古文の会で今、万葉集を読んでいる。昨日読んだところから。
「夕されば 小倉の山に鳴く鹿は 今宵は鳴かず。寝(い)ねにけらしも」
大意 日暮れになると いつも小倉山で鳴く鹿が 今夜は鳴かない。寝てしまったらしいな。
山本健吉さんの解説では、「これは、非常に静かな境地の歌である。略、旅に出ると、土地の精霊に誘われて自分の魂が遊離しようとするので、夜分になるとそれを鎮めなければならなかった。そういう意味での鎮魂歌・・・」
この歌からこれが、鎮魂歌であるとは、いまのわれわれには到底読めない。それはわれわれの精神構造そのものが資本主義化している。つまり止まることを知らない。ともかく前に進むこと、進歩すること、成長すること、それはなにやら高い買物ができるようになること、とどこかで思っている。だから土地の精霊に誘われて自らの魂が遊離しようとするなどということは、なんだか文学の話ぐらいになってしまっているが。じつはわれわれ自身も、おごそかなところに身をおくと、そこのところをある意味、誰でも直感することができる。というか、そういうものとして、この国ではこの古の頃からつい最近まで、やってきたのだから、ある種の言葉に引っかからなければ素直に読めるんだろうなぁ。と妙に思うところでもありました。
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