中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

アーモンドと神殿の谷(南イタリア紀行3)

2006年08月28日 08時15分42秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(アーモンドの花)

(アーモンドと神殿の谷)
午後はアグリジェントへバスで130キロも南下し、
世界遺産の神殿の谷を観光する。
東京では最高気温10℃、
その寒さから脱出してきた今回の旅行であるが、
シチリアは気温16℃と暖かい。

シチリアの地形は日本に似てリアス式海岸で、
坂あり山あり海ありの変化に飛んだ地形である。
車窓からは、その起伏のあるのどかな丘陵地帯が連なって見えるが、
所々に桜と見間違う白い花を満開にした木を見かける。
ガイドさんに聞くと「アーモンドの花」だそうだ。
胡桃に似た味のアーモンドを食べたことがあるが、
食べているのは種で、その花や実を見たことがなかった。

桜の花はうっすらと赤みを帯びた白であるが、
アーモンドの花は桜と違ってただただ白い。
日本で桜を見るには、まだまだ二ヶ月の先の話。
日本人の桜好きは、説明する必要がない。
アーモンドの木が群生している景色に出会うと、
一斉に「ワー!きれい!」と歓声が上がるからである。
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(アーモンドの花2)
アグリジェントは、
今朝の観光地パレルモより130キロ南に位置するせいか、
気温がさらに暖かく、
アーモンドの花が沢山咲いている。
東京では見られなくても、
熱海では満開の桜を見られるのに似ている。

神殿の谷と聞いていたのに、
丘陵の頂きにギリシャのパルテノン神殿を
思わせる遺跡が見えてきた。
修復中のようで、
足組みと養生シートで一部を覆われていたが、
ほとんど全貌を見ることが出来る。
コンコルディア神殿だ。
その神殿の先に、屋根はなく、
列柱だけ見える神殿の遺跡も見える。
いずれも満開のアーモンドの木に囲まれている。
両方ともパルテノン神殿と同じ時期の
2500年前に建造されたという。
これら神殿の脇に立つと古代へタイムスリップしたような
不思議な気持ちに包まれる。
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(コンコルディア神殿)
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(エルコーレ神殿)

――古代ローマ――
ボクの貧しい知識の中での古代ローマは、
シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」しかない。
(ジュリアス・シーザーは英語読み、
ラテン語ではユリウス・カエサル)
それも、

「ブルータス!お前もか!」
の有名なセリフが思い浮かぶだけ。
一説では
「我が子よ!お前もか!」と言われているそうだが、
ガイドさんの説明では、
その両方とも言っていないとされる。
後世の人たちの創作のようだ。

あるいはシェークスピアの創作なのかも知れない。
そもそもシェークスピアは、
生涯イギリスから出たことがないから、
素晴らしい想像力で物語を構成したに違いない。
その元ネタは、各地を歩く商人からの又聞きだという。
自分は外国には行っていないのに、
外国で起きた物語を創っている。
「ベニスの商人」「ハムレット」
「ロミオとジュリエット」などなど・・・
「ハムレット」はスペイン、
「ヴェニスの商人ととロミオとジュリエット」は
イタリアにその舞台があって、
観光地になっている。

余談であるが、
ハムレットはスペインのセゴビアの城に起きた物語で、
実在の人物はAmleth(アムレス)王子と言われる。
シェークスピアはAmlethの名前の最後のHを取り除き、
頭に持ってきて、Hamlet「ハムレット」としたと言う。
(まことしやかで、「うん!なっとく!」 これはボクだけだろうか?)
なお、物語の上では、ハムレットは
デンマークの王子と言うことになっている。

シーザーに戻るが、エジプトのクレオパトラと
その弟との間に後継者争いが起きた時、
シーザーはクレオパトラ側に着いて政争に介入したとされる。
有名な言葉に、
「クレオパトラの鼻が、もう少し低かったら事態は変わっていた」
と言われるが、
クレオパトラの美貌に惑わされたわけではないようである。

