中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

メキシコの遺跡(西カリブ海クルーズ 10)

2009年04月25日 09時34分06秒 | 船旅
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(プラヤ・デ・カルメン)
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(船着場の沖合いで楽しむヨット)
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(港町)

(メキシコの遺跡 トゥルムのマヤ遺跡)
次の寄港地はメキシコ。
プラヤ・デル・カルメンの港に到着。
明るい陽射しに浮かれ気分で遺跡観光。

石を積み上げた城壁の入り口をくぐると、
見渡す限りの芝生に転々と石造物群が並んでいる。
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(マヤ遺跡 トゥルム1)
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(トゥルム2)
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(神殿)

神殿、穀物倉庫、住まいに井戸etc.海岸はサンゴ礁で海の色が美しい。
ボートに興じる人、砂浜で日光浴を楽しむ人、道路を少し入ると、
商店がずらりと並んで、道行く人に声をかけている。
とても陽気なメキシカーナのお譲ちゃんの声が印象に残る。
陽射しが強く明るいせいか、メキシコ人は全て陽気に見える。
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(倉庫?)

その昔、スペイン語を習ったとき、陽気な先生は笑顔を絶やしたことが無い。
日本語がしゃべれない先生は、スペイン語と英語で授業を進めたが、
今記憶に残っているのは、羽毛布団の作り方とお国で一番偉い人は、
仕事をしないで遊んでいる人だということだ。
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(明るいフェリーターミナル)

羽毛布団は布で大きな袋を作り、その中に羽毛をドンドン詰めていく。
布の袋は大きく丸く膨らむがそれをそのままベッドに置き、
大きな袋の真ん中に身を横たえる。膨らんでいる袋は中央で凹み、
両サイドが体の上にかぶさって来る。これが掛け布団の役割をするというのだ。
当時日本には羽毛布団は高級品で、庶民には手に入れることができない時代で、
本来の羽毛布団とはこんな造りになっているのかと感心して聞いていた。
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(明るいフェリーターミナル2)

お国には、シエスタという午睡をすること、この時に子供が出来るということと、
驚いたときに発する言葉は、
「マリヤ!ヘッスス!×××!」(なんだったか忘れた部分がある。)
英語で言うと「Jesus Christ!」に代わるものであろう。
随分昔なのに、記憶している事柄が結構あるものである。
今ではほとんどを忘れているが、
スペイン語で「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」を読破した時期が懐かしい。
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(明るいフェリーターミナル3)
陽気で陽射しの強いメキシコの遺跡は、
石の反射熱も青い芝生で癒されて、
珍しい神殿に降臨する神が足をガニマタに開いている像が滑稽で、
これが神様では信心が浅くなってしまうと日本人には感じられる。
最も日本の神様だって、メキシコ人が見ると噴出してしまうかもしれないのだ。
民族によってそれぞれでそれは良いのかもしれない。
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(美しい海)
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(がに股の足を開いて降臨する神様(右側)左側の神は笑っているのだろうか)
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(がに股の神様2ー五穀豊穣の神)

旅行社のパンフレットを見ると、
神殿の長い階段を登って観光する写真を良く見かけるが、
階段は上り下りできるような幅がない(立ち入り禁止のため確認できなかったが)という。
この階段は子供のような大きさの神様が上り下りできれば良いらしい。

遺跡が残るマヤ人は絶滅したわけではなく、
入り口の売店や民族ショウをする人たちが子孫のマヤ人であった。
テレビで見かけるアメリカインディアンに似た中南米の人たちと同じであった。

石造物群の美しさは、
ピラミッドやまだ見たことは無いがマチュピチュの石造物群には敵わないに違いない。
それでも広~い芝生の中にある遺跡の美しさ、
その芝生の中を我が物顔にのそりのそりと歩くイグアナ、
切り立った断崖に建つ神殿と
サンゴ礁の美しいカリブ海の色の対比などを見学し、
異国の町並みの日本とは異なった街の色彩に満足して帰ってきた。
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(美しいカリブ海の海に浮かぶ遺跡)

