中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

物価とトイレの話(中国紀行 最終章)

2020年07月22日 20時08分11秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(竹林)
Dsc000591



(生活)
高速道路の両側には、モダンな三階建ての一戸建て
住居が並ぶのが目に付く。
農家の住居である。

前回訪問したときは、
毛沢東時代の古い五階建てのマンションが
沢山建っており、エレベーターはなく、
足ベーターで階段を登っていた。
日本でも五階建て以下はエレベーターを設置する
義務がないそうだから同じ状況である。
トイレは、水洗でなくおまるを使っていた。
用がすんだ後どのように処理していたのかは知らない。
今でこそ、観光客は西洋式の水洗トイレで用を足せるが、
少し前までは、ドアーもないトイレであったと友人から聞いた。
そんな時、回りの中国人が(日本人が用を足している)とばかりに
ワーッと集まって覗きに来たという。
なんだか、戦時中の日本における、
天皇がお手洗いに入ったと
びっくりしている様子に良く似ている。
Dsc000491
(蘇州ー運河の様子)

中国のトイレは、日本の和式便器に似ているが、
キン隠しがない。
だから、ドアーから入って奥を向いて用を足すのか、
あるいはドアー側を向いて用を足すのか、
どちらを向いて用を足すのか解らない。
和式では、ドアーを開けて奥を向いて用を足すが。

ガイドさんに聞いてみると、
中国では、ドアー側を向いて用を足すそうである。
その昔、ドアーのないトイレの名残りで
その習慣が付いているのであろうか。
そのせいか、中国の公衆トイレは、
入り口のドアーの鍵がかからないトイレが多かったが、
用を足している最中に前面から覗かれても陰部を見せない、
あるいは用を足している無防備な状態で、
後ろから襲われないためなのかも知れない。

中国人はつい最近まで
前面ドアーがないトイレを使用していたから平気であるが
(もっともいつも鍵をしないボクも平気であるが)
通常の日本人は気になるところではある。
田舎へ行けば隣りとの仕切りのないトイレもあるようだが、
ボクはこのトイレにまだ出くわしていない。

しかし、生活は大都市と田舎とはそれなりの格差があるようだ。
北京上海など大都会では、電気も煌々とついているが、
一歩田舎に入ると、電柱すらなく、
電気のない家庭が沢山ある。
これはインドでもアフリカでも同じであった。

それに比べると日本はお金持ちの国に見えるに違いない。
どんな田舎に行っても、
電灯がついていないところはないからだ。

Dsc000791_1
(長江)
日本ではどんなに貧乏でも、
アジア地域に出て行けば、豊かな生活が出来る。
日本では、老後を年金では生活に足りない額でも、
アジア地域では、お金持ちの生活が出来るという。

たとえば、広大な敷地に一軒家を借りて、
ドライバー二名、ハウスキーパー二名を雇って、
タイでは、一ヶ月22万円の生活費ですむという。
東京の生活費の80%で、カナダ、ニュージーランド、
オーストラリアの生活ができる。
また、友人がスペインへ移住して12年経つが、
年金で十分まかなっている。
市長さんあげて大歓迎とのことだ。

中国では、大都市で生活しても、
東京の生活費の20%もあれば、十分やっていける。
いや、豊かな生活が出来ること請け合いだ。
ただ、発展のスピードが生半可ではないから、
生活水準があっという間に変わって、
こんなはずではなかったと後悔する日が来ることは、
意外に早いかもしれない。
P10005991
(いたるところで行われる太極拳)

定年になって昨年で10年になるが、53カ国を旅して、
物価が高いと感じたのは、
シンガポールぐらいのものだから、
東京で豊かな生活をしている人たちは、
ロンドンだろうと、パリだろうと十分生活できる。

物価高の点では日本は他の国に負けることはない。

(2002年の紀行)



京劇(中国紀行 7)

2020年07月22日 20時07分23秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(京劇)

北京滞在中、京劇を見るチャンスに恵まれた。
恵まれたとはいえ、
中国語は(さようなら、一から十までの数、有難う、水、)しか知らない。
中国語が解らなければ、
京劇を見ても、ただの踊りくらいにしか思えないに違いない。
それにしても、折角のチャンスだから、
見てみようということになって、劇場に行った。

