![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/5c/fff538679997641928774ff6254c0069.jpg)
(日本ラインうぬまの森の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c9/e5fe601d5bcf583c44cd4300517dfafa.jpg)
(中山道の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/cc/30ed4b93dfecfd843bfe31f74c68e9f1.jpg)
(中山道脇の池)
(鵜沼宿1)
鵜沼の森の石碑を後にして、広い坂道を下ると、
右手に池がある。
この池に沿って右手にぐるっと回り込む。
池の終わる所に(中山道左)の案内がある。
中山道の案内書では、ここから道路は一気に下るとあるが、
案内通りに進むと道路は二手に分かれ、
両方とも下りになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/53/93f2e23a63b5bd888a06ba97fee69b72.jpg)
(左折の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/2e/0633f1261874b0b5beebc2b2d8586b0e.jpg)
(道路はくだり二手に分かれる)
右に行くべきか左に行くべきか迷っていると、
10mほど先に一里塚を半分に切ったような、
土を盛り上げた場所があることに気づく。
近所の方が歩いていらっしゃったので、
「この土盛りはなんですか?」と尋ねると、
「昔から山があったところで、道路を作るのに、切り取った所です」と言う。
一里塚の片割れでないことを確かめて、さらに先に行くと、
もう一つ同じような土饅頭がある。
今度のは少し草も生えて古そうである。
下り坂を行くと、子供たちがあえぎながら道路を登って、
ボクとすれ違っていく。
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(土饅頭をきったような土盛)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/65/0f71d05b88df4864937d8fadc71ea037.jpg)
(草の生えた土盛、左手は住宅)
道路左側は住宅が並んでおり、
宅地造成で山を切り開いたのかと考えると、
中山道にはどうしても思えなくなってくる。
坂道を大分下ってきた。
右手の崖下のはるか向こうのほうに、
大きな道路で車が行き交うのが見える。
案内書では、右折すると国道に出て鵜沼宿に入るとあるから、
坂下の向こうの道に合流すだろうか?
心配になってくる。
かなりの急坂を登って、もとの道に戻るには
相当勇気が要る。
このまま下って、間違っても鵜沼宿へ行けばよいことと、
坂道をどんどん下っていくと、どこかで見かけた景色にでる。
赤坂の地蔵堂である。
その手前に(中山道は右)方向の案内が目に入る。
これで一安心。道路は間違っていなかった。
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(赤坂の地蔵堂)
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(選挙の看板が入ってしまった、中山道は右の案内)
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(赤坂の地蔵堂を右へ)
中山道鵜沼宿のボランティアガイドに聞いた説明によると、
「この地蔵様は三回も交通事故に遭ったという。
しかし祠は壊れても不思議なことに、
地蔵様は壊れずに残ったと言う。
不思議なことが起こり、土地の古老により、
ありがたく世話をしてきた。
うとう峠を下りきったところにこの地蔵堂はあり、
この地蔵堂を西に直角に折れると、鵜沼宿に到達します。
安置されている地蔵さまには、
宝暦十三年(1763)・女人十二講中と刻まれております。
台座の左右には、左は江戸併(ならびに)せんこうじ(善光寺)、
右はさいしょみち(在所道)とあり、
道標として建てられたものと思われます。
江戸時代に東から急坂を下ってきた旅人や、
西から鵜沼宿を東の赤坂(*)・うとう坂へと旅した人たちは、
この地蔵にどんな願いをかけ、手を合わせて、
通りすぎて行ったのだろうか。」と語る。
(*)東の赤坂とは、この地蔵堂を(赤坂の地蔵堂)と言い、
鵜沼宿から西へ行くと赤坂宿があり、
これに対比して東の赤坂と言った。
中山道はここから西へ直角に折れ、
鵜沼東町ふれあいセンター前を通る。
このふれあいセンターがあったところに、
昔は高札場があった。
ここからが鵜沼宿になる。
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(鵜沼東町ふれあいセンター、以前はここに高札場があった。)
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(その隣の赤坂神社)