中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

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トイレ事情(生きるを訪ねてインド紀行)

2024年01月05日 17時51分05秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
日本に来る外国人は、和式トイレに入って、
いわゆる金隠しの上に座って用を足そうとする人がいるそうだ。

上野の谷中(地名:やなか)にある純日本風旅館の主人が語っていた。
この旅館は、日本風であることと、おもてなしの心に溢れた旅館として、
ネット上で欧米人の評判になった旅館である。

銭湯も和式のトイレも、欧米人から見れば変っているもののようだが、
日本を理解する上で、大切なものだそうだ。
湯船に入る前にすそを洗い身体にお湯を流すと聞くと、
途端に安心して湯船に浸かると言う。

欧米のトイレは椅子式で、日本もずいぶん洋式が増えた。
でも、この旅館は和式を洋式に替えることはないという。
勿論、畳に布団をべッドにするなんてことはしない。
隣の部屋との仕切りの襖も、これも壁に替えることはしない。
何故ならこの和式の魅力を感じて泊りに来る外国人が多いからだそうだ。


アジアのトイレ事情は日本人も驚くことが多い。
お隣の中国では、便器に金隠しは無く、
ドアを開けてどちらを向いてかがめばよいか解からない。
日本では、ドアを開いて奥に向って用を足すので、
中国でも同じと思って用を足すと、それは間違い。
中へ入って、ドアー側に向き直り用を足す。
外から外敵に襲われた時の用心だと言う。
ボクが旅行を始めた時の、中国ではドアーが無かった。
衆人の中では、大も小も、とても用は足せない。
一瞬であるが、前立腺肥大を疑った。


次がトルコ。

ここは椅子式の座って用を足す方式。
何が違うかと言うと、用を足した後の始末の仕方が違う。
日本では終わった後、トイレットペーパーでお尻を拭くが、 
トルコでは、紙は無く水道のホースがあり、
ホースをお尻に向けて水を流し、左手で洗う。

古い遺跡を訪ねて、そこに公衆トイレがあった。
ベンチのように長い椅子があり、
ポーランドのアウシュビッツの捕虜収容所のトイレのように、
お尻を乗せるところに丸い穴が幾つも開いている。
穴を覗くと、はるか下のほうに川の流れがあり、
そこへ用を足したものを落とす。
落としたものが水しぶきを上げても、お尻までは届かないほど深い。
川への落し物は、住んでいる魚の餌食(?)になるのだろうか?

用を足した後の始末であるが、座っている足元にせせらぎがあって、
せせらぎから左手で水を掬ってお尻を洗う、
そのように出来ていると、ガイドの方(妙齢な女性)の説明であった。

さて、ここで言う左手と言うのが大切なことで、
トルコ人は食べ物を絶対左手では持たないのである。


(作業に出かける前に座らせたアウシュビッツ強制収容所のトイレ)

(『反戦の願い』の「アウシュビッツ」を参照願います。)


次がインド。

インドではテレビ、冷蔵庫はあっても、トイレは無い。
そう最近のCNNニュースが、(2013.9.30)
「テレビや冷蔵庫はあってもトイレが無い、経済大国インドの現実」の中で、
(スマホは53%普及しているのに、トイレは46%ほど)と伝えている。

インドを旅したとき、トイレ休憩でバスが村はずれの道路上で停まった。
走ってきた道路を境にして、左側は女性、右側は男性のトイレだという。
見渡すと一面の畑で、サトウキビが植えてある。

男性は道路脇で立ちションで済むが、女性はそうは行かない。
止むを得ず、サトウキビ畑の奥で人が見えない所まで行って用を足す。

つまり、公衆便所は見つからない。
ホテルでもあれば心配ないが、それ以外はトイレを見つけることは不可能。
いや不可能ではない、地面があれば何処でもトイレだから、
地面は全て、どこもかしこもトイレと考えた方が良い。

夜道をバスで行くと、道路脇から一リットル缶を持った人が、
道路に上がってくるのに出会う。
用を足した人だ。
走っているうちに何人にも出会う。
なんと言っても人口13億人のお国である。

インドでは地上の何処にも人はいる。

(インドのトイレ事情については、
 「生きるを訪ねてインド紀行2」
 次回を ご期待ください。)