明日は移動日で終日海の中をクルージングして、
フロリダの海岸に接岸し船旅は終わる。

その後は、オプショナルツアーでNASAの宇宙研究所を観光する。
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(イグアナ)
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(明るい海岸)
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(フェリー乗り場)
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(明るい陽射しの中のホテル)
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(帰りのフェリーボート)









英国領グランド・ケイマン(西カリブ海クルーズ9)

2009年04月17日 08時25分32秒 | 船旅
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(英領ケイマン諸島)
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(カリブ海を進む船で日傘が印象的)


(英国領 グランド・ケイマン)
グランド・ケイマンのジョージタウンに入港。
町の名は ジョージタウン。
響きも良い。

ジョージタウンの町の名は世界の複数箇所あるようである。
南アメリカのガイアナ協同共和国の首都はジョージタウン、
アメリカ合衆国のワシントンD.C.や、マレーシアのペナン島にあるジョージタウン、
フロリダの東にあるバハマ国のジョージタウンなどなど。

日本にもある。
東京の武蔵野「吉祥寺」を学生たちがジョージタウンと呼んでいる。
何のことは無い「吉」を省略して「祥寺=ジョウジ」タウンとしただけのこと。

こちらはグランド・ケイマンのジョージタウンに入港して、待ち受けていたバスに乗ると、
ガイドさんの英語がよく理解できるのが不思議で、
英語漬けになって六日目だからだろうと思ったが、
考えてみるとこちらは英国領、だから判り易いことに気がついた。

ボクの習った英語は「イギリス語」で米語ではなかったからだと気づかされる。
イギリスはもちろん、ヨーロッパでは英語が良く理解できたが、
ニュージーランドもオーストラリアもカナダも、
どちらかと言うとイギリス語で聞き取りやすかった。
アメリカ(初日はフロリダ)へ来たらいきなり言葉が聞き分け難くなる。
しかも船内はアメリカ人が2600人。ほとんどが米語である。

クルーズが始まって二日目のこと、身なりの良い年配のご婦人がボクたち
夫婦に話しかけてきた。
にこやかに話された内容は、夫が海軍で船長をしていて、
日本の横須賀に駐留したことがあると言う。その夫はすでに亡くなり、
今回は子供夫婦と孫と一緒に来て楽しんでいるが、
日本人にお会いして話がしたくなったと言う。
日本人は礼儀正しく親切で、日本に滞在中は本当に楽しい時間を過ごすことが出来た。
もう一度日本に行きたい。
ご婦人は日本人に解るようにゆっくりゆっくり話をされたので、
50年も昔に習った英語でも理解することが出来た。

ご婦人に
「今は何処に住んでいらっしゃいますか?」とお訊ねすると、
「ケープカナベラル」という。
「ボクたちもこのクルーズが終わったら、
ケールカナベラルのケネディ宇宙センターを見学する予定です。」と話すと
「せっかくアメリカに来たのだから、是非いろんな体験をして旅を楽しんでください。」と話されて、
お子さんたちが待っている方へ行かれた。

若しボクが日本に来た外国人に話しかけたとする、
最後に「せっかく日本に来たのだから、いろんな体験をして旅を楽しんでください。」なんて、
しゃれた会話が出来るだろうかと反省した。
英語には日本語で表現が出来ない素敵な言葉がある。
「Have a nice day!」(=素敵な一日でありますように)なんて言葉を日本人には使えない。

老婦人がゆっくり話してくれたのでよく理解できたが、
ヒラリー・クリントンが大統領候補の演説をしているときは、
何を言っているのかさっぱり解らなかった。
先だって来日したときの英語が良く判ったのは、
彼女も相手が日本人だと言うことを意識してゆっくり話したからだろうか。

この客船の船長はノルウェーの方だが、この船長が話したウエルカム・スピーチは、
スピーチの中の冗談さえ理解できたほど、英語が解りやすかった。
話が飛ぶが、バラク・オバマの演説が解りやすいのは、
オバマの英語は米語発音ではないからかもしれない。

