中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

スタート前に(日光・奥州道中を歩く 1)

2013年12月05日 22時06分54秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(日本橋の信号)


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どういう風が吹いて、その気になったのだろうか?
日光・奥州道中を歩いてみようと思い立った。
2014年1月26日のこと。

以前勤めていた会社で、定年になって17年も経つのに、
お祝いを頂戴した。
ボクは会社に余程貢献したらしいと勝手に思っている。
その喜寿のお祝いを、資金の一部にして、歩こうと言うのだ。
なんか、ずいぶん沢山頂戴したようであるが、
少なくも地方に出れば一泊二日ほどの費用に、
都内なら10日ほどの費用に充当できそうである。

(日本橋)


奥州街道は、金売り吉次も、義経も弁慶も歩いた。
芭蕉も歩いたが、芭蕉が憧れる能因法師も、
西行法師も歩いた。

歌人や俳人が歩いたので、斉藤茂吉も歩いた。
奥州街道に沿って、芭蕉の奥の細道があったために、
その後沢山の人たちが、そのあとを追って歩いた。
芭蕉は岩手県の平泉まで行っている。

こんなことを言っているボク本人も、
芭蕉の奥の細道をたどって歩き、
その原形は奥州街道にあるということが判って、
今、歩こうとしている。
奥州街道は一体何処までなのだろうか。

徳川家康が五街道を制定した時には、
奥州道中は、福島県の白河まで、と言う事になっているが、
高野長英が母を訪ねてお別れに行ったのは、
奥州の水沢(今の奥州市水沢区)であることを考えると、
仙台を越えて、岩手に入り、青森の一戸宿から、
北海道の函館奉行所があった函館までを言うのだろうか。

(五街道制定の起点 日本橋)


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いずれにせよ、先のことはボクにはわからないし、
千キロ以上もある先のことは、
あとでその場所に着いてからゆっくりと考えよう。
その前に生命が終りになってしまうかもしれない。
その時はその時、芭蕉ではないが、

・ 旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐり

くらいの境地で行く事にしようと思う。
何処までいけるだろうか。
(日本橋2)