その昔、ニューヨークのブロードウエイで見た、
ミュージカル「Dancing」も歌の意味はさっぱり解からず、
結局は踊り?(どうも言葉がふるい。
この際は、ダンスというべきか)を観たという結果になった。
ボクは劇場まで徒歩で行ったが、劇場の入り口では、

運転手つきのリンカーンやキャディラックの
超豪華車のしかもリムジンで乗り付ける、
金持ちの姿を垣間見ることが出来た。
それも一台や二台ではない。
次から次へと車はやってきて、運転手は車を止めるや、
急いで降りて、後ろのドア―を開ける。
車から降りてくるレディは、ふわふわの毛皮のストールに、
殆ど胸の開いたドレスに身を包んでいる。
女性は若くて、背が高く、
白人だから当然だが、色が透き通るように白い。
ハイヒールがとてもよく似合う。

これまた、背の高い素敵な男性が、
ビシッとスーツを着込んで、女性をエスコートして行く。
この光景は、ボクには映画に出てくる一シーンにしか思えなかった。

夕方18時頃から始まるので、
ボクはサンドウィッチを持って、
劇場の中で食べればよいと思っていたが、
とてもそんな雰囲気ではない。
結局サンドイッチは何も手をつけずホテルまで持って帰り、
ホテルでビールと一緒にカミさんと寂しく食べた。
しかし、あのリムジンで来た人たちは、
きっと二人で高級レストランに行き、
これまた高級ワインかシャンペンで乾杯して、
食事をしたのだろうと想像される。

さて、北京の京劇の方は、PM8:00頃の開演。
席に着くとイヤ・ホーンを沢山持った人が来て、
流暢な日本語で京劇の解説をしながら、
セリフを日本語に同時通訳してお聞かせできます。
金額は忘れたが○○元(記憶では500円ほど)であるという。

その他に、舞台の袖に字幕スーパーが英語と中国語で表示されるという。
カミさんはイヤ・ホーンを借り、
ボクは英語なら何とか解ると、何もなしで見ることにした。

京劇は「項羽と虞美人が、別れるくだりで、
四面楚歌の場面」であった。
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」
海音寺潮五郎「中国英傑伝」
陳瞬臣「中国の歴史1~7巻」「小説十八史略1~6巻」
を読破しての中国旅行であったので、
このシーンは頭の中に入っていて、解りやすかった。

英語の字幕スーパーも、分かり易かったが、
中国語も漢字で表記されるから、
漢字を知っている日本人には意味が汲み取れる。

四面楚歌のシーンは有名である。
城を敵の楚軍に包囲され、
包囲網を切り開いて単身逃げ延びようとする項羽は、
虞美人を如何したら良いか、思い悩むシーンだ。

「虞よ、虞よ、汝を如何せん!」と。

(京劇1)


虞美人は、自分が足手まといになってはならぬと、
自殺をする。

「自殺する」を「自刎する」と本には書いてある。
日本の武士が自殺する方法は「切腹」であるが、
その方法は知っているが、「自刎」の方法は知らない。

刀を両手にささげ、首をその刀の上に落とすと、
首が切れたらしい。

(京劇2)


カミさんのイヤ・ホーンが途中で聞こえなくなったという。
良くしたもので、手を上げると、
先ほどイヤ・ホーンを貸した、お兄ちゃんが飛んで来て、
チェックすると聞こえるようになった。

京劇の演技そのものは、
多分「歌舞伎」のようなものと表現するのが、
一番早そうであるが、
残念ながら「歌舞伎」は見たことがない。

一度だけ猿之助の「スーパーカブキ」なるものを見たが、
これはサーカスみたいなものである。
古典芸能で見たことがあるのは「能」。
ボクがたとえることが出来るのはこの「能」のようです。
というのが正しそうである。

それにしても食事の後であったから、
ニューヨークのように食事の心配をしないで、
リラックスして見られたせいか、
ボクにはとてもよい印象に残った。
(京劇3)


北京で上海雑技団ならぬ北京雑技団の公演も観たが、
いつかまたの機会にお話したいと思います。

これは2004年北京を訪ねた折の話です。

お茶ー近くて遠い国(中国紀行 6)

