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(板の上に石を載せた木曽谷の家)
(妻籠宿 3)
妻籠宿の寺下地区のはずれに藁馬実演販売所があって藁の馬がある。
実物大の馬の大きさの藁人形ならぬ藁馬が置いてある。
この先馬籠峠から馬籠宿へ向うことが頭にあって、つい見とれてしまった。
妻籠宿のはずれの左側にWCがあり、右手に尾又橋がある。
その先は人家もなくなり、右手は蘭川、左手には山の道を進む。
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(藁の馬)
間もなく右から左へ行く県道256号線と交差する。
県道をまたいだ先が京都側の妻籠宿入り口で、
大きな駐車場とお手洗いがある。
県道の右手は蘭川で田島橋がある。
その先の中山道は草道で、林と右側の墓地を見ながら進む。
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(京都側にある妻籠宿の看板と田島橋)
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(道路を横断した所にある石標「右旧道 まごめ」とある)
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(林と墓地を過ぎる草道)
草道はすぐ国道7号線にぶつかり、これを右折する。
すぐ大妻橋に出るが、手前左側の奥のほう民家の前に、
南木曽町の指定史跡になっている、大きな石柱道標が立っている。
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(右折すると大妻橋がある)
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(橋の手前奥の民家の前にある石柱道標)
南木曽町の説明によれば、
(明治25年に賤母(しずも)新道が開通するまで、
馬籠~妻籠~三留野を通る中山道は、
古くから幹線道路として重要な役割を果たしていた。
ことに妻籠の橋場は「追分」とも呼ばれ、
中山道と飯田街道の分岐点として栄えた所である。
この道標は、飯田の皆川半四郎という人が発起人になって、
当所の松井與六・今井市兵衛・藤原彦作の世話人と共に、
飯田・江州・地元の商人によって、
明治十四年六月に建てられたものである。
当時の繁栄がうかがえる石柱である。)とある。
ボクにはどうでもよい、余分なことが書かれているが、
つまり飯田街道との分岐点になる石の道標を、
土地の有力者と商人が私財を投じて造ったと言うことである。
だから街道沿いには無く、はるか奥のほうにあって、
今では何の役にもたっていない。
大妻橋を渡り右側の民家の先に石畳の道が見える。
旧中山道は、ここを右のほうへ行く。
杉林の中、上り坂を行くが、中山道らしい静かな道を行くと、
やがて坂の上に「大妻籠」の案内看板がある。
道は左手に国道7号線が見えるが、
中山道はその看板を右のほうへカーブする。
すぐ石の道標があり(右 旧道)とあり、小さな橋を渡ると、
突き当たる格好で大きな民家が見える。
道路は左へ曲がり川に沿っていくことになるが、
前方に道の左右に民家が見えてくる。
一軒一軒が大きな家である。
近づくと右手に三軒の民宿が並んでいる。
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(中山道の石標,「右旧道」と刻んである)
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(石畳の道)
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(林の中の静かな登り道)
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(木曽路らしい山の中の道が続く)
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(山里の民家が数軒)
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(手入れが良く行き届いている民家-豊かなのであろう)
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(大妻籠の案内、左側は国道)
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(案内看板を右折し橋を渡ると大妻籠の集落)
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(大妻籠の集落大きな家が多い)
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(右側に卯建のある家、三軒の民宿が並んでいる)
一番奥にある民宿が今日の宿「つたむらや」である。
出来るだけ馬籠宿に近いところに宿を取ろうと、
妻籠からは一番奥の民宿を選んだのである。
明かり障子の入口を開けて、奥に続く土間に立って、案内を乞うも返事がない。
しかし奥のほうで物音がするし、隙間から明かりも漏れて、
人の気配もする。大きな家で、とても奥まで聞こえないらしい。
大音声で「御免ください!」と二回くらい呼ぶようにして案内を乞うと
しばらくして、正面の奥の障子が開いて、
「いらっしゃいませ」の声で、安心する。
「そこへ御かけください」と女将さんらしき人がいうが、
見ると上がりかまちの先に囲炉裏があり、
その先が畳になっており、部屋は十畳ほどあろうか。
荷物を降ろし、板の間に腰を下ろす。
民宿の名刺と宿帳を渡され、暇な時に書いて置いてくださいという。
やれやれこれで何とか今夜はゆっくり休めそう。
時計を見ると、PM16時少し回った所であった。
次回は民宿について
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(民宿「つたむらや」石垣が六角形になっている)
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(囲炉裏のある部屋)
本日(5/13)歩いた歩数38000歩=約22kmを歩いたことになる。
明日は大妻籠から馬籠峠~馬籠宿~落合宿~中津川宿まで歩き、
東京に帰る予定である。