富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

今井幹夫先生が書かれた「大久保佐一」の記述

2006年05月01日 23時53分47秒 | 世界遺産伝道師協会
4月29日の富岡製糸場世界遺産伝道師協会第1回研修会で、共愛学園前橋国際大学の宮崎俊弥先生に「群馬県蚕糸業史の諸問題」というご講演をいただきました。その中で、群馬県の蚕糸業史を見ていく時、“大久保佐一”という人物に注目すべきである。との話がありました。

例によって、上毛新聞社の「群馬県人名大辞典」に、今井幹夫先生が“大久保佐一”について書いています。

「富岡製糸所長(原合名会社)。1880(明治13)~1934(昭和9)。愛知県渥美郡出身。養蚕伝習所に入り蚕業を修得し、細谷製糸所で製糸業を研究。一時、前田合名会社を創設したが、やがて原合名会社に入社。1905(明治38)年富岡へ転任し、‘09年所長となる。経営手腕に優れ所内に蚕糸研究課の新設、また外国蚕種の輸入を試み、蚕種の改良・養蚕技術の改善に貢献した。。大正末期からの養蚕農家の不況を救うべく組合製糸「群馬社」の創立に尽力し、推されて同社社長となったが、社の内紛と天皇行幸取り止めの責任を感じて自殺した。」とありました。

群馬社の創設・群馬社事件については別項で書きます。




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1 コメント

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大久保佐一関連エピソード ((健))
2006-05-02 22:01:10
 昨年、原富岡製糸所構内の社宅で大正13年に生まれたと言う志田栄一さんと言う人に会いました。志田さんの父君は大久保佐一所長の下総務関係の仕事をしていたそうです。その志田さんが昔の記憶に基づいて描いた製糸所構内の図には、七日市用水が構内に引き入れられた所にあった沈殿池が「大久保池」と表記されています。この池は明治41年に写された写真に写っていますが、こんな所に「大久保」の名が冠されていたのは興味が有ります。社員に慕われていたのでしょうか?



 富岡市立美術博物館に収蔵されている作品の中に「富岡市ゆかりの画家大久保泰」の作品があります。5月17日~9月24日と9月27日~2月22日にテーマを別にした展示が予定されています。この大久保泰は大久保佐一の子息です。富岡へおいでの節はご覧になってください。
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