2020年07月22日 20時03分49秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(お茶)
何度も書いるが、ぼくの頭の中によほど印象に残っているのであろう。
パール・バックの「大地」、英文では{Good Earth}、
これを大学一年の夏休みに、
初めて原書に手をつけて読んだので、すこぶる強烈に記憶に残っている。
それは物語の出だしが、大層印象的であることも手伝っている。

その物語の冒頭は、
貧農の主人公が朝暗いうちに起きだして、お湯を沸かし、
家の奥から流れて来る父親の咳を聞きながら、
お茶を入れるシーンである。

「コンコン」と咳き込む咳の音を英語では
「cough cough」と表現するとか、
お茶を入れるシーンでは、
カールしたお茶の葉が器の中で、
柔らかく開いていく記述に、
中国ではお茶の葉を茶碗に入れてお茶を飲み、
お茶の葉も食べるのだなあ、
とか新しい発見をしたものである。

今年(2006)三度目の中国を訪れて、
茶碗の中に直接入れたお茶の葉が、
お湯を注ぐと開いていくさまを観察できたが、
この時初めてパール・バックの「大地」にある、
お茶の著述を体感した。

このお茶は江沢民氏から、
エリザベス英女王に送られたといういわく付のもので、
本来緑茶は、いったん蒸したお茶の葉を素手で揉み、
乾燥させたものであるが、
このお茶は摘んだものを、
そのまま緑色が変わらぬ程度に焙烙(ほうろく)で炒ったものである。
お茶屋さんに入ると、このお茶を炒る匂いが充満していて、
ほうじ茶を思い出させるが、
暑い日には私たち見学者を爽快な気分にさせてくれる。

一番茶、二番茶とお茶の入れ方など聞きながら、
入ったお茶をいただくのであるが、
長年胸中に温めていた中国茶への憧れからか、
とてもおいしくお茶をいただいた。
これは中国でのお茶を売るためのデモンストレーションで
あることがわかっている人たちは、
「一番茶、三缶で一万円!」といわれても、
誰も返事をしないし、素知らぬ振りである。
売り手もなれているとみえ、
三缶がやがて四缶になり、5缶になって、
さらに二番茶が一缶オマケについて一万円になる頃、
本当に買いたい人が
「オマケを二番茶でなく一番茶にしてくれません?」と言う。
売り手は困った顔をするが、
やがて折れる。
見学者十数人の中で、
一人でも商談が成立すればOKと全員が腰を上げる。
こんな光景が旅行中に何度かあるのは、
疲れる。

Dsc000941_1

さて、この銘茶の生産地には、お茶の博物館があり、
その横にお茶畑がある。
一番茶とは、春になり最初に出た芽を摘んだものが一番茶であり、
一番茶を摘んだ後に出るお茶の芽を炒ったものが
二番茶になるという説明である。
一番茶、全部で六缶にしてもらって、
一万円で買ってお茶を帰国後落ち着いてから飲んでみると、
お茶に湯を注ぐと、日本茶ではお湯がグリーン色に変色し、
お茶の香ばしいかおりが広がるが、
このお茶は香りこそすれ、
お湯に色は付かない。
全くの白湯である。

飲んでみれば日本茶と変わりなく、
おいしい。
しかしなんとなく物足りないのは、
食べ物飲み物を目で食べてしまう
習慣が付いているからであろうか?
その事情を説明しながら、お土産として子供たちや、
知り合いに配った。
茶碗に残ったお茶の葉は、
お召し上がりくださいというのも付け加えた。
その後、お茶の緑色が出ないことに不満を感じて、
このお茶の葉を細かく砕いて粉にし、
抹茶のように、一匙茶碗に入れてみると、
緑茶になり、味も豊かで、
ますますおいしく感じた。

こうして、長年抱いていたお茶の葉を食べる
「茶の湯?」に大満足、
イギリスのエリザベス女王に、
このお茶の入れ方を教えて差し上げたいものである。

Dsc000411

上海ー発展のスピード(中国旅行 5)

