中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

世界三大瀑布:ビクトリアフォールズ(南部アフリカ紀行 4)

2008年01月28日 08時23分03秒 | 南部アフリカ紀行

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(ビクトリアの滝)

(ジンバブエ川とザンビア側から見るビクトリアの滝)
世界の三大瀑布は、南米のイグアスの滝、アフリカのビクトリアの滝、アメリカのナイヤガラの滝の三つである。
有名な滝ばかりであるから、どの滝も世界一と言われるだけあって、テレビ映像に何度も出てくるから、
おそらく知らない人はいないと思われる。

アフリカの探検家と言うとすぐ思い出すのがリビングストーン。
そのリビングストーンが発見した滝は、
雨季にはジンバブエからザンビアに掛けて1,7kmにわたる長さになるという。
アフリカの雨季をテレビでよく見かけるが、
乾季には砂漠化する陸地が浅い湖になるほどの雨量である。
滝を流れ落ちる水量をにわかに想像出来ないが、
ガイドさんの話では、流れ落ちる向こう岸の滝を観ることが出来ないほど水煙が上がるという。

ボクたちが訪れたときは雨季に入る前で、ジンバブエ側からは、
遠くザンビア側で流れ落ちる滝が奥のほうに見え、
手前には一本の糸のような滝が見えるばかりであった。
雨季には、はるか奥のほうから、手前の糸のような滝があるところまで、1,7km続く断崖が滝になるという。
乾季の今は、切り立った岩の断崖絶壁が見えるばかりであった。
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(この断崖が滝になる)
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(水量のあるところの滝)

世界三大瀑布のビクトリアの滝がある公園入り口には、
民芸品を売るみやげ物やがずらりと並び、キリン、象、バッファローの木彫り、
黒人の顔を彫ったお面などがぎっしり並べて売られている。
その広場の奥に立派な銅像が建っているが、これがビクトリアの滝を発見したリビングストーンの銅像であった。
ポルトガル人のリビングストーンは、この70年間ボクの記憶の中では探険家としてのイメージしかなかったが、
リビングストーン博物館を訪ねて、実際にはキリスト教の宣教師であることを知った。

アフリカにキリスト教を布教するのに、未開の地を切り開いた苦労は並大抵ではなかったことを、
たった二日のアフリカ滞在で容易に想像する事が出来る。

午前中はジンバブエ側からほとんど水のないビクトリアの滝を眺め、
はるかザンビア側の崖の上に、観光客の赤い日傘がポツンと点になって見えるのが印象に残った程度であった。
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(ごつい岩ばかりの滝に赤い傘が印象的であった)

午後からはザンビア側に歩を進め、約1,7kmを歩いてビクトリアの全貌を観光する。
ザンビア側は水量が多いところでは、
滝は水煙で対岸がかすかに見える程度である。
突き出した断崖の端にある展望台には、デインジャーポイント、
リビングストーンポイント、のように名前がつけられ、滝を展望できる。
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(雨季にはこの断崖がすべて滝になる)
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(デインジャーポイント)

午後からは太陽を背に受けての観光であったため、水煙に太陽が
反射して、虹が良く見えた。よく虹がかかる滝には、レインボウ滝と名づけられている。
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(レインボウ滝?)

乾期で水量がなかった所為か、三大名瀑も今のところナイヤガラに軍配が上がる。
その水量や均整の取れた美しい姿はナイヤガラのほうが、
今のところ群を抜いていると感じた。



芋虫の夕食(南部アフリカ紀行 3)

2008年01月21日 08時55分50秒 | 南部アフリカ紀行

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(夕食に出た芋虫/ボクのヴィデオから)

(サンセットクルーズ)
16時からのザンベジ川のサンセットクルーズは、飲み放題、食べ放題と言うが、
その後ホテルで民族舞踊を見ながらの夕食が待っているので、ほんのおつまみ程度にお腹に入れる。

