![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/bd/9693777a0b89f916afe9f16cd7113082.jpg)
(不破の関跡)
(関が原宿 6)
左手に見えた白い壁の建物は不破の関跡である。
不破の関については、
(東山道の美濃不破の関は、東海道伊勢の「鈴鹿の関」、
北陸道の越前「愛発の関(あらちのせき)」とともに、
古代律令制下の三関の一つとして、
壬申の乱(673)後に設けられたとされています。
延暦八年(798)に停廃されて後は関守が置かれ、
平安時代以降は、多くの文学作品や紀行文に関跡の情景が
しきりと記されてきました。)(関が原町)とある。
不破の関の建物の奥が小公園になっており、
不破の関守の屋敷跡がある。
その屋敷跡にさまざまな石碑(歌碑・句碑等)が建っている。
説明あるように、平安時代以降は、
文芸作品や紀行文に不破の関が記され、その痕跡として石碑である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/55/6921890ec6a24aa087f69cc8409405c7.jpg)
(不破の関守屋敷跡が小公園になっており、歌碑や句碑等が立ち並んでいる。)
いくつか残っている中で
ボクに文字など読み取れる石碑を一つ紹介しておきたい。
・秋風や 藪も畑も 不破の関 芭蕉
と芭蕉が詠んだ句碑である。
あとはボクには読み取れない石碑ばかりであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/62/41d0cb01f7a1a40c8d170bb39777db56.jpg)
(芭蕉句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/c2/2417c16a3ff4ac459237443076eada95.jpg)
(文字も見えなくなっている石碑1)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/41/6f03d26ad862c5de6040a43f17bd17b4.jpg)
(文字も見えない石碑2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7e/f5968b40b32ce9953a5dbe3f7f4e9e1a.jpg)
(かろうじて読める石碑3)
(*)帰宅後調べた所、
(石碑1)みなうつるちかづきの顔月見かな 支考
(石碑2)大友の王子の王に点うちてつふす玉子のふわふわの関
蜀山人の狂歌
(石碑3)名月や山も谺に起きとをし 廬元坊
であることが分った。
不破の関跡の前にある中山道は二股に分かれており、
その間に道標が建っている。
「左 旧中仙道」 「右 中仙道 大谷吉隆墓 十丁」
と刻まれている。
左は下り坂になっており、右は登り坂で、
その上り坂を30mも行くと、右手に不破の関資料館がある。
資料館を見学して不破の関がどれほどのスケールで
あったかを頭に入れておきたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/5e/5b41bdf07be9fc9d5be718e6f59051f4.jpg)
(二股に分かれる道路、右奥に見える東屋の右手が資料館)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/42/b1a02bbdaf4efc671e855ec3f4b00b05.jpg)
(左が旧中山道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/1c/751b284a6cb07f8080f437fa358277d2.jpg)
(資料館の案内)
旧中山道に戻り、坂を下る。
下りきった所に藤古川が流れており、
不破の関の西限と言われている。
その手前に関が原町の説明板が建っており、
西城門(にしきもん)が在ったとされる。
この辺り道路の真ん中に融雪用の水路があり、
積ご近所の方に聞くとやはり豪雪地帯であるらしい。
雪の時は地下水をまいて雪を溶かす融雪装置がある。
(積雪の多い新潟県の長岡で見たことがある)
坂を下りきると、藤古川に掛かる橋がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/d4/c249251e605dd64a2d422bde96f52705.jpg)
(下り坂、下りきったところが藤古川)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/cb/61ed3bc8a0fad69bfc70ef5cf61a629f.jpg)
(藤古川に掛かる橋)
(石碑3)名月や山も谺に起きとをし 廬元坊
であることが分った。
不破の関跡の前にある中山道は二股に分かれており、
その間に道標が建っている。
「左 旧中仙道」 「右 中仙道 大谷吉隆墓 十丁」
と刻まれている。
左は下り坂になっており、右は登り坂で、
その上り坂を30mも行くと、右手に不破の関資料館がある。
資料館を見学して不破の関がどれほどのスケールで
あったかを頭に入れておきたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/5e/5b41bdf07be9fc9d5be718e6f59051f4.jpg)
(二股に分かれる道路、右奥に見える東屋の右手が資料館)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/42/b1a02bbdaf4efc671e855ec3f4b00b05.jpg)
(左が旧中山道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/1c/751b284a6cb07f8080f437fa358277d2.jpg)
(資料館の案内)
旧中山道に戻り、坂を下る。
下りきった所に藤古川が流れており、
不破の関の西限と言われている。
その手前に関が原町の説明板が建っており、
西城門(にしきもん)が在ったとされる。
この辺り道路の真ん中に融雪用の水路があり、
積ご近所の方に聞くとやはり豪雪地帯であるらしい。
雪の時は地下水をまいて雪を溶かす融雪装置がある。
(積雪の多い新潟県の長岡で見たことがある)
坂を下りきると、藤古川に掛かる橋がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/d4/c249251e605dd64a2d422bde96f52705.jpg)
(下り坂、下りきったところが藤古川)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/cb/61ed3bc8a0fad69bfc70ef5cf61a629f.jpg)
(藤古川に掛かる橋)
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