2020年07月22日 20時00分10秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
P10005741
(上海)
(発展のスピード)
二回目に中国を訪ねたのは北京、2003年12月4日のことである。
始めて中国を訪問してから二年後、
高速道路は完備して車の量も
日本と変わりないくらいに多い。
夕方のラッシュアワーの混雑ぶりは、
二年前に香港、しんせん、中山、広州を訪ねた時から比べれば、
倍以上に膨らんでいることが良く解る。
もっとも北京は中国の首都であることを考えれば当たり前
といわれるかもしれない。
(園内のところどころで演奏される楽器3)

話を戻すと、三度目の中国では、その発展スピードに驚嘆する。
住宅は高層ビルが林立し、
車は道路が狭いではないかといわんばかりの渋滞である。
その住宅には建設前から注文が殺到し、
値段は釣りあがるばかりである。
道路を走る車も同じだ。自家用車を持ちたい人が多くて、
車の販売店は車を供給することは出来ても、
ナンバーをつけることが出来ない。
自動車を登録するナンバープレートの製作が間に合わず、
ナンバープレート待ちが続出している状況だ。

販売店における自動車の売り上げ計上システムは、
自動車が登録されて、「一台計上」することが出来る仕組みだから、
自動車販売店はナンバープレート確保が仕事になってしまう。
どんなに車が売れても、ナンバープレートがなく、
登録が出来なければ、売り上げ計上が出来ず、
販売したことにならないからだ。
それよりも、なによりも車を走らせることが出来ない。


それほど車の量は増えている。混雑はそれも大都市の
上海だけではない。田舎に延びる幹線道路はどこまでも
車が途切れることはなく、走行車線を走る観光バスは、絶えず
後続の追越しをかける車に注意が必要なほどである。
中国の経済発展は恐ろしい。二三年先に中国に行けば、
もっと驚く事態になっているに違いない。

あるいは、予測の付かない原因で、驚異の経済発展が,
どこかでつまずいて、不況の真っ只中にいるのかもしれない。

浮動票ではなく、選ばれた優れた政治家が舵取りをして、
不況に突入する前に、
上手に方向転換しているかもしれない。




香港・マカオー遠い歴史を訪ねて(中国紀行 4)

2020年07月22日 19時57分30秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
香港・マカオの1(ワン)、2(ツウ)、3(すり)

前年の2001年12月に白血病、
多発性骨髄腫の治療で
7ヶ月間入院生活を終え、
外国旅行がしたいばかりに、
退院後は衰えた体力回復に、
散歩を少しずつ強化した。
最初は1キロメートルから初め、2キロに増やし、3キロにと
1年後には10キロ歩けるようになり、
疲れも感じなくなってきた。

入院中に抗がん剤の副作用を抑える薬物の副作用で、
糖尿病が悪化し、
糖尿病を悪化させないため、
散歩は欠かすことが出来ない毎日の日課であった。

一心に体を鍛えた甲斐あって、
一年がかりで体力も整い、
さて、東欧のポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーを
訪問しようと、計画を立てたところ、
主治医から待ったが掛かった。

いかに体力が整ったとはいえ、
行き先がすこし遠方過ぎるという。
そこで白羽の矢が当たったのが、
中国の香港マカオ。
ここなら近い。しかも五泊六日で約六万円と旅費も安い。
病み上がり後の旅行にはちょうどよいと
医師の了解を得たのが、
中国訪問の最初であった。

マルコ・ポーロのミニ東方見聞録よろしく出発した。
友人から雑踏の中の香港での注意など聴いて出かけた。
素晴らしい夜景と市街地の雑踏は、
「すり」が横行するところではあるが、
必ず行ってくるように。

交差点で信号を待つときは、
一番前で待ってはならない。
後ろからちょっと押され、
車道へはみ出すところを、親切な中国人が、
危ないと抱きかかえてくれる。
後ろを向いてその親切に対して、
たった一つ覚えた中国語で「謝謝(しぇしぇ)」とお礼を言う。
中国人はにこやかに挨拶をして、
雑踏にまぎれる。

ふと気が付いて、懐に手をやると見事に財布を盗られている。
この手口を{ワン・ツー・スリー}と言うのだ。
友人がやられた例を細かく教えてくれた。

なんでワン・ツー・スリーかと言うと、
ワンは交差点で押す人、
ツーは、それを抱きかかえて掏りを働く人、
それがスリー(すり)の手口だから、
「ワン・ツー・スリー(すり)」というと教えてくれた。