乗船前に黒人の民族衣装に身を包んだ数人が、
(民族衣装とは上半身裸で、腰蓑をつけた例のターザンのジャングルに出てくる土人用の衣装
―-女性は、もちろんのことトップレスではなくビキニスタイルの上に腰蓑を着用)
笛や太鼓で踊りを披露して大歓迎してくれる。

しかし、あいにくの曇り空でサンセットは望むべくもない状態であった。
もし空が晴れ渡っていたら、ジャングルの向こうに沈む真っ赤な太陽が美しいはずであるが・・・
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(草むらで魚をくわえたワニ)
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(川面に姿を見せるカバ)

ジンバブエの船は国境を越えて、対岸のザンビア側に近寄る。
ザンベジ川の岸辺にはワニが寝そべっており、川底から時折カバが顔を出す。
野生のワニやカバを見るのは、日出る国のヤポネ(現地人は日本人に向かってそのように呼んだ)は、
始めての体験であるから嬌声があがる。
黒人の船長は苦笑している。彼らは毎日見ているのだ。
その船長が英語で歓迎の辞を述べ、英語で舟のロケーションなどを説明するのを異様に感じた。
アフリカの黒人は、ズールー語を話すものと思っていたからだ。

アフリカ人とは、ボクの頭の中では、ターザン映画に出てくる黒人のイメージしかない。
まさに、ターザン映画に出てくる黒人船長の説明によれば、
ザンビアとジンバブエはこのザンベジ川が国境になっている。
舟はジンバブエの国籍で、今は川の中心よりザンビア寄りを航行しているが、
ザンビアの入国管理局に許可をとることもありません、などとユーモアたっぷりに話しているが、
ヤポネの日本人にこの冗談が分からず笑うものは誰もいない。
日本でもそうだが、県境は川の中心であるように、アフリカの国境もザンベジ川の流心であった。

クルーズの客は、日本人だけでなくヨーロッパからの白人も混じっていたが、
昼寝をしているのか、寝そべって動きもしない鰐を見てもわれわれと同じように大騒ぎである。

この様子は、東海道新幹線で富士山を見つけた異邦人のようなものである。
サファリドライヴやボートサファリでも同じように案内する彼らは毎日見ているから、
動物を見つけると歓声を上げる観光客が馬鹿に見えるであろう。
でも、金儲けのため、あきらめ顔なのに違いない。

ザンビア川のサンセットクルーズを終わりホテルの夕食の席に着いた。
民族舞踊ショーを見ながらの夕食である。

ヨーロッパの国々で、ショウのある夕食の時は、
東洋人はいつも後ろのほうの見にくいところに座らされる。
ホテルの部屋もそうであるが、東洋人の部屋は裏通りに面した部屋で、見晴らしが悪いことが多い。

しかし、アフリカでは東洋人の肌の色が仲間意識を持たせるのか、
ホテルの部屋も特等室で見晴らしの良いところが選ばれ、
ショウ付きの夕食でも一番良い席が与えられた。
その昔奴隷として虐げられてきた遺恨が、未だ心の奥底に残っていて、
白人を避ける気持ちが働くのであろうか?

もっとも、アパルトヘイト(人種隔離政策)から開放されたのもついこの間の出来事であるから、
気持ちを察することは出来る。

話が脱線してしまったが、夕食はヴァイキング方式であったが、
中に「いも虫」が食事の一つとして提供されている。
むかし、現地人の唯一の蛋白源として摂取された(今では珍味?)といわれる。
野菜と一緒に炒めてある感じで、芋虫がそのまま野菜と一緒に沢山いた。
聞くところによれば、食べた人には「いも虫をよくぞ食べました」とその勇気を称えて、
証明書をくれるそうである。
見た目には芋虫そのものであるから、食べるにはかなり勇気が必要だ。
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(皿の右端が芋虫)

子供の頃食糧難で、蛙、蛇、でんでんむし、蜂の子など食べた経験から、
芋虫を食べるなんて千載一遇のチャンスとばかり、二匹ほど口に入れた。
味はどうだといわれると、返事に窮する。
なんともいえぬ味である。それに噛めば噛むほど味が出る。
他に比較のしようのない味であった。

