
(プラヤ・デ・カルメン)

(船着場の沖合いで楽しむヨット)

(港町)
(メキシコの遺跡 トゥルムのマヤ遺跡)
次の寄港地はメキシコ。
プラヤ・デル・カルメンの港に到着。
明るい陽射しに浮かれ気分で遺跡観光。
石を積み上げた城壁の入り口をくぐると、
見渡す限りの芝生に転々と石造物群が並んでいる。

(マヤ遺跡 トゥルム1)

(トゥルム2)

(神殿)
神殿、穀物倉庫、住まいに井戸etc.海岸はサンゴ礁で海の色が美しい。
ボートに興じる人、砂浜で日光浴を楽しむ人、道路を少し入ると、
商店がずらりと並んで、道行く人に声をかけている。
とても陽気なメキシカーナのお譲ちゃんの声が印象に残る。
陽射しが強く明るいせいか、メキシコ人は全て陽気に見える。

(倉庫?)
その昔、スペイン語を習ったとき、陽気な先生は笑顔を絶やしたことが無い。
日本語がしゃべれない先生は、スペイン語と英語で授業を進めたが、
今記憶に残っているのは、羽毛布団の作り方とお国で一番偉い人は、
仕事をしないで遊んでいる人だということだ。

(明るいフェリーターミナル)
羽毛布団は布で大きな袋を作り、その中に羽毛をドンドン詰めていく。
布の袋は大きく丸く膨らむがそれをそのままベッドに置き、
大きな袋の真ん中に身を横たえる。膨らんでいる袋は中央で凹み、
両サイドが体の上にかぶさって来る。これが掛け布団の役割をするというのだ。
当時日本には羽毛布団は高級品で、庶民には手に入れることができない時代で、
本来の羽毛布団とはこんな造りになっているのかと感心して聞いていた。

(明るいフェリーターミナル2)
お国には、シエスタという午睡をすること、この時に子供が出来るということと、
驚いたときに発する言葉は、
「マリヤ!ヘッスス!×××!」(なんだったか忘れた部分がある。)
英語で言うと「Jesus Christ!」に代わるものであろう。
随分昔なのに、記憶している事柄が結構あるものである。
今ではほとんどを忘れているが、
スペイン語で「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」を読破した時期が懐かしい。

(明るいフェリーターミナル3)
陽気で陽射しの強いメキシコの遺跡は、
石の反射熱も青い芝生で癒されて、
珍しい神殿に降臨する神が足をガニマタに開いている像が滑稽で、
これが神様では信心が浅くなってしまうと日本人には感じられる。
最も日本の神様だって、メキシコ人が見ると噴出してしまうかもしれないのだ。
民族によってそれぞれでそれは良いのかもしれない。

(美しい海)

(がに股の足を開いて降臨する神様(右側)左側の神は笑っているのだろうか)

(がに股の神様2ー五穀豊穣の神)
旅行社のパンフレットを見ると、
神殿の長い階段を登って観光する写真を良く見かけるが、
階段は上り下りできるような幅がない(立ち入り禁止のため確認できなかったが)という。
この階段は子供のような大きさの神様が上り下りできれば良いらしい。
遺跡が残るマヤ人は絶滅したわけではなく、
入り口の売店や民族ショウをする人たちが子孫のマヤ人であった。
テレビで見かけるアメリカインディアンに似た中南米の人たちと同じであった。
石造物群の美しさは、
ピラミッドやまだ見たことは無いがマチュピチュの石造物群には敵わないに違いない。
それでも広~い芝生の中にある遺跡の美しさ、
その芝生の中を我が物顔にのそりのそりと歩くイグアナ、
切り立った断崖に建つ神殿と
サンゴ礁の美しいカリブ海の色の対比などを見学し、
異国の町並みの日本とは異なった街の色彩に満足して帰ってきた。

(美しいカリブ海の海に浮かぶ遺跡)
明日は移動日で終日海の中をクルージングして、
フロリダの海岸に接岸し船旅は終わる。
その後は、オプショナルツアーでNASAの宇宙研究所を観光する。

(イグアナ)

(明るい海岸)

(フェリー乗り場)

(明るい陽射しの中のホテル)

(帰りのフェリーボート)