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(姫路城)
今回ツアーのメインは姫路城。
名古屋城、熊本城、大阪城の三大名城と記憶で比べながら観光。
こちらはさすが世界遺産。
城内の管理も行き届いている。外国人には丁寧なガイドさんが、
日本の「おもてなしの心」を伝えているようであった。
外国へ行くとガイドさんの有難さが身に沁みてよくわかる。
日本での旅で、良い印象を持ってお帰りいただきたいものである。
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(白鷺城)
姫路城は五年かけて修復するため、
お城の姿を見ることができなくなる。
世界的に有名な姫路城、別名―白鷺城。
五年先は命があるかないか解らない、
そう考える熟年者がお城を一目見たさに、
姫路に殺到していると言う。
話がどのように伝わったかは知らないが、
この話が「姫路城は無くなってしまう」と伝わって、
姫路城では、日曜祭日はおろか、ウイークデイも人であふれて、
土産物屋さんが心配している。
「こんなに沢山の人が来て、修復が終わったら、
観光地がひっそりしてしまうのではないか」と。
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(別の角度からみた姫路城)
人のうわさは恐ろしい。
例えば昭和48年頃の石油ショックの時、
トイレットペーパーが無くなるというので、
人が買いあさって品切れが続出した。
特に日本人は、
隣の人がこうした、
お友達がこうした、と言うと
私も負けずに同じようにするのが当たり前で、
私が同じようにしないのは異常だ、
と言う心理に駆られるらしい。
それでとにかく,
姫路へ,
姫路へと人が集まり、
姫路城は毎日超満員であるとのことである。
この不景気のご時世に沢山の観光客が訪れると言うのは、
なんとも羨ましい限りである。
お土産物屋さんは溢れるばかりの人で、
バーゲンセールで鍛えた腕で、
おみやげ物の取り合いになる図は、
日本人ならではの光景であるに違いない。
お城を見学するには、
大手門から天守閣に向かうのがオーソドックスな順路であるが、
観光客の全部が全部、
同じ行動をとるから混雑極まりなく渋滞が起きる。
特に昔の城は、敵から襲撃にあったときに、
簡単に城内に攻め込まれないようにいろいろ工夫してある。
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(姫路城のお濠)
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(お濠に渡した橋、向こうに見える心配顔のみやげ物屋さんの店)
城の周りを囲むお濠。その濠をまたぐ橋があって、
城を攻める時は橋を渡らなければならない。
つまり攻撃の軍隊を一箇所に集めることで、
容易に包囲網を縮め一網打尽にすることが出来る。
それでも包囲網を突破して攻撃してきた敵集団が、
城に入り天守閣に登る階段は一段一段が高く、
登るのは容易ではない。
後期高齢者に入ったボクがこの階段を登るには、
両手で手すりに縋りつきやっとの思いである。
止めたいのは山々なれど、
止めれば入場料が無駄になる、
口惜しいがもったいないから登ることになる。
名古屋城など鉄筋コンクリート造りでエレベーターまである。
外観は昔のお城を復元し、
有名な名古屋人の誇り、金の鯱は純金である。
その昔、このシャチの金の鱗を一枚頂戴しようとした盗人がいたらしいが、
鱗一枚でもそうとうな財産に匹敵するらしく、
哀れにも盗人は、優秀な愛知県警に御用になったという。
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(天守閣から見た姫路城1)
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(天守閣から見た姫路城2)
![022 022](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/77/847c94c8431bf085b597dc6b060b05f7.jpg)
(天守閣から見た姫路城の敷地。)
前方に見える白い長屋は西の丸百間廊下と言い、
江戸城で言えば大奥に当る場所。
廊下が200mほど伸びており、
廊下の脇に8畳間、十畳間ほどの部屋が繋がっている。
部屋にはそれぞれ大奥の女性が生活したらしい。
![008 008](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/50/43a8b50c065aee7a2228655dfce273e8.jpg)
(再現された大奥?)
世界遺産の姫路城。
実は日本の三大名城の中に入っていない。
???と思われる方が多いに違いない。
世界が観る価値観と日本人が持つ価値観は違っているのだ。
それで世界の人々は、
姫路城を日本に残された世界遺産に指定しているのである。
これはボクの勝手な解釈。
姫路城を造るとき、城壁にする石が無く困ったと言う話が庶民にまで届いて、
老婆が石臼を寄付した。
それが「姥が石」と名づけられて城壁の一部に金網で囲って見世物になっている。
なるほど余ほど石に困ったのか、日本三大名城と比較すると、
重要な角の部分は大きな石であるが、
その他の石がこまごまとしているのが分る。
![012 012](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/00/5696bfa9fa2aec15c829fd8f4a893ab5.jpg)
(石垣の石が本当に細かい石が多い)
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(老婆が寄付した石臼「姥が石」)
隣を見学していた老姉妹が、
こんな大きな石をどうやって運んだのかしら?と会話しているので、
少し物知りなボクが口を挟んで、
「船で運んだのですよ」と言うと、
「船までが大変だったでしょうね」という。
昔、江戸城を見学した時、
江戸城の城壁で一番大きな石は35トンあり、
伊豆から切り出して、水の浮力を利用するために、
石を海の中につるして船で運んだ、と聞いています。
物知り顔に、余計な口利きしてご迷惑ではなかっただろうか。
老姉妹は、フェリーの中の同じテーブルで昼弁当を食べただけの知り合い。
姉のほうか妹のほうか、
一人が弁当を食べあぐねてあとで食べようと残した。
その弁当箱を丁寧に包み直してバッグにしまいこむのを見て、
戦時中食べ物の苦労をされた方だと思った。
![026 026](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b6/0c05335d9108433819f6d540be30596a.jpg)
(大手門の大きな石)
![019 019](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/fa/850258918d1dc6d69bc46389cc6a5995.jpg)
(展示されていた甲冑)
![017 017](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/66/8e31015a224192220fb5872880a31d92.jpg)
(火縄銃)