彼が香港へ行ったのは、
香港が中国に返還される前の話であった。

Dsc00201
(街角)

ボクが訪ねた香港は、中国返還後五年が経過していた。
友人が注意したような香港の雑踏はなく、
人通りもまばらな市街地に変わり果てていた。
「ワン、ツー、スリー(すり)」なんて出ようもない寂れようで、
商店の看板だけが異様に歩道にはみ出しているのが印象に残った。

同じ国なのに、中国人の香港入国は、
税関を通過しなければならない。
香港へ入ろうとする中国人は膨大な数で、
税関検査レーンが沢山あるが、
そこに並ぶ中国人も並大抵な数ではない。
観光に来た外国人が、中国人と一緒に税関を通るには、
半日は費やさなければならないほどの人の列である。
そのため外国人は外国人だけの特別レーンがあって、
そこを通り抜ける。
こんな時、平和で治安のよい日本からの来客は、
ほとんどノーチェックで通過できる。
信用とは恐ろしいものである。
この通関事務所に入る前の道路から事務所内、
そして事務所から出た後が、
日本人が置き引き、すりに最も狙われやすい場所のようである。
ガイドさんからたびたびの注意があった。

Dsc00124
(マカオの馬祖閣)

Dsc00118
(アヘン戦争で残った?マカオの天主堂の壁)

一昔前までは、海外ブランドの免税品を買う、
買い物ツアーが多かった香港マカオも、
偽者ブランドが出回り、
また粗悪品で悩まされたニュースを良く知っている昨今の旅行者は、
物売りをからかうことはあっても購入する人はいない。

歩いていても、レストランでも物売りは付いて回るが、
初めから偽ブランドですといって売るケースも散見された。
そんな偽ブランドは、極端に安価で、
フェンディやセリーヌ、グッチやシャネルなど
ボクは良く知らないが、
聴くところによると正価の10%程度の価格であるようだ。
本物と見分けが付かないような商品を、

「ハイ!偽ブランド品よ!」

とお土産にするのも一手かもしれない。




一人っ子政策(中国紀行 3)

2020年07月22日 19時52分06秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(北京の一人っ子政策)

’02年11月中山、広州、深せん、香港、マカオと、
マルコ・ポーロのミニ東方見聞録よろしく旅をして、
返還五年後の香港の衰退と
中国の発展の激しさを知りました。

以前ニュースで見た香港は、
雑踏で身動きできないほどの混雑を予想していた。
また、香港変換の年に訪れた友人の話でも、
人ごみでスリにはくれぐれも注意するよう言われてきた。
けれども、12月も半ばになるというのに、
香港の街は、人影もまばらでスリに注意どころか、すれ違う人もいない。

夜、一番繁華街という地域でもクリスマスが近いというのに、
イルミネーションも寂しく瞬いているという感じであった。

ガイドさんが言う。返還前は、世界の金融市場ということで、
とても賑やかでしたが、今はその面影も見えませんね、と。

その後中国の広州に入ったが、
広州は北京に次ぐ中国の三大都市と言われるほど発展した様子が、
ありありと判る発展振りで、
イルミネーションも香港より派手にきらめいていた。

中国では、「食は広州にあり」といわれるほど、
光州の料理(広東料理)は美味しいとされている。
広州に一泊した夜、中国でも有名なレストランに案内された。
中央に池があり、その周りを建物が囲んでおり、
池とその建物の間に廊下があり、
建物の壁には、今までこのレストランを
訪れた著名人の写真が並んでいた。

日本人では、総理大臣、アメリカの大統領、中国の主席、
映画や劇団の日本人を含む有名俳優の顔が、
これでもかこれでもかと写真入で、
来館年月日と共に張り出してあった。

食事の内容は、味付けが実に淡白で、
どの国の人の舌にも合いそうであったが、
特に美味しいとは感じなかった。

その折、お手洗いに立ち、
お手洗いまで延々と狭い裏廊下を通っていった記憶の方が鮮明である。
何故かというと、その裏廊下の左右に、中華独特の食材が、
生きたまま檻の中や水槽の中に蠢いていたからである。

