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(山村代官屋敷外観)
(木曽福島宿 4)
長福寺を出て、木曽川に沿って歩きJR福島駅のほうに進み、
山村代官の屋敷を訪ねる。
(木曽福島を代官として家康から任され同時に関所も預かりました。
途中、木曽福島が尾張藩の管轄になってから、
石高7,500石に白木5千駄を給付され、
山村氏は引き続き関所の管理をした。)(木曽代官屋敷)
関所代官としては適任であったのであろう。
その山村氏の上屋敷は、今は小学校になっているが、
その隣に下屋敷が残っているので、是非見学したい。
この下屋敷は、代官の住居棟であるが、
参勤交代で通過する大名を接待する場所でもあったと言う。(ガイドさん談)
そのため屋敷の中に、厨房を中心にした部屋が三箇所あり、
そこで接待をしたという説明であったがどうも納得できない。
少なくも大名を接待するのに、住居棟を使うとは考えられない。
上屋敷があるのだから、そこで接待したであろうと思われる。
説明してくださった方は、大名の石高の大小で上屋敷、
下屋敷を使い分けたと説明されたが、納得しにくい。
下屋敷に厨房を中心にした部屋の固まりが、三箇所あったのは、
主人と家族、家来、召使、と分けてあったのではないだろうか?
疑問は残る。
それにしても手入れの行き届いた庭や座敷、
数々の什器は見応えがある。
博物館にでも行ったように感ずる。
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(代官屋敷入り口)
山村代官屋敷を出て駅に向かうのに、大手橋を渡り道路の突き当りに、
木曽町木曽福島支所があり、玄関前に木曽福島宿本陣跡の碑がある。
この当たり一帯が上町と言い、バス停があり、
その横には木製のベンチが置いてあった。
バス停の脇には、元食堂を営んでいたオジサンが、ベンチを片付けていた。
バス停「上町」の読み方は(かみまち)でなく「(かんまち)と言う」と言う。
「この辺り、以前は人通りも多くバスの乗り降りの人も沢山あったが、
道路の前後を見てください。人の姿が見えないでしょ。
もう随分前から若者は都会に出て、人口も減り、
ベンチを出しておく必要もなくなりました。淋しいことです。」と言う。
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(本陣跡の碑)
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(上町(かんまち)のバス停)
なるほど、長福寺から山村代官屋敷内でも案内してくださった方以外に
人に会わなかった。本陣跡のある支所でも、
お手洗いを借りるとき場所をお聞きした事務員の方以外に人に会わなかった。
考えれば、駅を出てから会った人は、
駅前のタクシーの運転手さんを除いたら、
このオジサンを入れて三人にしか遇っていない。
JR木曽福島駅は特急も止まると言うのに本当に淋しい事である。
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(右手に旅館を見て、左折すると旧宿場に入る。)
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(造り酒屋)
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(千村家門前の「喜又橋」)
中山道を進むと、右側にある昔ながらの旅館を見て、左に折れる。
左折してすぐ左側に銘酒「七笑」の造酒屋がある。
その反対側、つまり進行方向の右側に真新しい木の橋がある。
「喜又橋」とある。この奥が木曽福島代官の家来 千村喜又のお屋敷である。
福島町の説明によれば、
(この橋は、清水の湧いた場所より小川が流れ出て、
その小川に木製の橋がかかっていたものである。
「喜又」とは、この地を治めた11代当主であり、
島崎藤村の実兄と共に、この町の山林確保に私財を投売りながらも、
町のために尽くした天晴れな人柄を思い銘々いたしました。」とある。
この橋の奥には、門、母屋、お蔵、美しく手入れされたお庭、
その庭の奥の階段を上ると、高札場に出る仕組みになっている。
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(母屋と鯉のぼり)
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(千村家の蔵)
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(手入れされた美しい庭)
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(裏庭の階段を登ると高札場がある)
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(登り坂の上に高札場がある。)
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(高札場横の道を下ると千村家に出る)
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(下から見た高札場)
門前の「喜又橋」と「七笑」酒造会社の間を通り抜けると、宿場の桝形があり、
道は右折して登り坂になる。登りきった所の右側に高札場がある。
つまり、千村家の裏庭からの登り坂は、この高札場の裏手にある。
高札場を通り過ぎると水場があり、左折するとさらに昇りになるが、
この当たり両側は旧中山道の宿場町を彷彿させる家並みが並ぶ。
左側にもう一つの水場があり、水が豊富に流れ出れ居る。
その右脇を覗くと、古いいかめしい寺院の山門が奥のほうに見え、
道路の左端は水場に流れる水流が音を立てて流れ、
水流の左はナマコ壁がつながって、
寺院の山門に威厳をかもし出している。
その山門に向かう。
お寺は智勝山大通寺という。
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(高札場横の水場、奥に見える建物はお手洗い)
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(宿場らしい建物が並ぶ)
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(水場の右横にナマコ壁が)
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(ナマコ壁の奥に見える山門)