(分かり難い左折道路、人がいたら亀の水不動を方向を訊ねよう)
(三条大橋2)
三条通りを、東海道線のガードをくぐり左にある(みどりの径)入り口の先、
左折の狭い道路をはいる。
道なりに進むと、先ほどの(みどりの径)と交差するが、
なお先まで進むと、段違いの交叉点にでる。
この交差点も直進する。
狭い道で、これが本当に旧東海道かと思われるが、
進むと広い開けた場所に出る。
(ここでボクは亀の水不動は直進か右手の花屋さんに聞いた)
亀の水不動は直進で正しい。
道路はだんだん上り坂になる。日ノ岡峠に向うからだ。
民家の間を抜けて、峠道を歩くと左手に「亀の水不動」がある。
(みどりの径と交差する)
(その先の段違いの十字路を直進)
(狭い道を怪しみながら進む)
(開けた場所に出るが、疑心暗鬼で右手の花屋の叔母さんに道を聞く)
(民家の間を日ノ岡峠へ上り道)
(左手の「亀の水不動尊」)
この亀の水不動は、どこがどのように危険なのか解らないが、
危険で立ち入り禁止になって縄張りがしてある。
この亀の水不動について、「木食遺跡梅香庵址」として説明がある。
その前に木食上人とは、火食、肉食を避け、穀物をとらず草の根、
木の実だけをとる修業を受けた僧侶、木食上人という。
(木食上人 正禅養阿が心血を注いだ、
東海道日ノ岡峠の改修工事は、
三年がかりで完成した。しかも上人は、
三年がかりで完成した。しかも上人は、
峠の途中の木食寺梅香庵を営み、
道路管理と休息所をかねさせた。
掘り当てた井戸水を亀の口より落として石水鉢
道路管理と休息所をかねさせた。
掘り当てた井戸水を亀の口より落として石水鉢
(量救水(りょうぐすい)に受け、
牛馬の渇きを癒すとともに、
道往く旅人に湯茶を接待した。――後略)とある。
道往く旅人に湯茶を接待した。――後略)とある。
(京都石仏会)
解説の通り、亀の口から水が絶えず流れているが、
解説の通り、亀の口から水が絶えず流れているが、
現在は水道の水だそうだ。
なお、量救水はなぜか東京の椿山荘にあるという。
(椿山荘にあった量救水(りょうぐすい)
亀の水不動を過ぎて、左手に石の階段が上のほうに繋がっているが、
ここに、法華宗 大乗寺の石塔がある。
階段が急だから先のほうに上りやすい道があると注意書きがしてある。
道路脇には、僅かな民家が肩を寄せ合って建っている。
(左手の階段)
(法華宗 大乗寺の碑)
(肩を寄せ合うようにして建つ民家)
(車の右手に見える「旧東海道」の碑)
道路わきの駐車場の隅に「旧東海道」の石碑があり、
道路に誤りがないと胸をなでおろす。
やがて、道路は右側の三条通り(府道143号線)と合流する。
合流箇所の左に小公園があり、
なお、量救水はなぜか東京の椿山荘にあるという。
(椿山荘にあった量救水(りょうぐすい)
亀の水不動を過ぎて、左手に石の階段が上のほうに繋がっているが、
ここに、法華宗 大乗寺の石塔がある。
階段が急だから先のほうに上りやすい道があると注意書きがしてある。
道路脇には、僅かな民家が肩を寄せ合って建っている。
(左手の階段)
(法華宗 大乗寺の碑)
(肩を寄せ合うようにして建つ民家)
(車の右手に見える「旧東海道」の碑)
道路わきの駐車場の隅に「旧東海道」の石碑があり、
道路に誤りがないと胸をなでおろす。
やがて、道路は右側の三条通り(府道143号線)と合流する。
合流箇所の左に小公園があり、
坂を下っていくと左手に京都浄水場の、
赤いレンガに囲まれた近代的な建物がある。
浄水場に沿って、道路は左折していく所に、
赤いレンガに囲まれた近代的な建物がある。
浄水場に沿って、道路は左折していく所に、
地下鉄「蹴上」駅があり、
ここを直進すると、南禅寺方向であると案内がある。
蹴上駅を左折する所に、ウエスティン・都ホテルがある。
(右に曲がり下り坂)
(赤いレンガの浄水場)
(赤レンガの浄水場の柵)
(左側の地下鉄「蹴上」の駅を左方向へ)
ここで旧東海道は右手の細い道に入るのであるが、
見るべきものは無く、(東山三条)の信号で合流するので、
広い三条通りをそのまま進む。
道路を道なりに進むと、
右手に「佛光寺本廟」が、「粟田焼発祥の地」の石柱がある。
また、右手には平安神宮の大鳥居が見え、
ついで左手に、「坂本竜馬 お龍(結婚式場)跡の碑がある。
