今日ここに歩いてくると思いながら周りを眺める。
田舎の田園の中を通る道路脇に、
民家がへばりついているという雰囲気の道である。
その先には紅葉真っ盛りの山の嶺が続いている。
歩いている時は、なかなか回りの山の景色など目に入らない。
電車はずいぶん先の方まで進んでいく。
やっと五個荘の駅に着く。
五個荘町――立派な名前だ。
平安時代以前に誰か有力な公卿さんでも住んでいたのだろうか、
広い荘園が五つもあるような、
想像も出来ないような広い荘園だったのだろうか。
無人駅を降りたのはボク一人だけ。
寂しいと言うか侘びしいと言おうか、
それでも駅舎だけは素敵な形であった。
300メートルも歩いて(福祉センター785m)の標識を左折する。
これが中山道である。
(近江鉄道 五個荘駅の駅舎)
(右側の道路が旧中山道)
歩いていると、五個荘の町は大きな家が多くあるように感じられる。
近江商人の町で豊かな人たちが多いのであろう。
「近江泥棒 伊勢乞食」と言う言葉を、ボクは子供の頃よく聞かされた。
近江の商人は商売上手で、泥棒するように儲けている。
泥棒は原価が0円だけれども逮捕される危険がある。
伊勢乞食はもっとひどい、伊勢の商人は元手なしで儲けるほど、
商売が上手い。
いずれも商売上手で儲け上手をひがんで言ったものだ。
(大きな家が多い)
(大きな家2)
(大きな家3)
(大きな家4)
(大きな家5)
左手の石垣に囲まれて「小幡神社御旅所」の石塔が立っている。
石塔の後ろには左に小さな鳥居と神殿があり、
右横には神輿の格納庫がある。
小幡神社の祭礼の時、お神輿が休憩する場所なのであろう。
(*)筆者注:御旅所とは、神社の祭礼の際、祭神が巡幸するとき、
神輿(みこし)を仮に鎮座しておく場所を言う。
つまり休憩場所のことだ。
(御旅所)
その先で道路は二股に分かれ、真ん中に道標があり、
「右 京みち 左いせ ひの 八日市 みち」とある。
これが御代参街道の追分。
御代参街道は、八日市、日野を経て東海道に続く道で、
伊勢や多賀大社への参詣、近江商人の商用に利用された道である。
(二又の道)
(道標:左いせ・ひの・八日市みち)
(道標:右京への道を行く)
中山道は当然右の京への道をとる。
やがて道路は「常夜灯」に突き当たり、常夜灯前で右方向へ行くのであるが、
さらに右へ折れる道があり、角に「正眼禅寺」の石碑が立っている。
また「常夜灯」は、旧中山道ポケットパークの一角に建っており、
竿の部分正面に「大神宮」とあり、側面に「村中安全」と刻まれている。
(常夜灯)
(ポケットパーク内の常夜灯、大神宮と刻まれている)
(常夜灯の右にある「正眼禅寺」の石碑)
「正眼禅寺」は、30mほど奥まった所に山門があり、
山門をくぐると正面に本堂があり、左手に「行者堂」がある。
とても静かな佇まいで、落ち着いた雰囲気をかもし出している。
お寺を出て、中山道を行き小幡川の橋を渡ると、
右からの道に合流し左折する。
少し歩くと、田舎にしては豪華な五個荘町役場が右手にある。
これも近江商人の力の一つであろうか。
(正眼禅寺の山門)
(正眼禅寺の本堂)
(行者堂)
(小幡川の橋、その向こうの家も大きい)
(左折して小幡川沿いの中山道)
(中山道沿いの五個荘の町役場)
道路は川沿いに進む。右にある地蔵堂の前を通り進むと、
左手に五個荘を描いた「中山道分間延絵図(なかせんどうぶんけんのべえず)」が掲示されている。
後ろは小幡川が流れていて、川の向こうには、
畑が奥まで続き、山の麓まで広がっているように見える。
中山道を進むと街道には不似合いな洋風の建物もあるが、
