倍賞千恵子
天童よしみ
雨の日も風の日も 泣いて暮らす
わたしゃ浮世の 渡り鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
泣けば翼も ままならぬ
あの夢もこの夢も みんなちりぢり
わたしゃ涙の 旅の鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
泣いて昨日が 来るじゃなし
懐かしい故郷(ふるさと)の 空は遠い
わたしゃあてない 旅の鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
明日(あす)も越えましょ あの山を
わたしゃ浮世の 渡り鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
泣けば翼も ままならぬ
あの夢もこの夢も みんなちりぢり
わたしゃ涙の 旅の鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
泣いて昨日が 来るじゃなし
懐かしい故郷(ふるさと)の 空は遠い
わたしゃあてない 旅の鳥
泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
明日(あす)も越えましょ あの山を
昭和7年(1932)、ビクターから発売差荒れたこの歌、歌ったのは、覆面歌手第一号として知られる小林千代子さんでした。
小林千代子
そして、大ヒット。
作曲者の佐々木俊一は、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒業後、ビクターの楽団でドラムを叩いていたそうです。
この曲は彼の最初の作品で、それが大ヒットという、作曲家として実に幸運なスタートを切りました。
その後、彼はおもに佐伯孝夫と組んでヒット曲を連発しましたが、昭和32年(1957)に49歳という若さで亡くなってしまいました。
『無情の夢』『燦めく星座』『新雪』『桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン』『明日はお立ちか』『高原の駅よさようなら』『月よりの使者』
『アルプスの牧場』『野球小僧』『白樺の小径』は、いずれも佐伯孝夫とのコラボ作品です。
佐々木俊一は浪曲(浪花節)のファンで、とくに春日井梅鶯(かすがい・ばいおう)が好きだったとか。
常々、「浪曲には大衆の好むものが潜んでいる」といい、作曲の際には梅鶯のレコードに耳を傾けていたといいます。
佐々木俊一は浪曲(浪花節)のファンで、とくに春日井梅鶯(かすがい・ばいおう)が好きだったとか。
常々、「浪曲には大衆の好むものが潜んでいる」といい、作曲の際には梅鶯のレコードに耳を傾けていたといいます。