![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/20/5b59740303f96f36df7301d80f53ec4a.jpg)
(恵那山)
(馬籠宿2)
昨日は沢山の外国人とすれ違ったが、
今日(5/14)は、高校生のハイキングが多く、
尾張一宮の商業高校生 男女約260名、
群馬県水上町の高校生 男女約240名とすれ違った。
「こんにちは!」の挨拶を80回ほどしたが、
全員から元気良く挨拶が返ってきた。
馬籠宿から妻籠宿まで歩くのだそうで、
若い彼らは元気そのもので羨ましかった。
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(峠でであった高校生、空の青さが美しかった)
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(沢山すれ違った高校生)
やがて右手に休憩所とWCがあり、休憩所の前面の木の根方に、
十辺舎一九の狂歌の碑が建っているのが見える。
・渋皮の むけし女は 見えねども
栗のこわめし 爰(ここ)の名物 (十辺舎一九)
説明によると、
(古くから峠の名物は(栗のこわめし)であった。
江戸期の戯作者 十辺舎一九(じゅっぺんしゃいっく)は
文政二年(1819)に木曽路を旅して、
「岐蘇街道膝栗毛(きそかいどうひざくりげ)」の馬籠宿のくだりで、
このような狂歌を詠んでいる。)とある。
(狂歌の意味は、渋皮の剥けたような、チョイト良い女は、
この片田舎には居ないが、
栗おこわ(栗の入ったおこわのこと)はとても良いという意。)
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(十返舎一九の歌碑)
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(国道と交差する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/63/d46a594e98d8f985abe775cb9dd706ff.jpg)
(左脇に清水バス停がある)
次いで清水のバス停で国道7号線を横断し、
ドライブインなのか、(お食事喫茶の家)の前をヘヤピンカーブで右折し、
石畳の急な下り坂を歩く。
沢山の高校生に挨拶を送りながら、暑い日差しの中を進む。
下り終えた右手に橋があり、その先に藤村の水車塚がある。
水車塚について、
(「山家にありて、水にうもれたる 蜂谷の家族 四人の記念に
藤村しるす」
明治37年(1904)七月、
水害のためここにあった家屋は一瞬にして押し流され、
一家四人が惨死した。
難を逃れた家族の一人、蜂谷義一は、
たまたま藤村と親交があったことから、
後年に供養のため藤村に碑文を依頼して建てたものが、
この「水車塚」である。
碑の文字を見る限り、島崎藤村は端正で、几帳面な性格に写る。
水車塚の脇に水車小屋があり水車が廻っていた。
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(右側が食堂兼喫茶の家、ここでヘヤーピンカーブする)
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(高校生がどんどん登って来る)
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(水車塚横にある水車小屋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/25/a0ef60b4e1ba9f0b585f8d01f3292b98.jpg)
(水車塚、文字は藤村の筆、几帳面な字)
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