全体として大きな立派な家が並んでいるのは、
近江商人の力で稼いだ結果なのだろうか。
(旧街道らしい風景、右手の家も大きい)
(地蔵堂の前を行く、脇の家も大きい)
(五個荘の中山道分間延絵図)
(後ろの小幡川の先に広がる水田は山の麓まである。)
(街道にふさわしからねが立派な洋館)
(この家も大きい)
(この立派な家並み)
(紹介しきれない立派な家々)
大きな家々が途切れ、向こうの山すそまで続く田圃の手前に、
大きな常夜灯がポツンと建っている。
常夜灯の向こうは広がる田圃の後ろに近江鉄道の電車が走っている。
常夜灯は「左 いせ」「右 京道」の道標になっている。
昔は、海のような田圃の中に道標として建てた常夜灯であろう。
(道標の常夜灯、後ろは水田地帯)
(右京道とある)
次の信号は直進すると、
左手に「明治天皇北町屋御小休所」の石碑が建つ小公園がある。
近江商人の豪壮なの屋敷址と思われる。
左手には「北町屋の郷」が残され、
京町屋風商家として、市田庄兵衛家が残されている。
五個荘町の説明では、
(江戸時代から呉服繊維商として、
京都大阪で活躍した、市田庄兵衛家の本宅です。
奥に細長い京町屋風の建築様式で北町屋町が購入管理している。)とある。
(「明治天皇北町屋御小休所」の石碑)
(保存されている京町屋風商家)
(北町屋の里)
その先に「大郡神社」があり、「大郡神社」の石碑には、
帝政ロシアのバルチック艦隊を打ち破った軍神、
(伯爵 東郷平八郎の書)と刻まれている。
(「大郡神社」の石碑)
(東郷平八郎の書)
その先信号の右向こう側には、「元ういろうや」と
「金毘羅大権現」と刻まれた常夜灯がある。
先に進む。
右手に近づく国道8号線と旧中山道との三角地帯に、
「てんびんの里」のモニュメントがある。
旧中山道は国道8号線に合流していくが、
少し先の信号で右折し国道8号線から離れていく。
(信号の先右角に常夜灯と「ういろうや」)
(国道8号線との合流地点)
(てんびんの里モニュメント)
(てんびんの里モニュメント、右側が歩いてきた旧中山道)
信号を右折したらすぐ今度は左折する。
左折したすぐ右角は五個荘清水鼻町自治会館がある。
細い旧中山道を先に進むと「旧中山道 清水鼻の名水」が右側にある。
その場所は小公園になっており、奥のほうは崖になっていて、
清水はその崖を通り抜けて出てくるのであろう。。
旅人の喉を潤すにはもってこいの名水で、
今もキレイで冷たい清水が流れ出ている。
脇にビールのジョッキが置かれていて、
「飲み水のため直接手を入れないで下さい」
と書かれた注意書きも、見ていて楽しい。
(国道8号線と合流して最初のん信号、これを右折する)
(国道を右折後すぐ左折、向こう側が自治会館、後ろに山が迫っている)
(清水鼻の名水がある公園)
(旅人の喉を潤す名水)
(名水の脇にグラスが置いてある)
この右側が山の崖になっている細い通りを進むと、
崖の中腹に本堂が見える「浄敬寺」がある。
なお進むと、「五個荘町清水鼻」と「安土町石寺」
の住居表示が両方並んでいるところに出る。
「近江八幡市」と「東近江市」の境界である。
なにやらこの前見た「寝物語の里」が思い出されるが、
お隣同士お話がされるかどうかは、わからない。
隣の家が違う自治体と言うのはどういう分け方であろうか。
山を挟むとか、川を挟むとか、
せめて道路を挟んで自治体が違うのならわかるが・・・
(浄敬寺)
(山に挟まれた細い道を行く)
(五個荘町と安土町の住居表示)
やがて左側に(ショップ タケヤス)の前にでる。
その先三叉路で左の細道に入ろ。
角に小さな中山道の木製の案内がある。
左折して右手の常夜灯を見て道なりに進むと、