脱線してしまったが、グランド・ケイマンは英国領であるために、
バスのドライバーが話す言葉が素直に耳に入ってきた。
やっぱり英語だからであろう。
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(海がめ)
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(飼育される海がめ)
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(海がめ)
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(海がめの飼育池の上のえさ待ちの鳥たち)
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(アカエイを餌付けした生息地に向かうカタマラン・ヨット)
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(南国の海の雲)
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(餌付けされたアカエイの戯れる旅行者たち)
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(アカエイ)
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(アカエイと戯れる)
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(餌を見つけて寄ってくるアカエイたち)

言葉のことはそれくらいにして、
ここでは海がめの飼育場見学と、
アカエイの見物と本物のアカエイに触れる体験が待っている。
さらにHell(=地獄)という名のつく町を訪れて、そこから孫たちに絵葉書を発送する。
つまり地獄からの手紙。
地獄から届く爺ちゃんの手紙という冗談に、
孫たちはどのような反応を示すのであろうか? 
楽しみではあった。
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(地獄へようこそとある。(Hellという名の町)
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(地獄の様相というのであるが、本当?)



ジャマイカ(西カリブ海クルーズ8)

2009年04月11日 09時38分43秒 | 船旅
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(ジャマイカで下船する)

(ジャマイカ)
ジャマイカで思い出すのは、歌手のナットキングコールとブルーマウンテンコーヒーだ。
歴史と地理、音楽と水泳が殊の外苦手なボクが、好きな音楽家が二人いる。
一人はショパンで、もう一人がこのナットキングコールである。

ショパンは「戦場のピアニスト」の映画で、ナットキングコールはアメリカのTVドラマ「ルート66」が
「ララミー牧場」と共に人気番組であったことから好きになった。
唄は、「ルート66」「マチルダ」「デイ・オー」「モナ・リサ」「トゥヤング」他を
ナットキングコールで聞いているとしびれてしまう。

ナット・キング・コール"モナリザ"


カリブ海の人たちは、アフリカから奴隷となって連れてこられた人たちが多く、
アフリカのリズムを原点に、新しいリズムがカリブ海からスタートして
世界に広まっていると言う。マンボ、カリプソなどがそのようだ。

中南米の音楽を知るには、「ブエナ ビスタ ソーシャル・クラブ」の映画を観なければならないと、
誰かが言うのでレンタルショップでビデオを借りて鑑賞した。
音楽苦手意識のあるボクには、やはりその良さがわからなかった。
ディズニーの「ファンタジア」でも観ていたほうが、ボクには似合うし、
どちらかと言うと、前年訪ねた南アフリカでお土産に買ってきたアフリカの音楽CD,
「Out of Africa」に収録の太鼓を基調とした音楽のほうが好みである。

船はジャマイカの「オーチョ・リオス」と言う港に入港する。
「オーチョ・リオス」とはスペイン語で「オーチョ=数字の8」「リオ=川」
「ス=複数を意味する」で「八つの川」を意味する。
「リオ・デ・ジャネイロ」「リオ・グランデ」も同じように、
「ジャネイロ川」「グランデ川」のように川を意味する。
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(ダンズリバーの滝、岩の上を登る)
ジャマイカのオーチョ・リオスでは、
ロッククライミングならぬ滝登りをすることになっている。
滝登りと聞くと、鯉の滝登りを連想するが、
滝は滝でも急流が流れる岩の坂道を登ることである。
流れに足をとられて岩の上を滑るほどの急流ではなく、
手をつなぎあって登れば何とか登れる範囲である。
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(滝登りの模様)
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(滝登りのスタート地点)
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(だんだん急流になっていく)
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(急流1)
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(急流2)
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(急流で動けない人もいる)

ダンズ・リバーの滝登りという。英語だからこうなるが、
スペイン語で言えば「リオ・デ・ダン」の滝登りと言うところだ。
それでも滝の長さは距離にして500mほどあるから、
そうとうなスリルを味わうことが出来る。