翌日、夕食は別のレストランであったが、やはり芋虫は用意してあり、
こちらは半熟の芋虫で、噛めば中からプチュッと中身が出てきそうで、
さすがに口に入れる勇気はなかった。

こうしてアフリカにだんだん慣れていくことになる。
一ヶ月もいれば、芋虫もおいしいおいしいと舌鼓を打って食べることが出来るに違いない。



ジンバブエ(南部アフリカ紀行 2)

2008年01月14日 08時32分35秒 | 南部アフリカ紀行

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(ホテル・キングダム)

(ジンバブエのホテル)

成田から香港、香港で南アフリカ航空に乗り換えてヨハネスブルグ、
さらに乗り継いでビクトリアの滝まで飛ぶ。なんと飛行時間通算20時間。
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(空港で)

飛び立つ成田では、夏に近い気温であった。
乗換えで最初に降り立った香港空港も夏姿で十分快適であった。
南アフリカ航空で13時間、一眠りして到着したヨハネスブルグでは、空はどんより曇り、肌寒く感じる。
出発前の東京で、テレビのニュースにアフリカは異常気象に見舞われ雪が降り積もったと報道されていたが、
その名残りかと、用意した衣類が心配になってきた。
何しろアフリカといえば暑いが代名詞のようなもの。
黒人が腰に蓑をつけ、弓矢と槍、チーターと象とターザンのイメージが強い。
ボクには想像も付かない気温である。
冷静に考えれば、アフリカは南半球にあり、今の季節は5月初めと考えれば、
時には寒さに震える時期があってもおかしくはない。
そのように用意したつもりでもなんとなく不安が頭をよぎる。
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(ショウのため腰蓑をつけた原住民)

ヨハネスブルグで乗り継ぎ、2時間でビクトリア・フォールズ空港に着陸。
今度は予想通りの暑さで、とりあえず衣類の心配はどこかに飛んでしまった。
ガイドさんの説明では、日中は最高気温38℃、
朝晩は17~18℃という。本来今頃は雨季に入っているのに、
世界的な異常気象で、まだ乾季の中にいるとのこと。
旅行者の皆さんにとっては幸いなことです、と慰められた。

長旅に疲れて、すぐホテルに案内されたが、飛行機を二回も乗り換えた所為もあって、
ツアー同行者のスーツケースが一つどこかへ行ってしまった事件が起きた。
このスーツケースは旅行中の五日目に航空会社から返送されてきたが、
この五日間スーツケースをなくした人は、毎日着物の洗濯を余儀なくされたのであろうか。

ボクたち夫婦のバッグ――二つのうち一つの鍵が破られ中身が引っ掻き回されていたが、
鍵を壊した人にとっては、ろくでもないものばかりだったのか、何の被害もなかったのが幸いであった。
幸いといえば、偶然にも予備の鍵を持っていたので、
翌日から間に合い、快適に旅を続けることができた。

宿はリゾートホテルで、その名も「Kingdom(王国)」。
夕方16時からのサンセットクルーズに出かけるまで一時間ほどを、休憩することになった。
スーツケースを広げ、就寝の準備をして、窓を見るとすぐ目の前が池になっていて、その先がプールになっている。
リゾートホテルの雰囲気で庭は広く、ここに三泊の予定。

初日はザンベジ川のサンセットクルーズ。
二日目は、ボツワナまで出向いてチョべ国立公園で、サファリドライヴとチョベ川のボートサファリを楽しむ。
三日目は、雨季には1,7キロあるというビクトリアの滝を、
ジンバブエ側からとザンビア側から観光する。

飛行機の上からは大草原と、ところどころに集落があり、回りを囲んで円形に紫色の塊が見える。
きっとジャカランダの花であろうと推測できる。
空港からホテルまでの道のりで、ジャカランダの大木を見つけ、ツアー客は歓声をあげたり、
桜のようにびっしり真紅の花をつけた木を見て奇声をあげたりしている。
ガイドさんの説明によれば、真紅の花の木は「火炎樹」というそうで、
まさしく大木が紅蓮の炎に包まれているようであった。
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(火炎樹)

