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(常念寺)
![0000 0000](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/24/640dd1f827d6157d7e3d067de759fdcd.jpg)
(那須・黒羽3)
那須神社より国道461号線を東へ約4km、
国道294号線との交差点を左折。
左側に常念寺がある。
この参道左手に芭蕉句碑があり、
・野を横に馬牽きむけよほととぎす はせを
が刻まれている。
この句は芭蕉が黒羽から殺生石に向かうとき、
馬子から「短冊得させよ」と乞われて、作った句である。
まさか馬子から、俳句の短冊が欲しいなど乞われるはずも無いと、
思いがけない頼みに感じ入って作った句である。
馬子の教養がしのばれる。
(参道左の芭蕉句碑)
![0002 0002](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/58/7025cab53eb8da3f3a94490ee4501814.jpg)
(「野を横に」の句碑)
![0003 0003](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3a/44099a35c266f153f5f292eb44db4340.jpg)
常念寺を出て道を左へとると、ややあって右側に明王寺があり、
手前左手に明王寺の駐車場がある。
その境内の右手手水鉢の奥に、芭蕉句碑がある。
句碑横の説明によれば、
芭蕉が黒羽に滞在中、歌仙の興行があった。
その36句の中から明王寺に相応しい句として、
・今日もまた朝日を拝む石の上 歌仙・芭蕉
をとり、句碑とした、とある。
(門前の小僧,習はぬ経は読まない)
![0004 0004](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b3/fe17619dd3681e45f66f7d4ca4110dea.jpg)
(明王寺山門)
![0008 0008](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ed/c4612550188d2810c71c7be78e1957f2.jpg)
(本堂)
![0005 0005](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d6/d4b428d28889f5416b326e2d4b2a1dc3.jpg)
(手水鉢横に句碑が見える)
![0009 0009](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e3/4a482ba66605e6a827d4685b4cd6971e.jpg)
(本堂脇の句碑)
![0006 0006](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/82/b1335952b5dda989e6ced3c8eedf1cf0.jpg)
明王寺を出て、国道294号線に沿って、
くらしの館・ふるさと物産センターが左にある交差点を左折。
いくつか信号を越え、左右に道が別れ、
判りにくいが大田原市役所方面へ向うと、
道路左手に「玉藻稲荷神社」右の案内があるところを右折すると、
玉藻稲荷神社に到着する。
このあたりが那須の篠原という。
(玉藻稲荷神社の案内)
![0006_2 0006_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/30/43a4a4f6c4fc642a87be4f1d049c13d4.jpg)
(稲荷神社の赤い鳥居)
![0007 0007](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d3/b42e7ca3e25a9bb43ec1b5481033b8e8.jpg)
お稲荷さんの赤い鳥居をくぐると、先に石の鳥居が見え、
左手に石碑が見えるが、
これは歌碑で鎌倉第三代征夷大将軍の
源実朝の歌、
・ もののふの 矢並つくろふ 小手の上に
霰たばしる 那須の篠原
が刻んである。
これは歌枕「那須の篠原」を詠んだ歌である。
(実朝の歌碑)
![0002_2 0002_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/26/c0236a3c19b51520de363597c65496ff.jpg)
この那須の篠原は、九尾の狐―玉藻の前―が、狐である事が露見して、
逃げ込んだ場所である。
この石の鳥居には左右に「玉藻の狐塚が出来た縁起」が、
漢文で刻んであり、読み方も意味も不明の文字があって、
調べるのに時間が掛かった。
縁起の概要は、
(この玉藻大明神は、三国(インド、中国、日本)から伝わる狐である。
その昔、人皇76代近衛院(近衛天皇)の時代、
九尾の狐が美女に化けて名を玉藻といった。
大変博識で艶かしく絶世の美女であった玉藻は帝(みかど)に仕え、
帝も玉藻を深く寵愛された。