国道8号線に合流する。
車の流れが激しい国道8号線の脇を1キロほど歩く。
東海道新幹線のガードをくぐり進むと、左手に中山道の標識があり、
「中山道 東老蘇(ひがしおいそ)」の石碑と、
(鎌宮奥石(おいそ)神社)の立て看板、
これを目印に8号線を左折する。
(ショップ タケヤスの三叉路を左折)
(三叉路の中央に小さな「中山道」が左を指している)
(常夜灯を右に見て進む)
(国道8号線に合流し1kmほど進む)
(「中山道」の標識が見えたら、国道8号線を左折奥石神社へ向う)
もう一方の旧中山道は(ショップ タケヤス)前の三叉路を直進する道と、
近江歴史回廊推進協議会発行の地図に掲載している。
直進する道を行くと、人家がまばらな両側田圃の道を1kmほど行く。
途中、Y字路を左へ、(石寺東出)のバス停を通り過ぎ、
「教林坊」右への案内のある十字路の次の十字路を左折すると、
観音正寺参道になる。
左折した所に(石寺楽市)と名づけたショップがあり、
面する道路=観音正寺参道で、松並木にしようと考えているのか、
道路脇に松の木が植えてある。
案内看板に(奥石(おいそ)神社直進)(安土駅右)(教林坊左)がある。
中山道は直進で、進むと新幹線のガードをくぐり、
国道8号線をトンネルでくぐると、
「中山道 東奥蘇(ひがしおいそ)」の石碑がある所へ出る。
右手に奥石神社(おいそじんじゃ)の森が見えてくる。
(ショップカクヤス)
(カクヤス前の三叉路を直進する)
(ひなびた田舎の道)
(途中Y字路を左へ)
(石寺東出バス停、左教林坊駐車場)
(十字路を左折)
(左手にある石寺楽市のショップ前を進む)
(奥石神社直進の案内に沿って進む)
(新幹線をガードでくぐり)
(国道8号線を地下道で横断)
(中山道 東奥蘇の石碑と鎌宮奥石神社の看板前を右へ)
田舎の田園の中を通る道路脇に、
民家がへばりついているという雰囲気の道である。
その先には紅葉真っ盛りの山の嶺が続いている。
歩いている時は、なかなか回りの山の景色など目に入らない。
電車はずいぶん先の方まで進んでいく。
やっと五個荘の駅に着く。
五個荘町――立派な名前だ。
平安時代以前に誰か有力な公卿さんでも住んでいたのだろうか、
広い荘園が五つもあるような、
想像も出来ないような広い荘園だったのだろうか。
無人駅を降りたのはボク一人だけ。
寂しいと言うか侘びしいと言おうか、
それでも駅舎だけは素敵な形であった。
300メートルも歩いて(福祉センター785m)の標識を左折する。
これが中山道である。
(近江鉄道 五個荘駅の駅舎)
(右側の道路が旧中山道)
歩いていると、五個荘の町は大きな家が多くあるように感じられる。
近江商人の町で豊かな人たちが多いのであろう。
「近江泥棒 伊勢乞食」と言う言葉を、ボクは子供の頃よく聞かされた。
近江の商人は商売上手で、泥棒するように儲けている。
泥棒は原価が0円だけれども逮捕される危険がある。
伊勢乞食はもっとひどい、伊勢の商人は元手なしで儲けるほど、
商売が上手い。
いずれも商売上手で儲け上手をひがんで言ったものだ。
(大きな家が多い)
(大きな家2)
(大きな家3)
(大きな家4)
(大きな家5)
左手の石垣に囲まれて「小幡神社御旅所」の石塔が立っている。
石塔の後ろには左に小さな鳥居と神殿があり、
右横には神輿の格納庫がある。
小幡神社の祭礼の時、お神輿が休憩する場所なのであろう。
(*)筆者注:御旅所とは、神社の祭礼の際、祭神が巡幸するとき、
神輿(みこし)を仮に鎮座しておく場所を言う。
つまり休憩場所のことだ。
(御旅所)