一時間のホテルの休憩も、少し横になると朝まで起きられそうもないので、ホテルの建物の周りを散歩することにした。
部屋のある建物の裏庭はきれいに芝が刈り込んであって、
庭は金網に囲まれて外界から隔離されている。金網の先は熱帯樹林になっていた。
金網の近くに何か蠢く動物がいる。ちょっと目には「いたち」か「りす」のようであるが、
大きいのや子供と思われる小さなものまで、無数にいる。
餌を探し食べ歩いているようだが、リスでもイタチでもない。
カメラを持参して撮ればよかったと悔やまれる。
近づくとボスらしい一番大きなものが立ち止まり、こちらを伺うようにしてから、
一声鳴いた。「チエ!」とねずみのような鳴き声と共に全ての動物は茂みの中へ消えていった。
後で動物図鑑を調べてみるとシママングースであった。

芝生を歩くと裏門があり外へ出ようとすると、当然のことであるが黒人の門番が立っている。
呼び止められて、
「どちらへ?
この先15分ほど歩けば、ビクトリアの滝に出られるが、
途中、野生のバッファローの群れに出合うかもしれない」という。

アフリカに来て野生の動物に出会ったとき、どう対処すればよいか不安に思ったので、
門番に礼を言って、外出するのをやめた。



南部アフリカ四カ国(南部アフリカ紀行 1)

2008年01月07日 09時15分04秒 | 南部アフリカ紀行

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(喜望峰)

(ジンバブエ・ザンビア・ボツワナ・南アフリカを巡る)
長いことボクの夢であった、「喜望峰を訪ねる」旅を実現することになった。
2006.Nov.6.のことである。

その昔、大航海時代にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えてインドに向かった。
誰も通り抜けたことのない岬をどんな気持ちで通り過ぎたのであろうか?
現地で想像してみたかったからである。

しかしガイドさんの説明で、ボクの考えていたことが最初に砕かれた。
喜望峰に最初に到着したのは、ヴァスコ・ダ・ガマではなく、
バーソロミュー・ディアスというオランダ人であるというのだ。
その記念碑が堂々と建っている。そして反対側にヴァスコ・ダ・ガマの記念碑も立っている。
ヴァスコ・ダ・ガマはこの岬を越えてインドに到着した最初の人として有名なのだ。

ボクのつたない知識の中には、元イギリス領の南部アフリカで有名なものが、五つある。

その一が、アフリカ最南端「喜望峰」。
(これまた間違いでありアフリカ最南端の岬は別にあった。)
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(喜望峰)

その2が、美しい紫の花を咲かせる、ジャカランダ。
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(ジャカランダ)

その3が、アパルトヘイト(人種隔離政策)、そして黒人開放に尽力し、
ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ氏。
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(マンデラ氏の住まい)
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(マンデラ氏の住まいを見学する子供たち)

その4、平原に生存する野生の動物達。特に象、犀、カバ、豹、ライオン、キリンなど。
その5は、その味ではフランスのボルドーを凌ぐといわれるワインがある。
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(象の親子)

そのほか数えだしたらきりがないが、オランダ人の開拓史、世界三大瀑布に数えられるビクトリアの滝、
ウオーターフロントから見るテーブルマウンテン、
南極に近づいたのかペンギンにオットセイなど、そして人類で最古?の人骨が発見された所などなど。

11月は南半球では日本の五月頃の気候。天気に恵まれ快適な毎日で、見るものも珍しいものが多い。
真っ赤な花が咲く火炎樹、紫色の花をつけるジャカランダ。
食べるものでは、ワニやら鹿やら芋虫やら。
飲み物では、ワインはもちろんのこと、名前さえ知らない果物で作った果実酒アマルーラ。

そんな予備知識のボクが訪ねた南部アフリカ。旅行社から送られてきた南部アフリカのパンフレットをみて驚いた。
人が崖の上に座り込んでおり、その下方の、はるかかなたに街が見える写真。
高所恐怖症のボクにとっては、見るだけで命が縮む想いである。