中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

歴史を感じる幸手宿(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 29)

2014年04月29日 10時36分45秒 | 日光・奥州道中ひとり歩る記
(東武幸手駅)


(幸手宿2)
2014年4月1日晴れ、気温19℃の予定。
二日続く五月並の陽気に、桜が満開になる。
幸手駅は、花見客が電車を降りるためか、普段の日というのに、
老若入り混じって混雑している。

駅を出ると観光協会が大声を出して、
「権現堂桜まつり行きのバスが発車しま~す」と声を張り上げて、
一人一人にパンフレットを渡している。
花見で有名な幸手の権現堂堤は、今朝NHKのニュースで映像が流れていた。
幸手駅まで、上野駅から急行でおよそ60分かかると言うのに、
この人出である。
日本人の桜好きは今始まった事ではないが、
それにしても上野公園や、墨田公園、千鳥ヶ淵公園だけでは飽き足らず、
埼玉県の幸手まで足を伸ばしたのであろうか。

いやいや上野の山や隅田川、千鳥ヶ淵の足の踏み場もない混雑から言えば、
多分、埼玉の方へ行けば混雑が緩和されると思って、
みんな出かけて来るのであろう。

駅を出て旧日光街道まで出る歩道を歩いて居ると、
(桜祭り)ののぼり旗がはためいており、
よく見ると街灯の頭にも桜のマークが入っている。
幸手市は、この桜堤のお蔭で潤っているのであろう。

(のぼり旗のある街灯)


話は飛んだ方向にずれてしまったが、
今日は幸手宿を歩いて栗橋まで行く予定である。
時計を見ると11:30分である。
時間を知ったら、急にお腹が空いて来た。
目の前にあるお蕎麦屋さんに入って腹ごしらえ。

店内は桜見物のお客さんで殆んど埋っており、
やっと座る場所を見つけて、
「大盛りそばは量がたくさんありますか?」と聞く。
その昔、信州の小諸のお蕎麦屋さんで、
「大盛そば」と注文したところ、
お店の女性がメニューを差し出した。
見ると、もりそば、中もりそば、大盛蕎麦と、
三段階に分けてある。
その女性が言うには、
「大盛りは、1kgありますが・・・」と。
そこですぐ察して、「もり一枚に訂正」と変更した経験がある。
「もり蕎麦」だけでも、東京の「大盛り蕎麦」に匹敵した量であったのだ。

女将さん曰く、「一人前半ですよ」それで納得して、
改めて「大もり蕎麦」と元気よく頼んだ。
店内のお客さん達は、まだお店に入ったばかりであったと見え、
「大盛りそば」が目の前に現れるまでかなりな時間が掛かった。

お蕎麦屋さんを出たら、12:30分。一時間も掛かっている。
少し歩いて、(幸手駅入り口)の交叉点にでる。

(幸手駅入り口の信号のある旧日光街道)


ここの左右が旧日光街道である。
信号の向うに、旧家らしい建物が目に付く。
目を右に移すと塀に(歴史を感じる街 幸手)の大きな看板が見える。
交流により幸手の街の活性化を図る団体NPOの看板であった。

(旧家らしい建物)

(歴史を感じる街 幸手)の看板)

(街並みの地図)

(街並みの地図2)

(街並みの地図3)

(街並みの地図4)


建物は(コーヒーショップ)になっているが、
説明によれば、国登録有形文化財に指定されている
(岸本家住宅母屋)で、元しょうゆ醸造業。
上埜屋(うえのや)の屋号で、
その醤油はパリ万博で銅メダルを獲得していた家である。
そう言えば、お店の横に国登録有形文化財の標柱があった。

(国登録有形文化財の標柱)


この看板を一所懸命見ていたら、見知らぬ男性から声を掛けられた。
「はいっ!」と手渡された小冊子
「日光街道幸手を感じる会」の発行の看板と瓜二つの内容の印刷物であった。
欲しいと思って写真を撮っていたので大助かり、
厚く礼を言って、印刷物を頂戴した。
(パンフレット)(左側は旧日光街道 幸手宿の延絵図)