(関山中尊寺入口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6f/ff332bab3dd4c561c696b70fc4665510.jpg)
(平泉 5)
(中尊寺)信号を渡った右手は「関山中尊寺」の石柱がみえ、
月見坂が奥に続いている。
(中尊寺)の信号左手に、古い松の生えた一画があり、ここが弁慶の墓である。
弁慶の墓には立派な墓碑があり、墓は竹垣に囲まれ一段高くなっている。
そこに松が植えられ、五輪の塔と句碑が建っている。
義経の居城高館が焼打ちされるや、弁慶は寄せ来る敵の前に立ち、
(この先に進むことならず)と長刀を立てて立ちふさがった。
最後まで主君を守り、ついに衣川の古戦場で立往生したと言う。
遺骸をこの地に葬り五輪の塔を建て、
後世、中尊寺の僧 素鳥の詠んだ句碑が建てられた。
句碑に
・色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊
とある。
(弁慶の墓の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/e4/502afbf8f57c247555c436ce23f5a57a.jpg)
(武蔵坊弁慶の墓の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/f0/4ff43b9042102ea0014d375db1170bfe.jpg)
(松の木と五輪の塔と句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/5f/99c77c9ab62ef5161e8fde1309b61414.jpg)
(武蔵坊の「武」がかろうじて読める句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/5e5e59d686fefaaf4d77b55ef8de0dfb.jpg)
ボクより若いハイキング参加者は、月見坂をどんどん先へ行く。
一番最後を遅れながら、喘ぎ喘ぎ月見坂を登って振り返って見ると、
月見坂は大杉に囲まれた美しい坂道であった。
(古杉に囲まれた美しい月見坂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d3/f62555e5e3ee968a118777d9dee93c19.jpg)
左手に弁慶堂がある。右手を「東物見台」と言い、
眼下に衣川があり北上川に合流している。
ここが衣川の古戦場であり、弁慶立往生の地とも言われる。
しかし伝説では義経とともに大陸に渡り、暴れまわっていたとも言う。
「東物見台」左手に西行法師の歌碑がある。
・ききもせず 束稲やまのさくら花
よし野のほかの かかるべしとは
とあるようだ。(読めなかったので)
(衣川の古戦場。右手に見える橋の下を流れる衣川、手前の陸橋は東北新幹線)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/4121a4f20c60719a9eaa94db86b81881.jpg)
(右手に束稲山が見える古戦場)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/6b/b98782c8b71475c3975ea4d5a6b0cb30.jpg)
(西行法師の歌碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/46/35bb3a21e6062a64d99c8129d2cecc8c.jpg)
(弁慶堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/ff/56c27c4b94dfff8d2adcc290a38248f3.jpg)
(立ち往生した弁慶を演じる一関学院の高校生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/41/9bdc1878623e05d1517c8fad07bab3e7.jpg)
その弁慶堂の先の右手に地蔵堂が見える。
地蔵堂に入る手前の右手に、臼田亜浪の句碑、
・夢の世の 春は寒かり 啼け閑古 亜浪
とあり、その先に、もう一つの西行法師の歌碑がある。
始めに説明文があり、続いて和歌がある。
「みちのくにに 平泉にむかひて 束稲と申す山の
はべるに はなの咲きたるを 見てよめる。
・ききもせず 束稲やまの さくら花
よし野のほかに かかるべしとは」
とある。
奥州藤原氏が栄えた時代には、この束稲山には一万本の桜が植えられていたという。
平安時代の歌人西行法師が平泉を訪れた際にその桜を見て、
詠んだ歌碑が建てられている。
奥州藤原氏がよし野を偲んで桜を植えたものと思われる。
(地蔵堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/bc/58693813c5381640e11e2121070e295e.jpg)
(地蔵堂へ入るまでの右手に臼田亜浪の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0d/a694d71615a3e75ccf0a173db9edc3bd.jpg)
(「夢の世の・・」の句)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f5/36a5db83fa7c76ca0034a4b3e46ae585.jpg)
(説明文と並んである西行の歌碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/f7/91af5d4f0d7f69d21e423de034fc6144.jpg)