その一例は、鶏、ウサギ、鴨、蛇、
蛙、鳩、鯰、豚の頭、
ヤギらしい獣の胴体、名も知らぬ獣、
きっとサーズで噂のハクビシンもいたに違いない。

水槽には、海老をはじめ鯉、うなぎ、
名前のわからない魚がうようよ泳いでいた。

その間を通り抜けお手洗いに行ったが、
食後であったからよかったものの、食前であったら、
食欲が減退してしまいそうな食材の山であった。

その一年後の、’03年11月末に北京を訪ね、
僅か一年でさらに発展している中国を見て驚きました。
ボクは中国の戸籍法を調べたわけではありませんので、
確かかどうか判りませんが、
一人っ子政策について、
ガイドさんより聞いた話を綴りますことを、
あらかじめお断りしておきます。

その折、5歳の子を持つ母のガイドさんが、
中国の一人っ子政策について、次のように語っていました。
「中国の一人っ子政策の所為で、
子供ひとりの場合は500元の報奨金+毎月10元の養育費が、
子供18歳まで受けられる。
一人っ子政策のため、子供は父親姓を名乗り、
籍は母親籍に入れる。
さもないと女性が二人目三人目を産んでいるかどうか、
一人っ子かどうか判別できないかららしい。
中国はもともと夫婦別姓だそうだ。
男の籍では、同じ母から、
A男が子供一人、
B男が子供一人、となり、
一人っ子が何人でも出来て、人口減にはならない。

女の籍に入れれば、A男の子供一人、
B男の子二人目、C男の子三人目、
と何人産んだかはっきりする」と、いっていました。

しかし、二人目からは給料の3-10倍の(どういう計算かわからない)
相当重い罰金が科せられるとのこと。
それでも、夫および妻が一人っ子の場合は、
二人目が許されるとのことだ。

この場合、人口増が無いからだ。
二人目からは、相当重い罰金を払うことになるため、
届出をしない。
そうした(日本で言えば)無宿人が何人いるかわからないという。
こんな子は学校にも行けないから、教育も無く、
無法に陥るのが目に見えている。

日本に不法入国をしようとする中国人は、
きっとこんな人達ではないだろうか?

考えれば、二人目以降の人たちは、
なんと不幸なのだろう!

それに比べれば、日本人ほど平和で幸せな環境の中にいる人たちも、
少ないのではなかろうか!
日本人として生まれた幸せを、喜ばずにはいられない。

北京の人たち(中国紀行 2)

2020年07月22日 19時48分22秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
(北京の人たちの生活)

パール・バック女史の
「Good Earth」(日本語題:大地)を読むと、
その出だしがすこぶる印象的で、
美しい情景が目に浮かんでくる。

英文は極めて読みやすく、
中学生程度の英語力で読破できるのではないかと思うほどである。

(宇宙から見えた地球上の人工物万里の長城1)


(宇宙から見えた地球上の人工物万里の長城2)



(八達嶺の万里の長城1)


(八達嶺の万里の長城2)


(八達嶺の万里の長城3)


(八達嶺の万里の長城4)


40年前に読んだ記憶では、

農家に生まれたワン・ルンの三代に渡る、
貧農から豪農になる過程が描かれている。
中国人は、今はともかく、孔子の時代から、
あるいはもっと以前からか、親を大切にする国のようである。

この「大地」の冒頭は、主人公が朝、暗いうちに起きだし、
お湯を沸かして、「こんこん」と咳をする父親に、
お茶を入れるところから始まる。

「こんこん」という咳を英語で
(cough、cough)というのかとか、
カールしたお茶の葉が、お湯を注がれ、
ふあーと解けていく様子が
見事に描写されていたように記憶している。
そして父親にそのお茶を入れるところから始まる物語を読んで、
中国人は親孝行だなあと、
今の自分と比較しながら読んだ記憶がある。

また、中国では、お茶の葉は
お湯と一緒に食べるものだということを、
この時初めて知った。

そんな物語から頭に描いていた中国は、
今、超スピードで経済発展をしている。
住民の中国人はその発展に追いつき追い越せと、
懸命に働いているのが現状だ。
まず夫婦共稼ぎは当たり前。
子供は0歳から保育園に入れ、
月曜日から金曜日まで保育園で預かってもらう。
土~日曜日は両親がお休みのため、
子供は家に帰ってくる。

(夜の天安門)



