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間違った常識でも、通説となることがある。
多くの学者が正しいと思うか信じれば、それが通説となり、正しい常識になるのです。
それから外れれば、莫迦とさえ呼ばれる。
前稿の 『金色のあめ』 の金貨を盆で受ける男とは、かつての政府=自民党のことか。アメリカ合衆国は、全知全能の神ゼウスの如きもので、日本をドル金貨で侵そうとするのか。ドルは兌換を止めて久しい。為替の低落も甚だしい。金盆の男は、ドルの低落を嘆くばかり。
政府=自民党の瓦解は、
本質的には、橋本龍太郎が改革を言い出したころから、始まっていた。
彼が本当に、改革の必要性を感じていたのか、それは判らない。政府機関の財政改革の必要性は当時からあった。それはいま民主党主導の、事業仕分けの状況を見てみれば証明される。しかし、経済一般における改革とりわけ金融改革は、マスコミ謂うところの世界金融資本の日本侵略の地均しであり、日本剰余資本略奪の作戦計画でてもあった。外患マスコミのお囃子報道の喧噪の中で、山一證券や北海道拓殖銀行が血祭りにされ、邪教の祭壇に生け贄として捧げられた。證券会社や銀行の業務で最重要の課題は、剰余資本の資金循環にある。経済の拡大・成長時期に於いては、信用創造が第一の課題である。山一や、拓銀の行っていた、信用創造は、日本経済の発展隆盛の為には、当然の行為であった。只、その理論武装が未熟であったのか。フリョウサイケンとか、特別利益供与とかの難癖をつけられて、巨艦は撃沈させられた。橋本政権も此の外資を背景にした、日本金融の陵辱を放置した。
橋本政権は1996年1月に村山政権の後を引き継いで発足、
1998年7月の参院選で惨敗した。
この間に成したことは、消費税の増税や構造改革で実質的には、日本経済の弱体化政策であった。一般国民への増税は消費を減退させ、景気を減速させる。山一や拓銀の破綻処理は、日本金融の信用創造への恫喝であり、日本の金融の弱体化政策そのものであった。官僚の天下りや、繰り上げ人事などで、中身のない脳なし官僚ばかりの日本金融。そは、得体の知れない世界金融資本の陰に脅えるばかりの、白痴民間官僚を船頭に据えた。そして、偽りの金融改革の世界史的奔流に、只ただ、押し流されるばかりであった。行き着く先は、湯田金バンクの甘い罠。日本剰余資本のアメリカへの輸送船団として、湯田の波止場へ繋留されてしまった。太平洋の荒波越えて、行くさきゃ雨の博打場、鉄火花火の熱き街。太平洋は静の海、金融のグローバリズムで身分ふそうの報酬・帆にかけて、乗り切っても、ウォール街の岸壁で座礁・難破の半端船。
博打場でスッテンテンのすった金は返ってこない。振り返ればゴモラとモスラは怪獣か。ソドムとゴモラは、金融業突張りの業火の中で爆発ダー。
世界経済の、牽引機関車としての日本国の、責任だということ。
ロトの妻は過去の故郷振り返り塩の柱になりました。我らの借金は塩漬けになりました。肉をもってこい。魚も獲ってこい。それから野菜も集めてきなさい。さすれば塩も役に立つ。小出しに使えば、好い味が出る。
経済を見つめる本当の眼が、一般国民にはあろう筈もない。それを、たまたま、官房報償費で買われた学者の雑巾掛けで、ゴミために咲いた花が、提灯釣り鐘草の流行り花。これをあだ花と謂う。このあだ花は政治利権の谷間から流れる、清水の畔に群がり咲く。可愛いと言えばカワイイもの。
欧州の絵描きがよく描くテーマがある。 『 黄金の雨と、ダナエ 』 である。金の雨に姿を変えた、ゼウスがダナエと交わる、見た目は美しい裸女と金色の雨。狒々爺の厭らしい姿は画面にはない。しかしそれを描かせた、権力者や金持ちあるいは生殖者オッと違った聖職者の淫らな意図はカンバスの陰に潜んでいる。マレーシアのマハティール氏が著作の中で書いている。『欧米人は、好色で利欲的である。』まさにその通り。それを絵に画くと『黄金の雨に変身したゼウスと、ダナエ』となる。
金貨は眼を眩ませる。見えるが故の、過激な属性。金融により創造された、信用。この黄金の雨が、天かける勇者「ペルセウス」を生むわけだが、ソドムの市井の民草には見えない、知れない秘密のアッコちゃん。和田アッコはネトウヨには現子とも呼ばれるが、無関係。これは一つのブリキの勲章。話が逸れた、ソーラン節。元に戻そう。グスタフ・クリムトにも名作がある。
彫金師を父に持つグスタフ・クリムトは、絵の中にそれを填めこんだ。きんきらきんでまばゆい。どういう訳か、これ、この作品NHKの大のお気に入り。なれど、『黄金のアメと狗の浣腸』では誰も見ぬ。
アルゴス王アクリシオスは信託を受けた。美しい娘の生む孫に殺されるであろうと謂うもの。ならば敵わんとて、娘のダナエをブロンズの、塔の牢屋に閉じ込めた。構造改革の念仏信者の間諜アンダーバーグが、金のアメの引き込み役か。雨露を凌ぐ、日本伝統・屋根構造の構造改革。やおら、檜皮葺を引き毟ったのは彼なのか。
『フリョウサイケン、ふりょうさいけん』と呪文に惑う民衆は、黄金の塔を石で打つ。終に塔は破られ、ダナエは陵辱の嵐の中。生まれた、その子ペルセウスともども海に流された。
時は遷りて幾星霜。小泉の周りにはあだ花の群落。花の命は短くて、それからまたもや幾星霜。小沢の村の小僧どもが、花を毟りに神域に闖入。
さてその子ペルセウスの活躍や如何に。続きは明日のお楽しみ。
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アクセスの記録 2009.11.22(日) 783 PV 247 IP 3866位 / 1328470ブログ
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