我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

参政権法案 今国会提出断念へ

2009年11月19日 | 記事紹介

 

MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091111/stt0911111006003-n1.htm

2009年11月11日配信

  記事の紹介です。

参政権法案 今国会提出断念へ 政府・民主 党内外に反発強く

                        2009.11.11 10:03

 政府・民主党は10日、永住外国人への地方参政権選挙権)付与法案の今国会への提出を見送る方針を固めた。同法案をめぐっては、民主党の山岡賢次国対委員長が6日、議員立法として今国会に提出したいとの考えを示していた。

 民主党の小沢一郎幹事長は、和歌山県高野町で記者団に対し、同法案について「外交政策が背景にある問題だから、私がとやかく言う立場ではないが、基本的には政府提案(政府提出法案)としてやった方がいいだろう」と述べた。

 ただ、平野博文官房長官は同日の記者会見で「この国会で政府提案としてやる時間的な余裕はない」と述べた。付与に懐疑的な民主党国対幹部も「外国人参政権なんて党内がもたない。いずれにしても今国会ではできない」と語った。同党や山岡氏ら関係議員に国民から多くの抗議が寄せられたり、党内保守系議員が反発したことも提出を見送る理由となったようだ。

 今後も参政権付与推進派の動きは続くとみられるが、平野氏は10日の会見で、来年1月召集の通常国会への対応について「連立3党の党内で議論が必要だ」と与党の意見集約が政府提案の前提条件との認識を示した。国民新党は「うちの党は(意見集約が)難しい」(亀井静香金融相)としている。

 民主党内で検討中の法案は、日本と相手国が互いに同程度の権利を認める「相互主義」を採らず、中国人でも日本の永住者なら地方参政権を与える内容だ。

  記事の紹介終わりです。

 

 

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「和平」の歩く物差し カンボジア首相と渡辺美智雄

2009年11月19日 | 記事紹介

janjanロゴマーク

http://www.news.janjan.jp/kokkai_watch/0505/0505136975/1.php

2005年5月13日配信

 

  記事の紹介(抄出)です。

☆国会NOW:「和平」の歩く物差し カンボジア首相 2005/05/13

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 カンボジアのフン・セン首相が9日から13日まで来日した。愛知万博の博覧会賓客であり、10日の博覧会でのナショナルデーに出席したほか、12日には小泉首相と会談した。しかし、フン・セン氏の動静を伝えるニュースの扱いは小さかった。万博出席は中日新聞が報じている程度のようだ。(詳しくは中日新聞サイトへ)

 小泉首相との会談については、全国紙の中には報じていないところもあった。そこで、探すと共同通信が配信したものがあった。小泉首相は日本の政府開発援助を今後、増額する考えを示したという。さらに、「フン・セン首相は、ポル・ポト派幹部を大量虐殺の罪などで裁く特別法廷設置・運営費用についてカンボジア負担分1300万ドルの中の不足分について日本の支援を要請。小泉首相は『検討させたい』と応じた」という。(詳しくは共同通信サイトへ。また、首相官邸ホームページにも記事が掲載されている)

 便りがないのは元気な印ということわざがある。フン・セン氏来日の扱いが小さいことが、平和が続いているという証ならば、それに越したことはない。しかし、ポル・ポト派裁判の問題は、国際社会が要求しているもので国連との調整がなお決着していない。これも過去の清算といえる。すべての問題が解決して、まったく平穏というものではないのだろう。(カンボジア情勢、および日本との関係について、詳しくは外務省ホームページ各国情勢へ)

 実は、フン・セン氏については、その動向自体がカンボジア和平を映す鏡のようなところがある。もともとはポル・ポト派兵士で、戦闘で片目を失った。20代後半で、ベトナムの後押しを受けたヘン・サムリン政権の外相、その後首相になった。和平の動きの中で結局、首相の座にずっといる。いつだったか、フン・セン氏がゴルフを始めたとか、子弟を外国に留学せたといったニュースを聞いて、なるほど平和が確信できているのだと思った。

 戦闘が止んだからこそなのである。別の言い方をすると、失礼ながら、カンボジア和平の歩く物差しだと思っていた。これと同じ見方を、外交官として和平に深く関わった河野雅治氏(外務省の元南東アジア一課長)が著書「和平工作 カンボジア外交の証言」(99年、岩波書店)の「あとがき」で書いている。フン・セン氏が英語をしゃべり、息子の留学をうれしそうに語る姿がそこにあった、と。(詳しくは同書を参照)

 表に伝わってくるフン・セン氏の主な動向としては、前述のようなものだ。しかし、フン・セン氏は日本とのつながりが深い。例えばカンボジア和平に関わった故渡辺美智雄氏のことを、フン・セン氏は「お父さん」と呼んでいたと聞いたことがある。また、先の河野氏ら外務省との関係も続いているはずだと思う。今回の来日でもさまざまな意見交換があったのではないかと推測できる。(故渡辺美智雄氏のカンボジア外交については、子息である自民党の渡辺喜美代議士のサイトも参照)

 カンボジアに和平が達成されたといっても、ポル・ポト派問題以外にも日本としてやるべきことがある。アンコールワット修復の協力を関係者が続けている。地雷除去も忘れてはいけない。息の長い協力をすべきだ。もう一つ。カンボジア民衆の尊敬を集めていたシアヌーク前国王に関してである。同前国王は、かつて北京に亡命していたように中国との関係が深かった。

