![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/0b/2f93eceb63d15798d6b1b4d1bda5c399.jpg)
(英泉画「木曽海道69次之内馬籠宿」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/6b/c2a3ee8b50353e8f8e4fe3becda76744.jpg)
(水車塚先の国道方面から来る高校生たち)
(馬籠宿 3)
中山道を馬籠峠に登る生徒たちがまだまだ沢山やってくる。
水車塚の先で、国道7号線を横断し、
石畳の道、砂利道、杉林や竹林の中を抜けると、
左側にやや広い田んぼがある開けた場所に出る。
今までの木々で空を塞がれた道と比べ、開放感を感じて道路を少し登ると、
また国道7号線に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/25/84606173745c7394d9cb5547eadac37f.jpg)
(林の道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/36/1ce82ebcac32215eef3cb865113f4216.jpg)
(砂利道)
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(田んぼがあって開けた場所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/04/d6881ada129ac448daff5e2e522bdae6.jpg)
(石畳の道、右に上り国道へ合流)
今度は横断せず、左へ国道の脇を歩く。
道路は大きく左へカーブして、カーブが終りを告げる頃、
道路右側に狭い階段状の道路が見えるので、
この階段を右へ登る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a4/b328b11e927d4783e35b350a3d235b4c.jpg)
(右へ階段を登る、手前に「中山道」の石碑がある)
しばらくして「a detour」の案内看板があり、
新しく出来た手すりと、新しく出来た石畳の階段に出る。
この「a detour」の看板の意味が分らず、新しい石畳の道を行くと、
見晴台のような整備された場所に出る。
案内書に寄れば、ここで民家の庭先を通り抜けるようになっている。
しかし新しい道が上手に出来ていて誘導するので、
何の疑いもなく、見晴台に着く。
見晴台の前方は、見事な恵那山が姿を見せ、
旧道のことなど忘れさせてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/56/f0d5a97ed2110cc0403e34bad78d2d12.jpg)
(恵那山が綺麗に見える新しい道に誘導される)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d8/19fb4b08208081bee702b6342cf26063.jpg)
(誘導されていく新しい石畳道、前方中央が見晴台、この右上に民家がある。旧道はその前を通った)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8d/5d5164725f142ae1611f07cb24785635.jpg)
(見晴台から見た恵那山)
恵那山に満足して、見晴台を後ろに振り返ると、中央に階段がある。
昇ってみると、一段高い所に左右に石畳の道がある。
これが旧中山道本来の道で右奥を見ると、
旧道は確かに民家の庭先を抜けるようになっている。
しかし、近年中山道を歩く方が増えたので、
プライバシーの問題もあり、
馬籠が岐阜県中津川市に編入されたこともあり、
役所の計らいで、迂回路を作ったのであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/cb/c82bb7e311a9f21a068a9cd230b1e7b2.jpg)
(見晴台の中央後ろにある階段)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/55/c3da376670ccbce18b78fe0b9288ec8d.jpg)
(階段を登って右を見ると民家があり、庭先を旧道が抜けている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/4b/70add8c912d38844655b2716d372490e.jpg)
(階段の上から左折すると旧道は下り坂で石畳がある)
ここでやっと「a detour」が迂回路の表示だと言うことが分った。
昨日は外国人に沢山すれ違ったが、
外国人の案内書は、ボクが持っている案内書と同じで、
きっと民家の庭先を通るようになっているのであろう。
ボクは日本国内にいるため、
英語の「a detour」の意味が判らなかっただけのこと、
外国人には「a detour」が「迂回路」と分ったに違いない。
見晴台を出て、左に折れようとすると道祖神があり、(左馬籠宿100m)
(右妻籠宿7.6km)の案内があり、京都方向に向う上りの旧道がみえる。
これを行くと、途中で「a detour」の看板があり、
右折して見晴台に下りてくることになる。
「a detour」の看板の先に民家の庭先が見えるはずだ。
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(見晴台出口の道祖神、馬籠宿右100mとある)
