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2005年5月13日配信
記事の紹介(抄出)です。
☆国会NOW:「和平」の歩く物差し カンボジア首相 2005/05/13
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カンボジアのフン・セン首相が9日から13日まで来日した。愛知万博の博覧会賓客であり、10日の博覧会でのナショナルデーに出席したほか、12日には小泉首相と会談した。しかし、フン・セン氏の動静を伝えるニュースの扱いは小さかった。万博出席は中日新聞が報じている程度のようだ。(詳しくは中日新聞サイトへ)
小泉首相との会談については、全国紙の中には報じていないところもあった。そこで、探すと共同通信が配信したものがあった。小泉首相は日本の政府開発援助を今後、増額する考えを示したという。さらに、「フン・セン首相は、ポル・ポト派幹部を大量虐殺の罪などで裁く特別法廷設置・運営費用についてカンボジア負担分1300万ドルの中の不足分について日本の支援を要請。小泉首相は『検討させたい』と応じた」という。(詳しくは共同通信サイトへ。また、首相官邸ホームページにも記事が掲載されている)
便りがないのは元気な印ということわざがある。フン・セン氏来日の扱いが小さいことが、平和が続いているという証ならば、それに越したことはない。しかし、ポル・ポト派裁判の問題は、国際社会が要求しているもので国連との調整がなお決着していない。これも過去の清算といえる。すべての問題が解決して、まったく平穏というものではないのだろう。(カンボジア情勢、および日本との関係について、詳しくは外務省ホームページ各国情勢へ)
実は、フン・セン氏については、その動向自体がカンボジア和平を映す鏡のようなところがある。もともとはポル・ポト派兵士で、戦闘で片目を失った。20代後半で、ベトナムの後押しを受けたヘン・サムリン政権の外相、その後首相になった。和平の動きの中で結局、首相の座にずっといる。いつだったか、フン・セン氏がゴルフを始めたとか、子弟を外国に留学せたといったニュースを聞いて、なるほど平和が確信できているのだと思った。
戦闘が止んだからこそなのである。別の言い方をすると、失礼ながら、カンボジア和平の歩く物差しだと思っていた。これと同じ見方を、外交官として和平に深く関わった河野雅治氏(外務省の元南東アジア一課長)が著書「和平工作 カンボジア外交の証言」(99年、岩波書店)の「あとがき」で書いている。フン・セン氏が英語をしゃべり、息子の留学をうれしそうに語る姿がそこにあった、と。(詳しくは同書を参照)
表に伝わってくるフン・セン氏の主な動向としては、前述のようなものだ。しかし、フン・セン氏は日本とのつながりが深い。例えばカンボジア和平に関わった故渡辺美智雄氏のことを、フン・セン氏は「お父さん」と呼んでいたと聞いたことがある。また、先の河野氏ら外務省との関係も続いているはずだと思う。今回の来日でもさまざまな意見交換があったのではないかと推測できる。(故渡辺美智雄氏のカンボジア外交については、子息である自民党の渡辺喜美代議士のサイトも参照)
カンボジアに和平が達成されたといっても、ポル・ポト派問題以外にも日本としてやるべきことがある。アンコールワット修復の協力を関係者が続けている。地雷除去も忘れてはいけない。息の長い協力をすべきだ。もう一つ。カンボジア民衆の尊敬を集めていたシアヌーク前国王に関してである。同前国王は、かつて北京に亡命していたように中国との関係が深かった。
そして、前国王は身辺警護のために北朝鮮のボディガードを使っていた。以前、AERA誌に屈強な男たちがシアヌーク氏を守っている写真が掲載されたことがある。カンボジアは、おそらく北朝鮮情報を収集する穴場でもあると思う。引き続き関係を大事にしていくべき国なのである。(ボディガードについては、同誌92年1月28日号「北朝鮮からの治安要員がシアヌーク殿下警護」を参照)
(浜田秀夫)
記事の紹介(抄出)終わりです。
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