飛びぬけた実力を発揮すると、
後世に、民衆が面白おかしく話を創作するのは、
日本でも中国でも西洋でも同じらしい。

話が飛んでしまったが、
イタリアには古代の歴史が詰まった場所が沢山ある。
今回訪問の南イタリアに歴史に残る世界遺産は数多くあるが、
ローマから北の地方に残る世界遺産には数ではとても及ばない。
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(カミさんが撮った肉料理)



お金(南イタリア紀行 2)

2006年08月22日 06時33分35秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(パスタ・アッラ・ノルマ=なすとトマトのパスタ)

(お金)
パスタを食べるのなら、
トマトたっぷりなパスタがボクは好きだ。
中でもなすとベーコンのトマトソースのパスタ
(しかもぴり辛のアラビアータ)が大好物である。
イタリア名物のパスタは、
イタリア南部へいけば行くほどトマト味になる。

シチリアで思い起こすのが、
オレンジとマフィア、太陽と青空とトマト。
その昔、コロンブスかマルコポーロか知らないが、
冒険家がヨーロッパに持ち込んだ花の一種として、
トマトは南米からイタリアにもたらされ、
今や世界中に広がりを見せるトマト。

白人にしては背も高くなく日本人に似た体系のシチリア人。
黒い帽子に黒装束のマフィアの男に
オレンジを投げかける気の強い陽気な女たち。
ボクにとってシチリアはそんなイメージ。
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(デザートのオレンジは美味しかった)
黄色人種の日本人にはどこの国の皆さんも親切。
日本人が特にと言うことはないが、
日本人が持つ財布に親切にしているように思う。
まさに金の切れ目が縁の切れ目で、
金がないというと親切も無くなってしまうに違いない。
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(教会と青空)
南イタリア旅行の初日は、
パレルモとモンレアーレの街の見学。
いずれも古い石造りの教会を見て歩く。
抜けるような青空に聳え立つ教会、
入り口前の広場にある噴水と
見事な大理石の彫像が朝陽に輝きとても美しかった。
教会内部も荘厳で目を奪われたが、
古い石造りのせいか、
室内は暗く明かりがなければ、
モザイクで作られた壁画などは、観ることも出来ず、
もちろんカメラにも収められない。
800年も前に描かれた壁画だというのに・・・

私達一団より少し前を、
土地の信者と思しき人が黒いベールで顔を覆い、
祈りながら進んでいく。
彼女が進む先では、壁画が美しく明るく照らし出される。
観光客のわれわれが壁画を見ようと近づくと、
暗くなってしまう。
不思議に思い、信者の夫人を観察すると、
壁際にある賽銭箱にお金を入れていることが判った。
賽銭を入れると数秒明かりがついて、
壁に描かれたイエス・キリストや聖母マリア像に照明が当てられるのだ。
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(光りを受け浮かび出た壁画のイエス像)
「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものだ。
お金さえ出せば地獄行きも天国行きに乗り換えられるに違いない。
そこはそれ、世界第二位の経済大国の日本人観光客、
現地の信者が投げる賽銭の十倍くらいはなんてことは無い。

ガイドさんの話しを聞いたら、
何人もの方が信者でもないのに、
賽銭を入れるので、壁画の明かりは付きっぱなしのようなもの。
金の力は恐ろしい。
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(壁画を見上げる観光客)
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(天井の絵)
最近話題になったMファンドの社長や何とかドアーの社長が、
お金至上主義で無様な失態を見せたが、
何のことはない外国人から見れば、
経済大国の日本人は、みんな似たり寄ったりなのだ。
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(回廊と中庭)
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(教会入り口前にある噴水)
教会に隣接する修道院回廊も
見事な美しさを見せる古美術といって良いだろう。
輝く陽光のもとで中庭の緑を眺める
幸せを忘れることは出来ない。
教会と修道院をあとにして、
バスの待つ駐車場までは下り坂をしばらく歩いて、
イロハ坂のような曲がりくねった急坂を、
曲がり角にもし記号がついているとしたら、
イ、ロ、ハ、ニ、ホ、位の曲がり角を降りなければならない。
この急坂は道幅が狭く、
やっと二人がすれ違うことが出来る幅である。