案内どおり左100mも下ると、馬籠宿北の入口の高札場があり、
その向こうに恵那山が見える。先ほど見た見晴台の恵那山は、
つい最近作られた見晴台の恵那山であるが、
ここ馬籠宿の高札場から見る恵那山は、島崎藤村も「夜明け前」の
主人公青山半蔵(藤村の父)も同じ恵那山を見たに違いない。
高札場を下りて県道を横切る手前に、中山道馬籠宿の石碑があり、
沢山の中国系の外国人観光客が、背景に高札場を入れて写真を撮っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/40/afa0307ef10c25618d2d55bfc14639a9.jpg)
(高札場、奥に馬籠宿が見え、観光客が沢山見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/a0/ac290ad1b27818d2b0f8d4b359caba12.jpg)
(江戸側の中山道馬籠宿の石碑と高札場と中国人観光客)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/88/c8fb779521144f9aed9b6d7c9d8e9372.jpg)
(藤村も「夜明け前」の主人公青山半蔵も見た高札場からの恵那山)
馬籠宿入口の高札場は、旅行案内パンフレットにも良く載っており、
街道の石畳と馬籠宿入口を表わし、写真撮影の絶好ポイントである。
馬籠宿は、この先下り坂で両脇に古い家屋が点在しており、
途中右側に、脇本陣蜂谷家が馬籠宿脇本陣資料館になっており、
上段の間や珍しい玄武石垣が残されている。
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(馬籠宿脇本陣資料館)
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(脇本陣の玄武石垣)
その先に藤村の初恋の人 おゆうさんが育った大黒屋、
その隣に藤村の実家、馬籠本陣跡が藤村記念館となって残っている。
「夜明け前」の中で、主人公の青山半蔵の父吉左衛門(きちざえもん)の
隠居所として、本陣建物の裏手にあったと書かれている土蔵が出てくるが、
その土蔵が火災に遭わず現在に残されている。
実はボクは、この土蔵が見たくて馬籠宿には来たようなもの。
ついでに隣に見える大黒屋(藤村の初恋の人の家)も見てみたかった。
藤村記念館で聞くと、大黒屋は今では飲食店を営んでいるので、
いつでもご覧になれますという。
丁度お昼時でもあったので、おそばを食べに大黒屋に入った。
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(馬籠本陣跡の門、藤村記念館になっている)
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(本陣裏手の土蔵の隠居所)
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(今は飲食店の「大黒屋」)
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(本陣島崎家から見た隣の大黒屋)
おゆうさんを想い書いた詩「初恋」は、
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり --後略。
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(食事をした黒光りする大黒屋内部)
その先に清水屋資料館があり、
藤村の手紙など資料が残っているし、
本陣家島崎家の菩提寺である永昌寺が近くにある。
島崎家のお墓群などが見られるので足を伸ばし訪ねたい。
馬籠宿に戻り、坂を下ると京都側の枡形があり、
大きな水車が廻っている。
ここで馬籠宿の中心部分は終わりになる。
馬籠宿はこの先、落合の石畳が始まる
新茶屋の一里塚まで続く。
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(清水屋資料館)
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(馬籠宿の途中から近道を行く永昌寺)
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(永昌寺山門へ上がる参道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/4d/b7eab3940eeb5d283ab798cab28e6515.jpg)
(永昌寺山門)
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(永昌寺山門と鐘楼)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/37/72ce10f05b19b64ea85f7a4008010c4b.jpg)
(島崎家の墓)
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(馬籠宿の枡形、右下に水車が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/32/334b3f7e3e0407679499366fb0ed17e9.jpg)
(枡形にある水車)
藤村の話の混じったおいしい出汁だったのでは?
この地方の産物はおそばと五平餅ですから、
そばは美味しかったですよ!
でも出汁より、初恋の味がする
アイスクリームはもっと美味しかったです。