その先で道路は二股に分かれ、真ん中に道標があり、
「右 京みち 左いせ ひの 八日市 みち」とある。
これが御代参街道の追分。
御代参街道は、八日市、日野を経て東海道に続く道で、
伊勢や多賀大社への参詣、近江商人の商用に利用された道である。
(二又の道)
(道標:左いせ・ひの・八日市みち)
(道標:右京への道を行く)
中山道は当然右の京への道をとる。
やがて道路は「常夜灯」に突き当たり、常夜灯前で右方向へ行くのであるが、
さらに右へ折れる道があり、角に「正眼禅寺」の石碑が立っている。
また「常夜灯」は、旧中山道ポケットパークの一角に建っており、
竿の部分正面に「大神宮」とあり、側面に「村中安全」と刻まれている。
(常夜灯)
(ポケットパーク内の常夜灯、大神宮と刻まれている)
(常夜灯の右にある「正眼禅寺」の石碑)
「正眼禅寺」は、30mほど奥まった所に山門があり、
山門をくぐると正面に本堂があり、左手に「行者堂」がある。
とても静かな佇まいで、落ち着いた雰囲気をかもし出している。
お寺を出て、中山道を行き小幡川の橋を渡ると、
右からの道に合流し左折する。
少し歩くと、田舎にしては豪華な五個荘町役場が右手にある。
これも近江商人の力の一つであろうか。
(正眼禅寺の山門)
(正眼禅寺の本堂)
(行者堂)
(小幡川の橋、その向こうの家も大きい)
(左折して小幡川沿いの中山道)
(中山道沿いの五個荘の町役場)
道路は川沿いに進む。右にある地蔵堂の前を通り進むと、
左手に五個荘を描いた「中山道分間延絵図(なかせんどうぶんけんのべえず)」が掲示されている。
後ろは小幡川が流れていて、川の向こうには、
畑が奥まで続き、山の麓まで広がっているように見える。
中山道を進むと街道には不似合いな洋風の建物もあるが、
全体として大きな立派な家が並んでいるのは、
近江商人の力で稼いだ結果なのだろうか。
(旧街道らしい風景、右手の家も大きい)
(地蔵堂の前を行く、脇の家も大きい)
(五個荘の中山道分間延絵図)
(後ろの小幡川の先に広がる水田は山の麓まである。)
(街道にふさわしからねが立派な洋館)
(この家も大きい)
(この立派な家並み)
(紹介しきれない立派な家々)
大きな家々が途切れ、向こうの山すそまで続く田圃の手前に、
大きな常夜灯がポツンと建っている。
常夜灯の向こうは広がる田圃の後ろに近江鉄道の電車が走っている。
常夜灯は「左 いせ」「右 京道」の道標になっている。
昔は、海のような田圃の中に道標として建てた常夜灯であろう。
(道標の常夜灯、後ろは水田地帯)
(右京道とある)
次の信号は直進すると、
左手に「明治天皇北町屋御小休所」の石碑が建つ小公園がある。
近江商人の豪壮なの屋敷址と思われる。
左手には「北町屋の郷」が残され、
京町屋風商家として、市田庄兵衛家が残されている。
五個荘町の説明では、
(江戸時代から呉服繊維商として、
京都大阪で活躍した、市田庄兵衛家の本宅です。
奥に細長い京町屋風の建築様式で北町屋町が購入管理している。)とある。
(「明治天皇北町屋御小休所」の石碑)
(保存されている京町屋風商家)
(北町屋の里)
その先に「大郡神社」があり、「大郡神社」の石碑には、
帝政ロシアのバルチック艦隊を打ち破った軍神、
(伯爵 東郷平八郎の書)と刻まれている。
(「大郡神社」の石碑)
(東郷平八郎の書)
その先信号の右向こう側には、「元ういろうや」と
「金毘羅大権現」と刻まれた常夜灯がある。
先に進む。
右手に近づく国道8号線と旧中山道との三角地帯に、
「てんびんの里」のモニュメントがある。
旧中山道は国道8号線に合流していくが、
少し先の信号で右折し国道8号線から離れていく。