この急坂の最初の曲がり角を曲がった向こう側に、
かなりの老婆がアルミ製の
お皿を持って道行く人に「お恵みを」ねだっている。
僕達夫婦の前をイタリア人らしき若夫婦が(恋人同士かもしれない)
立ち止まって懐から財布を出して「お恵み」をしている。
さすが外国人はチャリティの精神が旺盛であると感動した。

ボクの持ち金は、
昨日イタリアのレオナルド・ダヴィンチ空港で
両替した10ユーロ札だけで、小銭はない。
乞食に「お恵み」をするほど
懐は暖かくないのだ。
まさか日本円の硬貨を出すわけにも行かず、
この際無視することにした。

カミさんがもじもじしているものの、
どうにもしようがない。
そ知らぬ顔で通過しようとしたが、
老婆もあっさり通過させてなるものかと
地獄の閻魔様もかくやあらんと、しつこく言い寄って来たが、
ない袖は触れぬとばかり、
日本語で「ごめんね」といって通り過ぎた。

同行のツアー客も教会で壁画見たさに小銭を賽銭にしてきたので、
懐具合は同じであったようで、可愛そうに老婆は、
この日本人たちはそうとうひどい貧乏人だと思ったに違いない。
中には、トイレチップが必要なときもあろうかと準備よく小銭を
用意していた人がいて、「お恵み」をしてきたようである。
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(下町の様子)
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(婆さんが持つアパート?より青空が美しい)

坂の中腹には、これぞイタリアの下町を思わせる、
窓に下着類を干した光景に出くわしたので、
こんな老婆が居ても不思議ではないと思った。

さてバスに乗って、出発するとガイドさんが、
「坂の途中に乞食のような老婆が
『お恵み』を求めて立っていましたが、
皆さんまさか寄付をしてきませんでしたでしょうね」という。
「実は前もってお話をしておけばよろしかったのですが、
行き道で出会わなかったので、
お話しませんでしたが、
あの婆さんはこのあたりでは有名な金持ちで、
アパートを三棟持っているのですが、毎日やることがないので
ああやって乞食をして、暇をつぶしているのです。
一日掛かって一銭にもならなくても、困らないのです。
することがないので、
『お恵み』を求めて立っているのが仕事なのです」という。

お金は、三途の川でも役に立つほど大切だということを、
われわれ経済大国の小金持ちに、この老婆は教えたかったに違いない。



陽光にさそわれて(南イタリア紀行 1)

2006年08月15日 06時05分00秒 | 南イタリヤ紀行(陽光にさそわれて)
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(青空と陽光の南イタリヤ)
(時差ぼけ)
冬の寒さから逃れて、
16℃前後の暖かい陽気に誘われ南イタリアを
訪ねる旅行に参加した。

2006.Feb.20.のこと。

学生時代からの夢であった「世界を旅する」は、
定年後からスタートして、
訪問した国の数は48カ国になる。
今回は二回目のイタリア。

アリタリア航空でローマへ。
イタリアの国にふさわしい空港の名前は、
レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港。
国内線に乗り換え、約一時間でパレルモへ到着。
時間はもうPM21:50分。
ここはシチリア島、
世界地図で見ると長靴のつま先部分に当たる。
気温15℃、うーん さすがに暖かい。

ホテルに着いたときは24時というか午前0時。
それでもさすがイタリアのホテル、
ロビーのバーには
恰幅の良いネクタイ姿の紳士が数人、一杯やっている。

いや待てよ、紳士風に見えるがここはシチリア、
かの有名なゴッドファーザーの故郷、
ひょっとしたらマフィア?
そんなことを考えているうちに部屋割りが決まってベッドに横たわる。
時差が7時間あるから、
日本に居たらまもなく朝になる時間で寝付けない。
こんな時、女性は順応性が高いといおうか、
ずうずうしいと言おうか、無頓着と言おうか、
カミさんは隣のベッドで静かに寝息を立てている。
ぐずぐずしている間に朝になってしまった。

