中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

古中山道の諏訪神社(旧中山道を歩く 161)

2008年12月01日 08時01分08秒 | 5.木曽(長野県)の旧中山道を歩く(157~2

(平沢の町の地図、漆器店の裏側が土蔵[黄色の部分]になっている)

(ならかわ支所にある古中山道の諏訪神社)

麻衣廼神社を後に旧中山道に出る。
すこし歩くと、秋葉神社の鳥居の横に清水が流れる水場があり、
豊富な水が絶えず流れている。
火事除けの神様の横に、水場がある取り合わせが愉快である。
ご近所の方であろうご婦人が水場で、採りたての野菜をせっせと洗っている。

(秋葉神社の鳥居)

(贄川宿の町2)

道路はやがて下りになり、大きく右に迂回しやがて桃岡橋に出ると、
国道19号線と合流する。
贄川宿はここで終わる。

(のどかな田舎道)

(桃岡橋から)

(桃岡橋)

(紅葉の長瀬の集落)

国道に沿ってすこし歩くと、左に入る脇道があるので、
旧中山道は左方向に国道と別れる。
ひなびた「長瀬」の集落を抜けると、また国道19号線に出る。
この先で右折する必要があることから、
道路を横断し道路右側に出るが、
自動車の交通量が多いので横断には注意が必要だ。

(国道19号を横断する)

(平沢北の信号)

やがて「平沢北」の信号があり、
前方に道の駅「木曽ならかわ」が見えるので、信号を右折する。
「ならかわ」とは、奈良井と贄川が合併した際、
奈良井の「なら」と贄川の「かわ」を採って命名された「ならかわ村」から来ている。

楢川村むらおこし農家組合の「ならかわの民話」にその合併の経緯が
面白く書かれているので紹介したい。

(明治21年市町村制が布かれ、奈良井村と贄川村の合併話が出た。
しかし、両村はこれに反対で、否決の意見をまとめている。
奈良井村では「桜澤から川入りまで村内の距離が五里ほどあり、
一つの役場では不便で、時間費用の無駄を生み、
ついで人情風俗が奈良井は木櫛・漆器製造のため人との交わりが少なく、質朴であるのに、
贄川では行商でよそへ出かけることが多く、性格が狡猾であるからだ」と。
いっぽう、贄川村では「贄川は、基本的財産の積金や共有原野があり、
独立自治の資格あることと、養蚕の収入が木曽谷では最も多いほか、
桑崎の人が不便で、また、贄川村は行商で都会に出て開けた風潮になじみ、性格が活発であるが、
奈良井は、ふだんから一つの部屋に入るので、交通の道にうとく卑屈であるから」と。
ところが二ヶ村の合併反対のさなか、奈良井村の内の平沢は合併に賛成、
「奈良井村のままでは、産業の衰退から平沢住民の負担が増大する」と言う理由であった。
これに対し、県は「質朴と活発はむしろ調和が取れ狡猾と卑屈は誤認であるから
合併反対の理由にはならないとして、翌年楢川村が誕生したのである。)とある。
こうして「ならかわ村」が誕生した。

話を戻す、
「道の駅木曽ならかわ」では、お腹が空いた方はお食事を、
漆器木工に興味のある方は道の駅の中にある「木曽くらしの工芸館」を楽しむと良い。
忘れてならないのがお手洗い、後しばらく用を足すところがないので、済ませておきたい。
見学を済ませ、空腹を満たしたら、道の駅を退出する。

(木曽くらしの工芸館)

(漆器の町平沢への上り坂)

(左側にある「ならかわ支所」)

道は鳥居峠に向かって登り道であるが、
まだまだわずかに勾配がある程度。
道路は左に右にカーブしていくが、道なりに進む。
すこしずつ人家が増えてくると、左手にコンクリート造り三階建ての
塩尻市役所楢川支所の建物が見えてくる。
建物の西側は、駐車場でその先の植え込みに、
木曽平沢の漆器街の地図と芭蕉の句碑が建っている。

(平沢の地図と芭蕉句碑)

木曽平沢の地図は、一軒一軒細かく書き込まれて、
道路わきの工房の奥には、漆を塗る土蔵が黄色に塗りつぶされている。
漆塗りが如何に湿気を嫌う作業であるかと言うことを示している。

(芭蕉句碑)

芭蕉句碑には、
「送られつをくりつ 果ては木曽の秋」と読める。

しかし、芭蕉句集には、
「送られつ別れつ 果ては木曽の秋」がある。

どちらかと言うと、(別れつ)の方が意味が解りやすいし、
一つの文章に同じ言葉を入れないと言う原則から考えても、
(別れつ)の句の方が良さそうである。

(「をくりつ果ては木曽の秋」と読める句碑)

(句碑と町の看板の奥に見える古中山道)

芭蕉の句はともかく古中山道が、
この句碑と平沢の街並みの看板が並ぶ奥の右側にある。
わずかな距離であるが坂道を登るようにと案内があり、
史跡として中山道の石垣が道路わきに残っている。

(古中山道入り口)

(急な坂道)

(鳥居が見える)

(史跡となっている「中山道の坂道」)

(市天然記念物になっている諏訪神社社叢 の風景)

(神社本殿、中山道はこの前を抜ける)

急な坂道を登ると、
諏訪神社の石の鳥居があり、
古中山道は神社の本殿の間を抜けると歌碑がある。

歌碑には、
「うまや路の木曽の平沢軒並めて 塗師屋(ぬし)が住める店の格子戸」
とある。

(歌碑)

歌碑の脇に落ち葉を敷き詰めた階段があるので下りると、
今まで歩いてきた道路の延長線上に出てきて合流する
ほんの百メートルほどの古中山道であるが、
江戸時代の中山道はかくやあらんと偲ばれる。

この先で漆器の里、平沢に入る。

(社叢 という感じがある落葉の階段)





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も 19号線の交通量の多さに辟易としながら歩き... (どら)
2008-12-02 13:56:49
私も 19号線の交通量の多さに辟易としながら歩きました。贄川から平沢までは退屈でした。
道は変っていくので仕方ないですけれどね 中山道でも時代によってずいぶん変ってきたようでした。
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奈良井から薮原まではHIDE-SANが思っていらっしゃ... (どら)
2008-12-02 16:23:07
奈良井から薮原まではHIDE-SANが思っていらっしゃる時間でだいたい良いと思います。私は 写真を撮りながらふらふら歩くので いつも一時間ぐらい余分にかかってしまいます。
今回は奈良井の町をパスしたので 4時間ちょっとで薮原まで行けましたが(休憩時間を含みます)奈良井の町を楽しめば当然時間かかります。 資料館などじっくりごらんになるでしょうからその分の時間をお忘れ無く。
鎮神社からは峠まで 特に休憩場所は・・・あ あった あった 葬沢と 峠手前の少しだけ登っていく展望地 どちらも東屋があります。 ですが 峠までもそう大変では無いので 是非峠までいらっしゃることをオススメします。 水もあるし トイレも ヒノキ作りでしょうか? 綺麗な避難小屋があります。 
和田峠を歩かれたHIDE-SANですから そんなに大変では無いです。 でも雪がたくさん積もっていたら 雪解けまでお待ちになった方が良いかもしれません。 怖い思いをしました。
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