黄昏の中で

2022-05-27 01:30:40 | 鈴木一平
黄昏の中で




「黄昏れる」は「黄昏」が動詞化したものです。

「黄昏」は、古くは「誰そ彼(たそかれ)」だったそうで、日が暮れて薄暗くなり、人を見分けることが難しくなる時間に「誰だあれは」という意味の「誰そ彼」とたずねることから、「夕方の薄暗い時」「夕暮れ」を表す言葉となったようです。

そして、江戸時代以降に「たそかれ」は「たそがれ」といわれるようになったとされています。

また「黄昏」は一日の中で、日の盛りが過ぎて日が暮れる時を指し示すことから、比喩的に「人生の盛りが過ぎて衰えがみえてきた頃」のことも例えるようになったようです。

尚、「黄昏(たそがれ)」という漢字は当て字で、本来の読みは「黄昏(こうこん)」であり、「夕暮れ」のことだとか。

ところで、動詞化された「黄昏れる」には「日が暮れて薄暗くなる」「夕方になる」という意味と、「人生の盛りを過ぎて衰える」という意味があるようです。

もっとも、マスターみたいに、人生の盛りを過ぎてはいるが、衰えてはいないよ、って方も多いかもしれません。

しかし、それは当人の思いだけで、第三者から見れば、「やっぱり・・・」。(笑)


































































































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