ボクは糖尿病の合併症で末梢神経の麻痺があり、
手足の指先がしびれるので、手先足先に力が入らず、
また、冷たいところに手足を入れると痛みを感ずるので、
こんなことには参加できないのが残念である。

船に乗っている日本人客は総員26名であるが、
この滝登りに参加しなかったのは,
ボクを含み70歳過ぎのジジ・ババ5~6人ぐらいなものであった。
見るからに楽しそうであったが、ボクはカメラマンに徹して皆さんに喜ばれた。
0131

カリブ海は何処でもそうだが、周りの海は澄んでいて視界が利き、
次の訪問地 英国領グランド・ケイマンと共に、
ダイビングにはもってこいの場所だそうだ。
これまた、水の中は苦手なボクにはノンフィクション映画でも観て、
あるいは「グランブルー」と言う映画でも観て、
満足するということになろうか。

ジャマイカではブルーマウンテンコーヒーを、
お土産にしこたま仕入れたのは言うまでも無い。

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(ブルーマウンテンコーヒーのお土産屋さん)





ハイチ(カリブ海クルーズ7)

2009年04月02日 08時29分14秒 | 船旅
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(ハイチ:ラバディ)

(最初の上陸地 ハイチ)
カリブ海クルーズで最初の寄港地がハイチ共和国。
ボクたちが乗っている豪華客船の船主は、
同じような船を何艘も持っている大金持ちである。
この金持ちはハイチ共和国の突き出た半島の海岸のほぼ全部を所有している。
そのプライベート・ビーチに、従業員を200人を配置して、
乗船客に豊かなリゾートライフを満喫してもらおうと言う算段である。
常夏の海岸リゾートは美しく、海は綺麗で砂浜にごみ一つ落ちていない。
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(リゾートのひと時)
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(木陰のハンモックでのんびり時を過ごす人)
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(ビーチ)
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(波の音しか聞こえない海岸)

海岸の砂浜に陣取ろうとすると、座椅子が運ばれてくる。
背もたれを倒せばベッドにもなる。
ここにいる限り第一級のセレブ扱いである。
半島には、転々とキオスクに似た店が置かれていて、
有料ではあるが、飲み物はジュースからワイン、
ビールに御つまみもふんだんに揃っている。
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(ビールもおつまみも)
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(ヨットも)
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(肌を焼くのも)
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(ヨット遊び)

遊ぶ道具は、ヨットからダイビングの道具、パラセーリング、
高い山の上から海岸まで1km以上長いワイヤーロープを渡して、
ゴンドラで滑り降りるスリリングな遊び、
現地人の作った民芸品のお土産コーナーから、民族衣装を着けたダンスの披露、
カリプソの軽快な音楽に心もうきうき楽しい時間が過ぎていく。
木陰でうとうと昼寝もよし、海に入って泳ぐのもよし、
昼時になれば、船のシェフの活躍で、バーべキュウがパンと共に無料で食べ放題。
後を片付けるのも200人の従業員がてきぱきやってのける。
まさに上げ膳据え膳の一日である。家事は何もすることが無い生活である。
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(カリプソも)
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(ダンスショウも)
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(その楽団も)

これを一度経験すると、カミサン連中は二度も三度も来てみたくなるのであろう。
水着一枚の裸で過ごすのであるから、下手に衣装の心配も要らない。
遠くに停泊している船に帰りたければイツ帰ってもよく、
バーべキュウが嫌な人は船で上品なお食事にすることも可能で、
食事が済んだらまたビーチに戻り、
遊び呆けることも出来る。
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(マーケットに集まる船客たち)
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(お土産に仮面を)
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(髪の毛を編むのもあっという間)
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(お客の帰りを待つ客船)

一日のんびりビーチを散策して、日が傾いてきたころに船に帰る。
船は次の寄港地に向けて、文字通り白河夜船の夢心地のうちに、
航海を進める。

陸の上にいる限り、ボクたちは最高に楽しい時間を過ごせる。

次の訪問地はジャマイカのオーチョ・リオスである。