我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

アントニオ・カノーヴァ

2010年01月19日 | 芸術作家

作家の索引 

アントニオ・カノーヴァ【わが郷・芸術作家】1757 ~ 1822 アントニオ・カノーヴァ イタリアの作家

Antonio Canova

 
 カトリック信仰の国々でもこの名前が多く付けられていることから、『娼婦』であったとの説は主流では無かったと、Wikiで述べられているが、芸術作品に取り上げられるときは、「娼婦扱いが主流」だと思われます。カノーヴァの大理石の作品もやはり、性的な不行跡を悔悛している風情の作品に仕上がっています。ほつれた長い髪は性的魅力の汪溢さの表現で定番の形式です。骸骨が傍らに於かれているのは、美しい青春も時が過ぎゆけば、やがては死が不可避であることの寓意です。性の不行跡はいけませんとの、お説教とは裏腹に作家は押さえつけられた情念を、冷たい大理石の中から溢れ出させることに成功しています。
 
 
 
 
 
 
 
ウィキペディア(Wikipedia)
アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova, 1757111日 - 18221013日)は、イタリアの彫刻家。裸体を表現した大理石像が有名で、過剰に演劇的になり過ぎたバロック美術から、古典主義の洗練さに回帰する、新古典主義の代表である。アントニオ・カノヴァとも表記される。
(wikipedia)
 
 
 
 

 

テーセウス【神話】

 

イタリアの画家

 

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ブロンズィーノ

2010年01月19日 | 芸術作家

 

 

 

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フランチェスコ・アイエツ

2010年01月19日 | 芸術作家

Francesco Hayez (1791-1882) 

                    

 
 Galleria tematica dipinti di Venere - Afrodite
 
 
参照サイト 
     (収録絵画 7点)
          (聖書を持って瞑想する女性)
 
 
フランチェスコ・アイエツはヴェネツィアの貧しい家の出である。父親はフランス系、母親はムラーノの出身。フランチェスコは五人兄弟の末っ子で、母方の叔母夫婦に育てられたが、この叔母は裕福な船舶所有者また美術収集家の妻であった。叔父は、子供の頃から素描の才能を見せたフランチェスコを、ある美術修復家の元に弟子入りさせる。後にフランチェスコは画家の Francisco Magiotto の生徒となり、3年の間学ぶ。1806年には New Academy of Fine Arts の絵画コースに入学し、Teodoro Matteini の元で学ぶ。1809年、 アカデミア美術館主宰のコンペティションに入賞し、ローマのアッカデミア・ディ・サン・ルーカで1年学ぶことになる。フランチェスコは1814年までローマに滞在し、次にジョアシャン・ミュラに任命されて『アルキノオスの法廷にいるユリシーズ』を制作するためにナポリに移る。1830年代半ばにはミラノのサロンに出席していたことが分かっている。1850年にブレラ美術館のディレクターに任命された。
フランチェスコ・アイエツに対する評価は、彼が自分の作品にサインや日付を入れなかったため、困難なものとなっている。更に彼はしばしば同じ構成で絵を描いたが、それらにはほとんど違いがないか、全く違いがないものがある。彼の初期の作品にはドミニク・アングルやナザレ派の影響が見られる。後期の作品は古典復帰の傾向が見られる。

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