・秋空の ガイドに聞き入る 弁慶堂 hide-san
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6f/ff332bab3dd4c561c696b70fc4665510.jpg)
(平泉 5)
(中尊寺)信号を渡った右手は「関山中尊寺」の石柱がみえ、
月見坂が奥に続いている。
(中尊寺)の信号左手に、古い松の生えた一画があり、ここが弁慶の墓である。
弁慶の墓には立派な墓碑があり、墓は竹垣に囲まれ一段高くなっている。
そこに松が植えられ、五輪の塔と句碑が建っている。
義経の居城高館が焼打ちされるや、弁慶は寄せ来る敵の前に立ち、
(この先に進むことならず)と長刀を立てて立ちふさがった。
最後まで主君を守り、ついに衣川の古戦場で立往生したと言う。
遺骸をこの地に葬り五輪の塔を建て、
後世、中尊寺の僧 素鳥の詠んだ句碑が建てられた。
句碑に
・色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊
とある。
(弁慶の墓の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/e4/502afbf8f57c247555c436ce23f5a57a.jpg)
(武蔵坊弁慶の墓の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/f0/4ff43b9042102ea0014d375db1170bfe.jpg)
(松の木と五輪の塔と句碑)
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(武蔵坊の「武」がかろうじて読める句碑)
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ボクより若いハイキング参加者は、月見坂をどんどん先へ行く。
一番最後を遅れながら、喘ぎ喘ぎ月見坂を登って振り返って見ると、
月見坂は大杉に囲まれた美しい坂道であった。
(古杉に囲まれた美しい月見坂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d3/f62555e5e3ee968a118777d9dee93c19.jpg)
左手に弁慶堂がある。右手を「東物見台」と言い、
眼下に衣川があり北上川に合流している。
ここが衣川の古戦場であり、弁慶立往生の地とも言われる。
しかし伝説では義経とともに大陸に渡り、暴れまわっていたとも言う。
「東物見台」左手に西行法師の歌碑がある。
・ききもせず 束稲やまのさくら花
よし野のほかの かかるべしとは
とあるようだ。(読めなかったので)
(衣川の古戦場。右手に見える橋の下を流れる衣川、手前の陸橋は東北新幹線)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/4121a4f20c60719a9eaa94db86b81881.jpg)
(右手に束稲山が見える古戦場)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/6b/b98782c8b71475c3975ea4d5a6b0cb30.jpg)
(西行法師の歌碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/46/35bb3a21e6062a64d99c8129d2cecc8c.jpg)
(弁慶堂)
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(立ち往生した弁慶を演じる一関学院の高校生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/41/9bdc1878623e05d1517c8fad07bab3e7.jpg)
その弁慶堂の先の右手に地蔵堂が見える。
地蔵堂に入る手前の右手に、臼田亜浪の句碑、
・夢の世の 春は寒かり 啼け閑古 亜浪
とあり、その先に、もう一つの西行法師の歌碑がある。
始めに説明文があり、続いて和歌がある。
「みちのくにに 平泉にむかひて 束稲と申す山の
はべるに はなの咲きたるを 見てよめる。
・ききもせず 束稲やまの さくら花
よし野のほかに かかるべしとは」
とある。
奥州藤原氏が栄えた時代には、この束稲山には一万本の桜が植えられていたという。
平安時代の歌人西行法師が平泉を訪れた際にその桜を見て、
詠んだ歌碑が建てられている。
奥州藤原氏がよし野を偲んで桜を植えたものと思われる。
(地蔵堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/bc/58693813c5381640e11e2121070e295e.jpg)
(地蔵堂へ入るまでの右手に臼田亜浪の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0d/a694d71615a3e75ccf0a173db9edc3bd.jpg)
(「夢の世の・・」の句)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f5/36a5db83fa7c76ca0034a4b3e46ae585.jpg)
(説明文と並んである西行の歌碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/f7/91af5d4f0d7f69d21e423de034fc6144.jpg)
・秋空の ガイドに聞き入る 弁慶堂 hide-san