ある時、天子は病床につかれたが、医薬の効き目なく、
陰陽師の安部泰成を殿中に召して、祈祷させた所、
玉藻の前は九尾の白狐に変身し、那須の篠原に逃げた。
ここに久寿二年(1155)三浦介平義継、上総介平広常の両人は、
勅命によりこれを狩り、この地に埋めた。
後に、建久四年(1193)源頼朝公、狩をして、
この那須野に至り、この話を聞かれた。
そしてここに祠を建て、玉藻稲荷神社と名づけた。
そこで大豆田村住人 磯忠陸が、
大清浄の願をたて(観世音菩薩のように苦しみの一切を引き受ける願い)、
一基の鳥居を造り、永く神前にお供えする。
銘にいわく、玉藻狐、身は天竺にいたるも、霊魂はここにとどまり、
稲荷神社になると。
成就院即成山光明験寺 十一世権律師 法橋源珍 謹んでこれを記す。
華表(鳥居)寄進 大豆田村 磯又右衛門忠陸
石工 田町 伊藤新五郎 藤原鈴雄)
とある。
鳥居の右側に芭蕉句碑、
・秣負ふ 人を枝折の 夏野哉 芭蕉
がある。
(芭蕉句碑)
![0008_2 0008_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/89/128498a76e270b24b112449e4e9530c3.jpg)
(「秣負ふ・・・」の句碑)
![0005_2 0005_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d6/82458891de6c0a89a52f027da5c1d5fa.jpg)
さらに、右のほうを見ると池があり、これが「鏡が池」で、
三浦介義継が玉藻狐を篠原に追い込んで見失ったところ、
この池の面近くに伸びた桜の枝に蝉に化けた狐の正体が、
池に映っているのを見つけ、難なく九尾の狐を狩ったので、
この池を「鏡が池」というようになった。
その桜の切り株(?)が池の端に残っている。
また、池の横に小さな鳥居があるが、その奥が小高くなっており、
「狐塚」と呼んでいる。
なお、写真では木の蔭になって見えないが祠もある。
(鏡が池とその右にある鳥居の奥が「狐塚」になっている)
![0009_2 0009_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d8/b7e9b3c0a7b02f25c9d0b7842998bda5.jpg)
(池の向こう側にある切り株が桜の木?)
![0010 0010](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d4/a55b7c7a48d67a7e00d948def2915e1d.jpg)
・狐化け 玉藻を映す 池に月 hide-san
(常念寺)
![0000 0000](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/24/640dd1f827d6157d7e3d067de759fdcd.jpg)
(那須・黒羽3)
那須神社より国道461号線を東へ約4km、
国道294号線との交差点を左折。
左側に常念寺がある。
この参道左手に芭蕉句碑があり、
・野を横に馬牽きむけよほととぎす はせを
が刻まれている。
この句は芭蕉が黒羽から殺生石に向かうとき、
馬子から「短冊得させよ」と乞われて、作った句である。
まさか馬子から、俳句の短冊が欲しいなど乞われるはずも無いと、
思いがけない頼みに感じ入って作った句である。
馬子の教養がしのばれる。
(参道左の芭蕉句碑)
![0002 0002](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/58/7025cab53eb8da3f3a94490ee4501814.jpg)
(「野を横に」の句碑)
![0003 0003](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3a/44099a35c266f153f5f292eb44db4340.jpg)
常念寺を出て道を左へとると、ややあって右側に明王寺があり、
手前左手に明王寺の駐車場がある。
その境内の右手手水鉢の奥に、芭蕉句碑がある。
句碑横の説明によれば、
芭蕉が黒羽に滞在中、歌仙の興行があった。
その36句の中から明王寺に相応しい句として、
・今日もまた朝日を拝む石の上 歌仙・芭蕉
をとり、句碑とした、とある。
(門前の小僧,習はぬ経は読まない)
![0004 0004](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b3/fe17619dd3681e45f66f7d4ca4110dea.jpg)
(明王寺山門)
![0008 0008](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ed/c4612550188d2810c71c7be78e1957f2.jpg)
(本堂)
![0005 0005](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d6/d4b428d28889f5416b326e2d4b2a1dc3.jpg)
(手水鉢横に句碑が見える)