子供たちは家に帰ると中国語を、
保育園では英語を話して暮らすという。
この年齢からバイリンガルを目指す。
子供に英才教育を与えようとする親は、
保育園を選んで預けっぱなしにして、
しつけから教育まですべてお任せするので、
月~金曜日までの子供の衣食住と教育費は、
膨大になるという。

子供を保育園に入れられない人は、
祖父母に面倒を見てもらうか、地方の労働者を雇い、
子供の面倒を見てもらうとのことだ。

どうやらこれは、シンガポールの人たちと生活がよく似ている。
もともとシンガポールも、
75%は中国系の人たちで構成されているようであるから、
同じような生活になるのであろう。
北京の人たちが真似たのか、
シンガポールの人たちが真似たのかよくわからない。

どちらかというと経済発展の始まりが北京の方が後だから、
きっと北京の人たちがシンガポールの人たちを、
真似ることになったのであろう。

しかし、アジア地域は中国の影響を受けていない国を
探すのが難しいほど、
中国は多大な影響を幅広く各地に与えている。
地続きの朝鮮、韓国をはじめ
日本、シンガポール、タイ、マレーシア、カンボジア、
ベトナム、インドネシアなどなど数え切れない。
地球上に中国語を話す人口は英語に次いで多いとされるが、
今に世界は、英語と中国語、スペイン語が残り、
あとは日本におけるアイヌ語のように、
かすかに原語が残る程度になってしまうのではないか・・・・。

そして、パール・バック女史が書いた
「大地」の主人公が豪農になったように、
中国人が経済的にも世界に君臨する日がやってくるのではないだろうか。

2004年1月に北京を訪ねそんなことを感じた。
それから15年経った今は、
経済的にはアメリカに次いで世界第二位。

(紫禁城)


世界第二位であった日本をあっという間に追い越して、
アメリカと第一位を競うほどになった。
しかし経済的なと言うか、
社会の発展の歴史はアメリカの方に軍配が上がるから、
アメリカを追い越すことは無いだろう。

それより、今超スピードで発展しつつあるインドに、
第二位の座を明け渡すことの無いよう、
せいぜい頑張ってほしい欲しいものである。



北京(Beijing)(中国紀行 1)

2020年07月21日 12時00分00秒 | 中国紀行(近くて遠い国)
北京北京(ぺきん)というと、

思い出すクイズがある。

話し言葉で無いと面白くない。

文字では、すぐ回答がわかるからだ。


(1.東西南北の「キタ」と京都の「キョウ」と書いてなんと読む?)


回答はすぐ「北京」と回答される。


(2.「ミナミ」と京都の「キョウ」と書いてなんと読む?)


回答はすぐ「南京」と回答される。


(3.「ヒガシ」と「キョウ」と書いてなんと読む?)


話し言葉では、

ヒガシは広東の「ヒガシ」だから「トン」だから回答は?

「トンキン?」 

いやマージャンの「トーナンシャーぺー」から

「トーキン?」とひっかかる。


文字にすると

「東京」



英語で思い出すのが次のクイズ。

英語の素養があればあるほどひっかかる。

シェクスピアのハムレットに出てくる、有名な一文。

“To be or not to be that is the question.”

