富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

絹文化お国ことば調査プロジェクト2019群馬女子大学と共催 世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群広報活動in高山社跡   

2019年10月25日 22時03分15秒 | 世界遺産伝道師協会

絹文化お国ことば調査プロジェクト2019群馬女子大学と共催

世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群広報活動in高山社跡   

富岡製糸場世界遺産伝道師協会

藤岡市高山の世界文化遺産養蚕改良、高山社跡長屋門に隣接した仮設テントで10月19日(土)群馬県立女子大学、藤岡市高山社顕彰会と共に伝道活動を行いました。

群馬県立女子大学 新井小夜子教授から、お話を持ち掛けられて、伝道師協会として、初めて世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産「高山社跡」での活動を行いました。藤岡市文化財保護課 軽部課長の全面協力を頂き、この活動を開催することが出来ました事、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

当日は一週間前に来襲した台風19号の風水被害で、会場周辺の河川の流木痕跡や、抉り取られた崩壊爪痕が生々しい環境下での行事となりました。

この様な状況でしたが、この日の伝道師協会スタッフは、I川西部支部長・U原理事・S井洋・S藤和男伝道師の4人で足下の悪い中、現場に応じて効率的に分担し、まゆクラフト作り、パネル展示、啓蒙資料の配布など、体験活動や広報資料による伝道活動を行いました。

 

隣りのテントは 高山社跡を訪問する観光客を対象に群馬県立女子大学 国文学科・新井小夜子教授の指導の下、4名の学生が参加してくれました。

学生たちは「絹文化!お国ことば調査プロジェクト2019in世界遺産」と題して、富岡製糸場世界遺産伝道師協会と連携しつつ、それぞれの観光客が生まれ育った地域の養蚕言葉を聞き取り、カラーシールを全国地図に貼り付ける等養蚕ことば方言マップを、作成していました。会話の中からは小さい頃、家でお蚕を飼っていた」「桑のどどめ(桑の実)を食べて口を紫色にしたので、母親に叱られた」とか交わされていました。

県内はもとより、遠方からの来訪者は福岡県、福島県からの観光客もおりました。

 

さらに藤岡市、高山社顕彰会では、「世界文化遺産登録5周年記念フェスタ」による行事が併催され、高山社養蚕家屋内では「床の間de展覧会」が開催され、高山長五郎の信念に基ずく言葉である国 利 民 福と記された、大文字の掛け軸が床の間に掛けられると共に、まゆクラフトによる 「繭花の生け花」が見事に展示されていました。

 

ところで、この機会に「新しい養蚕法」を全国に普及指導した「養蚕改良高山社」の存在について記しておきます。この高山社は明治17年(1884)高山長五郎によって考案された近代養蚕技術法「清温育」を農民に普及するために設立された教育機関です。

高山社では、清温育を普及するために、養蚕法を修得させる人材育成の教育指導制度や農家に出向いて指導する養蚕指導の先駆けとなった授業員制度、高山社と契約して個別指導を受ける高山社社員制度を設けました。

明治34年には、私立甲種高山社養蚕学校を多野郡藤岡町に開校すると共に、養蚕農家に開校された分教場は116ケ所。従業員が全国各府県に出向いての指導は延べ回数14,680回 清温育の個別指導を受けるため、契約した社員数は60,000人に達したそうです。

 

最後に、この養蚕教育機関「高山社」は明治から大正時代にかけて、最盛期を迎え、養蚕法「清温育」を学び、清温育を普及した授業員により、本県特有の言葉が分布する地域は高山社に係わった人達が足を運んだ地域かも知れません。高山社跡の歴史と係わった人との繋がりが見えてくると面白いですね!

活動は9:00~15:00まで行われました。

(S藤和男 記)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の上州どっと楽市での世界... | トップ | 峠の釜めし 「おぎのや横川... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

世界遺産伝道師協会」カテゴリの最新記事