![0009 0009](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e3/4a482ba66605e6a827d4685b4cd6971e.jpg)
(本堂脇の句碑)
![0006 0006](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/82/b1335952b5dda989e6ced3c8eedf1cf0.jpg)
明王寺を出て、国道294号線に沿って、
くらしの館・ふるさと物産センターが左にある交差点を左折。
いくつか信号を越え、左右に道が別れ、
判りにくいが大田原市役所方面へ向うと、
道路左手に「玉藻稲荷神社」右の案内があるところを右折すると、
玉藻稲荷神社に到着する。
このあたりが那須の篠原という。
(玉藻稲荷神社の案内)
![0006_2 0006_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/30/43a4a4f6c4fc642a87be4f1d049c13d4.jpg)
(稲荷神社の赤い鳥居)
![0007 0007](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d3/b42e7ca3e25a9bb43ec1b5481033b8e8.jpg)
お稲荷さんの赤い鳥居をくぐると、先に石の鳥居が見え、
左手に石碑が見えるが、
これは歌碑で鎌倉第三代征夷大将軍の
源実朝の歌、
・ もののふの 矢並つくろふ 小手の上に
霰たばしる 那須の篠原
が刻んである。
これは歌枕「那須の篠原」を詠んだ歌である。
(実朝の歌碑)
![0002_2 0002_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/26/c0236a3c19b51520de363597c65496ff.jpg)
この那須の篠原は、九尾の狐―玉藻の前―が、狐である事が露見して、
逃げ込んだ場所である。
この石の鳥居には左右に「玉藻の狐塚が出来た縁起」が、
漢文で刻んであり、読み方も意味も不明の文字があって、
調べるのに時間が掛かった。
縁起の概要は、
(この玉藻大明神は、三国(インド、中国、日本)から伝わる狐である。
その昔、人皇76代近衛院(近衛天皇)の時代、
九尾の狐が美女に化けて名を玉藻といった。
大変博識で艶かしく絶世の美女であった玉藻は帝(みかど)に仕え、
帝も玉藻を深く寵愛された。
ある時、天子は病床につかれたが、医薬の効き目なく、
陰陽師の安部泰成を殿中に召して、祈祷させた所、
玉藻の前は九尾の白狐に変身し、那須の篠原に逃げた。
ここに久寿二年(1155)三浦介平義継、上総介平広常の両人は、
勅命によりこれを狩り、この地に埋めた。
後に、建久四年(1193)源頼朝公、狩をして、
この那須野に至り、この話を聞かれた。
そしてここに祠を建て、玉藻稲荷神社と名づけた。
そこで大豆田村住人 磯忠陸が、
大清浄の願をたて(観世音菩薩のように苦しみの一切を引き受ける願い)、
一基の鳥居を造り、永く神前にお供えする。
銘にいわく、玉藻狐、身は天竺にいたるも、霊魂はここにとどまり、
稲荷神社になると。
成就院即成山光明験寺 十一世権律師 法橋源珍 謹んでこれを記す。
華表(鳥居)寄進 大豆田村 磯又右衛門忠陸
石工 田町 伊藤新五郎 藤原鈴雄)
とある。
鳥居の右側に芭蕉句碑、
・秣負ふ 人を枝折の 夏野哉 芭蕉
がある。
(芭蕉句碑)
![0008_2 0008_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/89/128498a76e270b24b112449e4e9530c3.jpg)
(「秣負ふ・・・」の句碑)
![0005_2 0005_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d6/82458891de6c0a89a52f027da5c1d5fa.jpg)
さらに、右のほうを見ると池があり、これが「鏡が池」で、
三浦介義継が玉藻狐を篠原に追い込んで見失ったところ、
この池の面近くに伸びた桜の枝に蝉に化けた狐の正体が、
池に映っているのを見つけ、難なく九尾の狐を狩ったので、
この池を「鏡が池」というようになった。
その桜の切り株(?)が池の端に残っている。
また、池の横に小さな鳥居があるが、その奥が小高くなっており、
「狐塚」と呼んでいる。
なお、写真では木の蔭になって見えないが祠もある。
(鏡が池とその右にある鳥居の奥が「狐塚」になっている)
![0009_2 0009_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d8/b7e9b3c0a7b02f25c9d0b7842998bda5.jpg)
(池の向こう側にある切り株が桜の木?)
![0010 0010](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d4/a55b7c7a48d67a7e00d948def2915e1d.jpg)
・狐化け 玉藻を映す 池に月 hide-san