(坪内逍遥訳)「生きながらうべきか、死すべきか、それが問題だ。」

の有名なくだり。

Hamlet(ハムレット)は実在の人物であったらしい。

スペインを旅して、セゴビアというところのお城を見学したところ、

このお城にAmleth王子がいて、ハムレットと同じ境遇にあった。

この話を、旅の商人から伝え聞いて、

シェクスピアが物語りにしたという。

Amlethの名から最後のhを取って、

頭に持ってくると、Hamletになるという。


そもそも、シェクスピアは生涯、

自国から一歩も出たことが無いと云われている。

それなのにこうした外国の話を良く描いている。

「ヴェニスの商人」しかり「ロミオとジュリエット」しかり。

学生時代シェクスピアの「ハムレット」を一年がかりで読んだ。

古典であるから、解らない英単語を、

オックスフォード・イングリッシューイングリッシュ・ディクショナリーを牽いて、

その辞書の意味を今度は英和辞典を引いて調べるという、

厄介な作業して読んだので、記憶に残っている。


シェクスピアを翻訳した有名な坪内逍遥は、

実に見事な翻訳をしており感心する。

“Frailty thy name is women”を

「弱きものよ、汝の名は女なり」

などは素晴らしい訳で、

男尊女卑の時代に、

よく女性の立場を傷つけずに訳したと思う。



直訳すると、「脆きものよ、その名は女なり」となる。

ここでいう、「脆きもの」と云うのは、

「誘惑に陥りやすいもの」という意味だからだ。

逍遥は、立場が「弱きものよ」と訳したのか、

定かではないが、

後に「女は弱わし、されど母は強よし」は名言となった。

最近になって、「たかが野球、されど野球」が流行ったが

言葉の使い方を真似たと思われる。



話を元に戻そう。


クイズは次の通り、

“To be to be ten made to be”は 

どんな意味?

先ほどからシェクスピアの話を並べて、

お読みいただいた方で、

英語をよく理解された方は、ひっかかる。



そうでなくアルファベットは、

ローマ字しか判らない人は、ひっかからない。

(生きて、生きて、十を作るといくつになる?)

などと訳のわからない翻訳になる。


ローマ字読みをすれば、

(飛べ、飛べ、天まで飛べ)で

これが正解だ。



今月はじめに、北京へ旅をした。

カミさんが万里の長城を見たいとかねてより言っていたからだ。

(万里の長城)


もともと、司馬遷が書いた「史記」を翻訳した

「中国五千年の歴史」

あるいは「論語」、

学生時代に読んだ「長恨歌」、

そして最近になって、

井上靖著「楼蘭」「蒼き狼」「敦煌」「孔子」などから、

中国には興味を持っていたボクはすぐ旅の計画を立てた。



12月はじめの北京は、気温が低く寒かったが、

万里の長城を登るには、汗をかくことも無く、

空は澄んでおり、快適であった。

(万里の長城2)


昨年末に広州を訪れた時も感じたが、

中国は今、猛烈なスピードで経済的に発展しつつあった。

人口12億人。

北京市には、一千百万人の人口があり、

正社員として就職できるのは、

北京市に籍がある人のみという。

そうでないと市民が就職できなくなることと、

田舎から人が集まってきて、一極集中するからだという。

市外では、それでも仕事が無いから、人は北京に集まってくる。

就労人口が多くなるから、当然賃金が安くなる。悪循環である。


地方出身の人は、永久に地方籍である。

市内籍をとる方法は、

男性は北京大学に入るか、兵役しかない。

女性は北京大学以外方法が無い。


中国は、結婚しても男女別姓で、

生まれた子供は、父親姓を名乗り、

戸籍は母親戸籍に入るとのこと。


したがって母親が地方出身だと子供はすべて地方籍になってしまう。

なんとも不合理であるが、

現状はそうゆうシステムになっている。

人口が多すぎるため、少子化政策を採っている。



少数民族は二人目も許されるが、漢民族は子供一人しか許されない。

漢民族は、二人目は罰金を取られるという。

だから二人目を罰金っ子と言うそうで、

子供はみじめである。

また、罰金を取られるので、届け出をしない人が沢山いる。

人口は12億であるが、

その他に届けの無い人が何人いるか見当もつかないらしい。

日本などへ密入国するような人は、

戸籍の無い人なのではないか?


しかし、豊かな人は、二人目も申請すれば許可がもらえるそうだが、

相当のお金が必要という。

平均月収3万円であるが、二人目を申請する場合、

約60万円の費用が必要とのこと。

やはりかなり豊かでないと難しいらしい。

二人目を申請して、子供が出来なかったらどうするの?

と聞いたが返事は無かった。


申請費用60万円は没収になるのだろうか。

あるいは、妊娠するまでがんばるのだろうか?

中国は広い。

54の民族が暮らしており、言葉はそれぞれ持っており、

方言があり、なかなか通じないそうである。

標準語政策を取っているが、

全域に達するには、まだ相当の時間が必要になるらしい。

中国が経済的に、世界と肩を並べるのに、

そんなに時間は掛からないだろう。

日本にとっては、脅威になるのか、

あるいは良いお客さんになるのだろうか?

2003年にそう思って居たのに、

2019年には世界第二位の経済大国になってしまっている。