![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/6d/d336a0967008902bd9026483b6d70b3f.jpg)
(のどかな田園風景)
(大井宿 6)
乱れ橋を渡って、のどかな田園風景を見ながら、
ポツリポツリとある民家を見ながら歩く。
左手に公民館かと思われる立派な家がある。
庭も広い。
「中山道四ツ谷休憩所」である。
村で管理しているらしく、手入れが行き届いているが、
無人のようである。綺麗なお手洗いがあるので用を済まして置きたい。
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(四ツ谷休憩所)
休憩所を出ると、今朝大井宿に向かって、
細久手宿から歩いてきた人に出会った。
聞くところによると、
今日はボクを含めて三組目の中山道を歩いている人に出会ったと言う。
前の二組は、細久手宿の大黒屋さんに宿泊されると聞いた。
ボクのこの足で、さらに十三峠が続くのでは、
細久手宿の手前、大湫宿止まりが良い所ですが、
交通の便が良くありませんのでどうしようかと思っていますと、言うと、
「大湫宿からタクシーでJR釜戸へ行くのがベストですな。」と言う。
その方は恵那市泊まりと言うことだ。
「十三峠はまだこれから大変ですよ。西行塚に着いたら終わりですが」
とボクが答えた。
「お互い気を付けていきましょう」と言って別れた。
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(枯葉の山道)
のどかな田園風景はほんの僅かな目の保養で、すぐまた山の中である。
色づいた枯葉を踏む山道は、のんびりハイキングでもするのならば、
心地よいが、この先の山道が思いやられるようでは、
感慨にふけっていられない。
その点、山の中で和歌や俳句をひねっていられる、
先人の神経が羨ましく感じられた。
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(木の根元に夫婦岩はあるが見えますでしょうか?)
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(右手の紅坂の一里塚)
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(左手の一里塚)
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(街道を挟んで一対になっている一里塚)
やがて右手の夫婦岩なる看板を見つけたが、
写真の腕前が悪く岩の前の笹ばかり写って、
夫婦岩が見えないのはまことに残念。
その先に、一里塚が見えてきた。紅坂の一里塚である。
江戸から89番目の一里塚である。
山の草道は上りで、やがて数軒の民家が見えてくると、
今度は下りになる。
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(山の中の民家)
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(中山道 黒すくも坂の碑)
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(素敵な眺望で向こうの山が権現山)
「黒すくも坂」というらしいが、辺りが開けて見晴らしが良い。
権現山を眺望することが出来る。
先に歩くと、やがて右手に「三社灯籠」があり、
左手に佐倉宗五郎大明神の碑がある場所に出る。
そもそも佐倉宗五郎は、千葉県佐倉市の出身で義民伝で有名なのに、
どうしてこんな所に「佐倉宗五郎」の碑があるのか不思議であった。
案内によれば、
「元禄年中(1700頃)岩村藩で農民騒動が起きそうになった。
竹折村庄屋田中さんは、将軍に直訴して村を救ったが、
その罪で首をはねられた。」
このことが佐倉宗五郎事件に似ているので、
まさか罪を犯した田中さんの碑を造ることもならず、
「佐倉宗五郎大明神」の碑を作ったという。
なかなか洒落たことをする農民たちだ。
佐倉宗五郎は手まり歌の一つ、
数え歌の中に出てくるくらいであるから、
当時の子供たちには、
よほどのことが無ければ知らない人がいないくらいだ。
ボクは男の癖に、この数え歌を良く知っている。
♪一番初めは一の宮、
二は日光東照宮、
三は佐倉の宗五郎、
四は信濃の善光寺、・・・・♪
の三番名に出てくる。
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(三社灯篭)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/8d/bb54fe5e41c29cbb73214ff442b0dd91.jpg)
(佐倉宗五郎大明神の碑)
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(深萱神社鳥居)
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(ずらりと前後に並んだ句・歌碑。一番手前が芭蕉句碑)
この佐倉宗五郎大明神の碑から、
右手奥に入った所に深萱神明神社があるので寄ってみる。
神社の石の鳥居の向こうに、沢山の歌碑が並んでいる。
ボクが知っているのは、芭蕉の句しかない。
・山路きて なにやらゆかし すみれ草 (はせ越=芭蕉)
神社を出て中山道を進むと、
広い道路に出る前に橋を渡れとある。
向こう側に藤村高札場が見える。
案内書を見たとき、藤村高札場とは島崎藤村が高札に
揮毫でもしたものと思い込んでいた。
ところが現場へ来て、違っていることが判った。
この高札のある場所は、藤村(ふじむら)と言って、
藤(ふじ)という村の名前であった。
自分の無知を棚に上げて、(紛らわしいこと甚だしい)と、
腹を立てるなど、ボクもまだ気は若い。
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(ガードレールに沿って右へ橋を渡り、すぐ左に折れると右手に高札場、写真中央に高札場が見える)
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(藤村(ふじむら)高札場)
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(深萱立場本陣跡(加納家)
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(「深萱上」バス停)
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(新設された新しい休憩所(昔流に言えば立場)とWC)
高札場の左隣に深萱立場本陣跡(加納家)の案内がある。
本陣跡の南側に(深萱上)のバス停があり、新しい休憩所とW.C.がある。
この休憩所でひとまず休み、お昼弁当にして、お手洗いを借りて出発。
大久後へ向う。
田んぼに囲まれた道はすぐ山の中に入っていく。
静かな物音一つしない林の中を進む。
途中通行止めと思われるような
道路に杭の打ってあるところに出るが、
構わず枯葉を敷き詰めた草道を進む。
(大久後)方面を目指す。
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(草道を大久後へ向う)
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(草道路の中央に杭が打ってあるので通行止め?と思ってしまう)