中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

常盤御前の墓と今須峠(旧中山道を歩く 281)

2011年11月22日 10時04分33秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2


(二つある東海道本線にガード)

(今須宿)
鶯の滝を過ぎると、東海道本線のガードが見える。
道路は二股に分かれガードも二つある。
どちらが中山道か迷った挙句、左手のガードの方向に行くと、
二又道路の又の所に、案内があり中山道は右側を指している。

と、うまく書いたが、実は知らないで左側をまっすぐ歩いてしまった。
行けども、行けども「常盤御前の墓」らしきものはない。
案内書によれば、すぐ到着するはずであるのに変だなと思っていたら、
右側から出てくる道が合流してきている。

右側の合流している道を覗くと、
「常盤御前の墓」の案内看板が見えるではないか。
間違ってしまったかと、元の東海道本線のガードまで戻り、
よくよく見ると、何のことは無い、最初に書いたように、
二又の又の所に、「常盤御前の墓」の案内があるではないか。
失敗のことを書くのは今回初めてであるが、
本当は、道を間違える失敗はいつものことで、今始ったことではない。

それにしても正しい道を先に進むと、先にまた二又道がある。
今度は間違えないように、あたりを注意深く見回すと、
案内があったので、今度は左方向の道をとる。
先に進むと右手に「常盤御前の墓」右方向の案内があり、手前に地蔵堂がある。
右に折れるとすぐ左に、
小公園があり「常盤御前の墓」があった。


(東海道線のガードは右が正しい)


(先の二又道路は左へ行くのがが正しい)


(常盤御前の墓右の看板前の地蔵堂)

宝篋印塔と五輪塔が並んで建ち、
その右隣には芭蕉と弟子の化月坊の句碑が立っている。
関が原町の説明では、
(都で一番の美女と言われ、十六歳で義朝の愛妾となった常盤御前。
義朝が平治の乱で敗退すると、
敵将清盛の威嚇で常盤御前は今若、乙若、牛若の三児と別れ、
一時期は清盛の愛妾にもなります。
伝説では、東国に走った牛若の行方を案じ、
乳母の千種とあとを追ってきた常盤御前は、
山賊に襲われて息を引き取ります。
哀れに思っさ山中の里人が、
ここに葬り塚を築いたと伝えられています。)とある。

向って左が常盤御前の墓で、今も生け花が真新しいのは、
ご近所の方が毎日手入れされているからであろう。


(左側に小さく見える常盤御前の墓)


(常盤御前の墓の全体景)


(左側が常盤御前の墓といわれる。)


(宝篋印塔と五輪塔が並んで建つ)

となりの芭蕉句碑には、

・義ともの心耳 似多里秋乃可世   者世越翁(はせおおうの変体かな)
(義朝の心に似たり秋の風 芭蕉翁)

とあり、もう一つの芭蕉の弟子の句碑には、

・その幹に牛も かくれて佐くら哉  七十六雙(おきな) 化月坊
       (その幹に牛もかくれてさくらかな 化月坊)

とある。関が原町の説明では、
(化月坊は慶応四年(1868)には、
この塚の前に俳人接待のための「秋風庵」を開いた。
庵開きには十数人の俳人が参加し、盛大な句会が催されたという。
その後庵は日守の一里塚東隣(現垂井の一里塚東隣)に移築され、
茶所として旅人の休息所、
句会の場となって活用されることとなった。)とある。


(左が「義朝の・・・」芭蕉句碑、右が「・・・さくらかな」化月坊の句碑)


(コスモスの咲く道路脇)

「常盤御前の墓」の公園を出て、中山道を行くと左から来た道路に合流する。
すぐにまた次の二又道に出る。どこにも案内はない。
左に行けば国道21号線の道路下をガードで潜り抜けるようだ。
右に行けば線路沿いに行くことになるが、上り坂で先の方まで見渡せる。
案内書では線路の下をくぐるように書いてあるが、
どこにもくぐりそうな場所は見当たらない。
二又道路の間ににお地蔵さんがあるが、
お願いしても教えてくれそうもない。
うろうろしていると後ろから一台乗用車が勢いよく走っていった。
早く自動車に気づけば手を挙げて、せめて方向だけでも聞けたのに・・・残念。


(二又道を左へ行けばガードはあるが・・・)


(お地蔵さん、後で調べたら背面に方向が書いてあったらしい、読めるかどうかは別として。)

止むを得ずリュックを下ろして、関が原で貰った地図を取り出すと、
道路は線路を「踏み切り」でまたぐ様になっている。
左右の道路の間に石の地蔵さんがいるが、
お地蔵さんに訊いても、
石だからきっと首も振らないに違いない。
間違っても良いと、線路に沿って登り坂を相当歩くと、
先に踏切が見える。


(沿って歩いた線路)(振り返ったらこんな感じ)


(先の踏み切りを渡る)

この踏切を渡り、山の中へ入っていく。

今須峠である。

坂道をぐんぐん登り、
道路が右に左に少し曲がり見晴らしの良い広い所に出ると、
これが国道21号線で、
道路向こう側の右手に案内書どおりの一里塚が見える。

今須宿である。


(山の中へ上り坂)


(山の中へ登り坂2)


(山が少し開けて来た下り坂、今須峠というらしい)


(出たところが国道21号線、右手に今須の一里塚が見える)









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