(信号の先右角に常夜灯と「ういろうや」)
(国道8号線との合流地点)
(てんびんの里モニュメント)
(てんびんの里モニュメント、右側が歩いてきた旧中山道)
信号を右折したらすぐ今度は左折する。
左折したすぐ右角は五個荘清水鼻町自治会館がある。
細い旧中山道を先に進むと「旧中山道 清水鼻の名水」が右側にある。
その場所は小公園になっており、奥のほうは崖になっていて、
清水はその崖を通り抜けて出てくるのであろう。。
旅人の喉を潤すにはもってこいの名水で、
今もキレイで冷たい清水が流れ出ている。
脇にビールのジョッキが置かれていて、
「飲み水のため直接手を入れないで下さい」
と書かれた注意書きも、見ていて楽しい。
(国道8号線と合流して最初のん信号、これを右折する)
(国道を右折後すぐ左折、向こう側が自治会館、後ろに山が迫っている)
(清水鼻の名水がある公園)
(旅人の喉を潤す名水)
(名水の脇にグラスが置いてある)
この右側が山の崖になっている細い通りを進むと、
崖の中腹に本堂が見える「浄敬寺」がある。
なお進むと、「五個荘町清水鼻」と「安土町石寺」
の住居表示が両方並んでいるところに出る。
「近江八幡市」と「東近江市」の境界である。
なにやらこの前見た「寝物語の里」が思い出されるが、
お隣同士お話がされるかどうかは、わからない。
隣の家が違う自治体と言うのはどういう分け方であろうか。
山を挟むとか、川を挟むとか、
せめて道路を挟んで自治体が違うのならわかるが・・・
(浄敬寺)
(山に挟まれた細い道を行く)
(五個荘町と安土町の住居表示)
やがて左側に(ショップ タケヤス)の前にでる。
その先三叉路で左の細道に入ろ。
角に小さな中山道の木製の案内がある。
左折して右手の常夜灯を見て道なりに進むと、
国道8号線に合流する。
車の流れが激しい国道8号線の脇を1キロほど歩く。
東海道新幹線のガードをくぐり進むと、左手に中山道の標識があり、
「中山道 東老蘇(ひがしおいそ)」の石碑と、
(鎌宮奥石(おいそ)神社)の立て看板、
これを目印に8号線を左折する。
(ショップ タケヤスの三叉路を左折)
(三叉路の中央に小さな「中山道」が左を指している)
(常夜灯を右に見て進む)
(国道8号線に合流し1kmほど進む)
(「中山道」の標識が見えたら、国道8号線を左折奥石神社へ向う)
もう一方の旧中山道は(ショップ タケヤス)前の三叉路を直進する道と、
近江歴史回廊推進協議会発行の地図に掲載している。
直進する道を行くと、人家がまばらな両側田圃の道を1kmほど行く。
途中、Y字路を左へ、(石寺東出)のバス停を通り過ぎ、
「教林坊」右への案内のある十字路の次の十字路を左折すると、
観音正寺参道になる。
左折した所に(石寺楽市)と名づけたショップがあり、
面する道路=観音正寺参道で、松並木にしようと考えているのか、
道路脇に松の木が植えてある。
案内看板に(奥石(おいそ)神社直進)(安土駅右)(教林坊左)がある。
中山道は直進で、進むと新幹線のガードをくぐり、
国道8号線をトンネルでくぐると、
「中山道 東奥蘇(ひがしおいそ)」の石碑がある所へ出る。
右手に奥石神社(おいそじんじゃ)の森が見えてくる。
(ショップカクヤス)
(カクヤス前の三叉路を直進する)
(ひなびた田舎の道)
(途中Y字路を左へ)
(石寺東出バス停、左教林坊駐車場)
(十字路を左折)
(左手にある石寺楽市のショップ前を進む)
(奥石神社直進の案内に沿って進む)
(新幹線をガードでくぐり)
(国道8号線を地下道で横断)
(中山道 東奥蘇の石碑と鎌宮奥石神社の看板前を右へ)