中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

西首塚と福島正則陣跡(旧中山道を歩く 278)

2011年11月08日 10時37分30秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2


(脇本陣跡)


(365号線の交差点)


(西首塚)

(関が原宿5)
中山道を歩き始めてから、今日で43日目。(2011年10月18日)
天候晴れ、気温24℃の予想。
東京発6:26新幹線で名古屋。
JR名古屋発8:39→JR大垣→JR関が原着9:27。

JR関ヶ原駅を出て、中山道となる国道21号線を右折する。
まもなく脇本陣跡があり、385号線と交差する信号に出る。
ここを右折すると北陸へ延びる北国街道である。

横断歩道でこの信号を渡り、中山道を直進する。
すこし行くと右手に戦国武将の旗指物がはためいている所があり、
近づくと西首塚とある。
奥のほうに小さな祠が二つ並んでおり、
馬頭観音や千手観音が祀ってある。
その中央が塚になっており、大樹の下に首塚はある。
しかし塚の上に建っている石柱には、
「関が原合戦戦死者胴塚」と刻まれている。

関が原教育委員会の説明によれば、
(戦死者数千の首級を葬った塚である。)としている。
また、塚の上には小さな五輪塔が沢山並んでいる。


(千手観音と馬頭観音の二つの祠)


(少し見難いが戦死者胴塚とある)


(塚の上の数多く残るの五輪塔)

そこから少し先に国道21号線から分かれて左に入る道がある。
この道が中山道ではなく、少し先に(松尾)の信号があるところに、
左折道路があり、入り口に「是より中山道 関が原町」と書かれた
標柱があるところで左折するのが正しい。


(左折する道があるがここは曲がらない)


(国道21号線上の「松尾」の信号を左折)


(信号脇の左折道路の左手に「是より中山道」の標柱がある)


)「中山道」の案内標柱)

やがて、不破の関の東城門(ひがしきもん)跡があり、
関が原町の説明によれば、
(東城門は日の出とともに開門され、
日の入りとともに閉門された。
また奈良の都での事変や天皇の崩御など、
国家的大事変が起きると、
中央政府の指令によって固関が行われ、
すべての通行が禁止された。)とある。


(不破の関東側の大木戸ー東城門ー跡、と福島正則陣跡の案内)

ここに福島正則陣跡100mの案内があるので、
寄り道をすることにする。
そこは福島正則陣跡であると同時に、
春日神社にもなっている。
神社前には、その昔月見の名所であった場所に「月見の宮大杉」と呼ばれ、
樹齢800年余と推定される、
関が原町指定天然記念物の杉の大木がある。

ここに、関が原の合戦の折、福島正則が陣を敷いた場所である。
福島正則については、
(福島正則は関が原の合戦の折、先鋒となったが、
一番鉄砲の功名を井伊直政隊に横取りされるや、
正則自ら鉄砲隊を指揮して、
宇喜多隊に一斉射撃を浴びせるなか、
一進一退の攻防戦が続きました。)(関が原町)とある。
秀吉の出自が武士ではないので、
その家来たちは賢いとはいえない人々が多く、
粗野で直情径行にあり、腕力だけはひけを取らない。
福島正則も、おだてられれば、
すぐ敵の味方についてしまうような人だったに違いない。

中山道に戻り先に進むと、左手に白壁の美しい建物が見える。
不破の関である。


(福島正則陣跡への道)


(福島正則陣跡、月見の宮大杉)


(不破の関跡)









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