京都らしい雰囲気の街並みの中を歩くと「三条白川橋」にでる。
ここには古ぼけた石柱で、
「是よりひだり、ち於んゐん ぎおん きよ水みち」とある。
(知恩院、祇園、清水道)と書かれている。
(佛光寺本廟)
(粟田焼発祥の地)
(右に見える平安神宮の大鳥居)
(「坂本竜馬とお龍」結婚式場跡の碑)
(道路は広く瀟洒な家が多い)
(白川橋)
(「ち於んゐん ぎおん きよ水みち」まで読めるでしょうか)
三条通りも以前京都に来た時よりも、道路が広くなって、
道路わきの家も瀟洒な家が立ち並んでいる。
(東山三条)の信号を過ぎると、(三条京阪)の信号。
いよいよ三条大橋で、中山道六拾九次の終着点である。
(広くなって歩道まである三条通り)
(東山三条の信号)
(三条京阪の信号)
三条大橋手前左手に「高山彦九郎正之」の裃をつけて正座し、
京都御所に向って拝礼している姿である。
高山彦九郎は、群馬県の出身で、十八歳の折より、
前後五回上洛したが、京都に出入りする折には、
この銅像のように、御所に向って拝礼した。――後略)(京都市観光課)
(高山彦九郎正之の像)
目の前に三条大橋はかかっている。
普段の日だというのに、人通りがある。
観光客が多いのであろう、橋を渡って左手に十返舎一九作
「東海道中膝栗毛」の主人公「野次さん喜多さん」の像がある。
(三条大橋)
(野次喜多の像)
ここ三条大橋は、中山道69次の終始点で、ここを出発したら、
次の宿泊地は守山宿泊まりと決まっていた。
逆に、日本橋を出発した人は、第一の宿泊地は桶川宿泊まりであった。
ボクは日本橋を出発して、
三条大橋に到着したのは49日目の13時ころ。
よくも来たものだと感慨深い。
これで「中山道ひとり歩る記」も、334回の連載でお終いとなる。
長い間読み続けられた方に、深く感謝いたします。
ここを直進すると、南禅寺方向であると案内がある。
蹴上駅を左折する所に、ウエスティン・都ホテルがある。
(右に曲がり下り坂)
(赤いレンガの浄水場)
(赤レンガの浄水場の柵)
(左側の地下鉄「蹴上」の駅を左方向へ)
ここで旧東海道は右手の細い道に入るのであるが、
見るべきものは無く、(東山三条)の信号で合流するので、
広い三条通りをそのまま進む。
道路を道なりに進むと、
右手に「佛光寺本廟」が、「粟田焼発祥の地」の石柱がある。
また、右手には平安神宮の大鳥居が見え、
ついで左手に、「坂本竜馬 お龍(結婚式場)跡の碑がある。
京都らしい雰囲気の街並みの中を歩くと「三条白川橋」にでる。
ここには古ぼけた石柱で、
「是よりひだり、ち於んゐん ぎおん きよ水みち」とある。
(知恩院、祇園、清水道)と書かれている。
(佛光寺本廟)
(粟田焼発祥の地)
(右に見える平安神宮の大鳥居)
(「坂本竜馬とお龍」結婚式場跡の碑)
(道路は広く瀟洒な家が多い)
(白川橋)
(「ち於んゐん ぎおん きよ水みち」まで読めるでしょうか)
三条通りも以前京都に来た時よりも、道路が広くなって、
道路わきの家も瀟洒な家が立ち並んでいる。
(東山三条)の信号を過ぎると、(三条京阪)の信号。
いよいよ三条大橋で、中山道六拾九次の終着点である。
(広くなって歩道まである三条通り)
(東山三条の信号)
(三条京阪の信号)
三条大橋手前左手に「高山彦九郎正之」の裃をつけて正座し、
京都御所に向って拝礼している姿である。
高山彦九郎は、群馬県の出身で、十八歳の折より、
前後五回上洛したが、京都に出入りする折には、
この銅像のように、御所に向って拝礼した。――後略)(京都市観光課)
(高山彦九郎正之の像)
目の前に三条大橋はかかっている。
普段の日だというのに、人通りがある。
観光客が多いのであろう、橋を渡って左手に十返舎一九作
「東海道中膝栗毛」の主人公「野次さん喜多さん」の像がある。
(三条大橋)
(野次喜多の像)
ここ三条大橋は、中山道69次の終始点で、ここを出発したら、
次の宿泊地は守山宿泊まりと決まっていた。
逆に、日本橋を出発した人は、第一の宿泊地は桶川宿泊まりであった。
ボクは日本橋を出発して、
三条大橋に到着したのは49日目の13時ころ。
よくも来たものだと感慨深い。
これで「中山道ひとり歩る記」も、334回の連載でお終いとなる。
長い間読み続けられた方に、深く感謝いたします。
(をわり)