと近づくと、
暗くなってしまう。
不思議に思い、信者の夫人を観察すると、
壁際にある賽銭箱にお金を入れていることが判った。
賽銭を入れると数秒明かりがついて、
壁に描かれたイエス・キリストや聖母マリア像に照明が当てられるのだ。
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(光りを受け浮かび出た壁画のイエス像)
「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものだ。
お金さえ出せば地獄行きも天国行きに乗り換えられるに違いない。
そこはそれ、世界第二位の経済大国の日本人観光客、
現地の信者が投げる賽銭の十倍くらいはなんてことは無い。

ガイドさんの話しを聞いたら、
何人もの方が信者でもないのに、
賽銭を入れるので、壁画の明かりは付きっぱなしのようなもの。
金の力は恐ろしい。
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(壁画を見上げる観光客)
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(天井の絵)
最近話題になったMファンドの社長や何とかドアーの社長が、
お金至上主義で無様な失態を見せたが、
何のことはない外国人から見れば、
経済大国の日本人は、みんな似たり寄ったりなのだ。
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(回廊と中庭)
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(教会入り口前にある噴水)
教会に隣接する修道院回廊も
見事な美しさを見せる古美術といって良いだろう。
輝く陽光のもとで中庭の緑を眺める
幸せを忘れることは出来ない。
教会と修道院をあとにして、
バスの待つ駐車場までは下り坂をしばらく歩いて、
イロハ坂のような曲がりくねった急坂を、
曲がり角にもし記号がついているとしたら、
イ、ロ、ハ、ニ、ホ、位の曲がり角を降りなければならない。
この急坂は道幅が狭く、
やっと二人がすれ違うことが出来る幅である。

この急坂の最初の曲がり角を曲がった向こう側に、
かなりの老婆がアルミ製の
お皿を持って道行く人に「お恵みを」ねだっている。
僕達夫婦の前をイタリア人らしき若夫婦が(恋人同士かもしれない)
立ち止まって懐から財布を出して「お恵み」をしている。
さすが外国人はチャリティの精神が旺盛であると感動した。

ボクの持ち金は、
昨日イタリアのレオナルド・ダヴィンチ空港で
両替した10ユーロ札だけで、小銭はない。
乞食に「お恵み」をするほど
懐は暖かくないのだ。
まさか日本円の硬貨を出すわけにも行かず、
この際無視することにした。

カミさんがもじもじしているものの、
どうにもしようがない。
そ知らぬ顔で通過しようとしたが、
老婆もあっさり通過させてなるものかと
地獄の閻魔様もかくやあらんと、しつこく言い寄って来たが、
ない袖は触れぬとばかり、
日本語で「ごめんね」といって通り過ぎた。

同行のツアー客も教会で壁画見たさに小銭を賽銭にしてきたので、
懐具合は同じであったようで、可愛そうに老婆は、
この日本人たちはそうとうひどい貧乏人だと思ったに違いない。
中には、トイレチップが必要なときもあろうかと準備よく小銭を
用意していた人がいて、「お恵み」をしてきたようである。
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(下町の様子)
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(婆さんが持つアパート?より青空が美しい)

坂の中腹には、これぞイタリアの下町を思わせる、
窓に下着類を干した光景に出くわしたので、
こんな老婆が居ても不思議ではないと思った。

さてバスに乗って、出発するとガイドさんが、
「坂の途中に乞食のような老婆が
『お恵み』を求めて立っていましたが、
皆さんまさか寄付をしてきませんでしたでしょうね」という。
「実は前もってお話をしておけばよろしかったのですが、
行き道で出会わなかったので、
お話しませんでしたが、
あの婆さんはこのあたりでは有名な金持ちで、
アパートを三棟持っているのですが、毎日やることがないので
ああやって乞食をして、暇をつぶしているのです。
一日掛かって一銭にもならなくても、困らないのです。
することがないので、
『お恵み』を求めて立っているのが仕事なのです」という。

お金は、三途の川でも役に立つほど大切だということを、
われわれ経済大国の小金持ちに、この老婆は教えたかったに違いない。



陽光にさそわれて(南イタリア紀行 1)

2006年08月15日 06時05分00秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(青空と陽光の南イタリヤ)
(時差ぼけ)
冬の寒さから逃れて、
16℃前後の暖かい陽気に誘われ南イタリアを
訪ねる旅行に参加した。

2006.Feb.20.のこと。

学生時代からの夢であった「世界を旅する」は、
定年後からスタートして、
訪問した国の数は48カ国になる。
今回は二回目のイタリア。

アリタリア航空でローマへ。
イタリアの国にふさわしい空港の名前は、
レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港。
国内線に乗り換え、約一時間でパレルモへ到着。
時間はもうPM21:50分。
ここはシチリア島、
世界地図で見ると長靴のつま先部分に当たる。
気温15℃、うーん さすがに暖かい。

ホテルに着いたときは24時というか午前0時。
それでもさすがイタリアのホテル、
ロビーのバーには
恰幅の良いネクタイ姿の紳士が数人、一杯やっている。

いや待てよ、紳士風に見えるがここはシチリア、
かの有名なゴッドファーザーの故郷、
ひょっとしたらマフィア?
そんなことを考えているうちに部屋割りが決まってベッドに横たわる。
時差が7時間あるから、
日本に居たらまもなく朝になる時間で寝付けない。
こんな時、女性は順応性が高いといおうか、
ずうずうしいと言おうか、無頓着と言おうか、
カミさんは隣のベッドで静かに寝息を立てている。
ぐずぐずしている間に朝になってしまった。

いつものことだが、ボクは時差に慣れるのに
おおよそ3日はかかる。
観光中の昼間、無性に眠くなることや、
習慣になっている朝の排便がなくなること、
もともと悪い頭の回転がさらに悪くなることなど。
それでも慣れない外国語に、
分かりもしないくせに耳を傾け、
神経を研ぎ澄まし緊張していると、
疲れがだんだん溜まって、
夜にはぐっすり眠れるようになる。
そして、三日たつと平常に戻る。
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(シチリアの朝)
身支度を整えて、ホテルの窓から外を見ると、
透き通るような青い空に、
昨晩の名残とばかり三日月が天空にかかっており、
その下にグレーの雲があって、
さらにその下に山々が連なって、
山のふもとに人家のビル群が迫って見える。
耳をそばだてると、
朝早いのにかなりの喧騒が聞こえてくる。
ガラス戸を開いて、音のする方向を見ると、
どうやら市場があるらしい。
生鮮食料品市場のようだ。
魚介類だろうか? 
青果物だろうか?

今日は期待の南イタリア、抜けるような青空に似て、
陽気で底抜けに明るいイタリア人、
将来なんて考えそうもないイタリア人、
女を見たら褒めちぎってモノになれば儲け
と考えるイタリア人男性、
対照的に質素堅実な考えのイタリア人女性、
ヨーロッパのどの国にも浸透しているローマ、
「あらゆる道はローマに通じる」
「ローマは一日にして成らず」を物語っている。
そんなイタリア観を持っているボクの旅の始まりです。