いつものことだが、ボクは時差に慣れるのに
おおよそ3日はかかる。
観光中の昼間、無性に眠くなることや、
習慣になっている朝の排便がなくなること、
もともと悪い頭の回転がさらに悪くなることなど。
それでも慣れない外国語に、
分かりもしないくせに耳を傾け、
神経を研ぎ澄まし緊張していると、
疲れがだんだん溜まって、
夜にはぐっすり眠れるようになる。
そして、三日たつと平常に戻る。
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(シチリアの朝)
身支度を整えて、ホテルの窓から外を見ると、
透き通るような青い空に、
昨晩の名残とばかり三日月が天空にかかっており、
その下にグレーの雲があって、
さらにその下に山々が連なって、
山のふもとに人家のビル群が迫って見える。
耳をそばだてると、
朝早いのにかなりの喧騒が聞こえてくる。
ガラス戸を開いて、音のする方向を見ると、
どうやら市場があるらしい。
生鮮食料品市場のようだ。
魚介類だろうか? 
青果物だろうか?

今日は期待の南イタリア、抜けるような青空に似て、
陽気で底抜けに明るいイタリア人、
将来なんて考えそうもないイタリア人、
女を見たら褒めちぎってモノになれば儲け
と考えるイタリア人男性、
対照的に質素堅実な考えのイタリア人女性、
ヨーロッパのどの国にも浸透しているローマ、
「あらゆる道はローマに通じる」
「ローマは一日にして成らず」を物語っている。
そんなイタリア観を持っているボクの旅の始まりです。




頼政神社と内村鑑三の記念碑(旧中山道を歩く 81)

2006年08月02日 13時31分00秒 | 3上州(群馬県)の.旧中山道を歩く(66~10
(高崎宿3)
その高崎公園のさらに南に位置するところに、ひっそりと頼政神社がある。
この神社は、源三位頼政を祭ったものであるが、今では、どんないわれがあるのか、
知る人も少なく、訪ねる人も少ない。
そして、その神社内の南はしに、内村鑑三の碑が建っているが、
頼政と内村鑑三との関係は定かでない。

(内村鑑三碑がある頼政神社)

源三位頼政は、清和源氏の祖 源径基-満仲-頼光―頼国―頼綱―
仲政―頼政に繋がる源氏一族の一人。歌人としても有名である。

新古今和歌集には

・今宵たれすずふく風を身にしめて吉野のたけにつきを見るらん

また、千載集には

・都にはまだ青葉にて見しかども紅葉ちりしく白川の関

そして恋歌の

・思へどもいはで忍ぶのすり衣心の中にみだれぬるかな

などが見受けられる。

一方の内村鑑三は、札幌農学校の教師 クラークの影響を受けた人である。
札幌農学校の開校に当たって、校則をあれやこれやと意見が出されたが、
なかなか決まらず、クラークに意見を求めるや、
クラークの鶴の一声で決まった。

「Be gentlemen!(紳士たれ)」

学校を離れるときの惜別の辞、

「Boy‘s be ambitious!(少年よ大志を抱け!)」は

あまりにも有名。

このクラークに師事した内村は、札幌農学校の二期生で、
群馬県の出身。

頼政神社にある鑑三の記念碑には次のように刻銘されています。

(内村鑑三の記念碑)

(刻まれた碑文、本人の筆か?)

上州無知亦無才
剛毅木訥易被欺
唯以正直接萬人
至誠依神期勝利
              鑑三

その意味は
「上州人としての私は、知恵も才能もなく、
剛毅木訥で、欺かれやすく、ただ正直をもって
万人に接し、神によって至誠を尽くし、勝利を期した。鑑三」である。

上州人といわず誰もが、もって肝に銘ずべしである。
内村鑑三が持っていた考え、

(肌の色、性別、富豪と貧乏、年齢、宗教による違いは、
それを差別せず、「人間は全て同じ」)は、広く共感を得られている。

偉大な哲学者で、東京大学の総長など有識者を多数育てている。
内村鑑三の影響を受けた人には沢山居るが、著名人の、文学者では、志賀直哉、有島武郎、
正宗白鳥、岩波文庫の創設者 岩波茂雄、などがいるという。
(斯くいうのボクはごく普通の人であるが、鑑三の影響を受けた一人である。)

昔のといっても1930年に亡くなっているから、ついこの間まで、
生存しておられた偉人である。

今後残された人生で、「その行いや善し」と言われるような行動を
心掛けたいものである。