 そして、前国王は身辺警護のために北朝鮮のボディガードを使っていた。以前、AERA誌に屈強な男たちがシアヌーク氏を守っている写真が掲載されたことがある。カンボジアは、おそらく北朝鮮情報を収集する穴場でもあると思う。引き続き関係を大事にしていくべき国なのである。(ボディガードについては、同誌92年1月28日号「北朝鮮からの治安要員がシアヌーク殿下警護」を参照)

(浜田秀夫) 

  記事の紹介(抄出)終わりです。

 

 

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「えひめ丸」衝突事故の概要

2009年11月19日 | 記事紹介

 外務省

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hawaii01/ugoki.html

 

 

2002年2月28日配信

  記事の紹介(抄出)です。

 

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「えひめ丸」衝突事故の概要

平成14年2月28日

1.経緯

(1) 平成13年2月10日(日本時間)、ハワイ州オアフ島沖で愛媛県宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」(35名乗船)が、緊急浮上した米原子力潜水艦「クリーンビル」に衝突され沈没、乗員35名中9名(内高校生4名)が行方不明。

(2) 米側はブッシュ大統領より森総理(当時)、パウエル国務長官より河野外務大臣(当時)に電話で謝罪した他、大統領特使ファロン海軍大将が大統領親書を携行して来日(2月27日~3月1日)し、愛媛県も訪問(2月29日)。米国はあらゆる面での責任を認めている。

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  記事の紹介(抄出)終わりです。全記事御参照は冒頭のURLをクリックしてください。

 

 

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ポル・ポト裁判 23日から最終弁論 元収容所長に求刑へ

2009年11月19日 | 記事紹介

MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/091122/asi0911221826003-n1.htm

2009年11月22日配信

  記事の紹介(抄出)です

 

ポル・ポト裁判 23日から最終弁論 元収容所長に求刑へ 

2009.11.22 18:25

 【シンガポール=宮野弘之】1970年代後半、カンボジアのポル・ポト政権下で、外国人を含む約170万人以上を虐殺したとして当時の政権幹部を裁く特別法廷は、23日から元トゥールスレン政治犯収容所長、ダッチことカン・ケ・イウ被告(67)に関する最終弁論を行う。同時に民事訴訟の最終弁論も行われ、27日には結審する。判決は来年1月となる見通し。審理の中で被告は、収容者に拷問を加えたことは認めたものの、虐殺を命じたことはないとしている。

 被告は罪状認否で「収容所での行為を悔いている。全被害者に謝罪したい」などと述べている。その後の審理では、元看守や生存者が同被告の収容所内での行動や、虐殺、拷問の様子などを証言した。

 同収容所では女性や子供を含む約1万4000人がスパイ容疑などで拷問され、収容所内やプノンペン郊外の処刑場(キリングフィールド)で殺害され、同被告は人道に対する罪や戦争犯罪、拷問、殺人罪に問われている。

 ポル・ポト政権下の大量虐殺に関しては、ほかにポル・ポト元首相に次ぐナンバー2の地位にあったヌオン・チア元人民代表議会議長、キュー・サムファン元国家幹部会議長、イエン・サリ元副首相兼外相と妻のイエン・チリト元社会問題相の4人が逮捕されている。しかし、いずれも4人は虐殺を命じたことはないとして関与を否定しており、訴追のメドもたっていない。

 カンボジア特別法廷は、国際法とカンボジア国内法に基づき国連の協力の下、審理が行われる。裁判は2審制で、国際司法官とカンボジア人判事とで構成される。最高刑は無期懲役。また、遺族に対する損害賠償など民事裁判も並行して行われるが、有罪が確定しても金銭による賠償は行う必要はない。

  記事の紹介終わりです。

 

 

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カンボジア旧ポルポト派の収容所長、特別法廷で最終弁論、判決は来年前半

2009年11月19日 | 記事紹介

財経新聞

http://www.zaikei.co.jp/article/biznews/091122/41154.html

2009年11月23日配信

  記事の紹介です。

カンボジア旧ポルポト派の収容所長、特別法廷で最終弁論、判決は来年前半

 1970年代、約200万人を虐殺などで死に追いやったとされるカンボジアの旧ポル・ポト政権の元幹部で、トゥールスレン政治犯収容所の元所長カン・ケ・イウ被告(67)が人道に対する罪などでプノンペンの特別法廷を開会する。論告求刑や最終弁論などを23日から開始し27日までに結審する予定。判決は来年前半となる見通し。初日は遺族ら被害者側が意見陳述し、損害賠償請求も表明し、検察官の論告求刑が24日、被告弁護団と被告自身の弁論・反論が25-26日に予定されている。 カンボジア最も重たい刑は終身刑。

 収容所には約1万5,000人が連行され、厳しい拷問を受けて死亡したとして3つの罪で起訴された。2月から始まった公判で被告は所長としての責任や罪を認めて謝罪したが、上層部の指示に従ったことを強調した。

 1976年5月に、ポル・ポトは民主カンプチア(民主カンボジア)と国名を変更し首相に正式に就任し地方で大粛清を始め、徹底的な国家の改造を行った。首都プノンペンは飢餓と疾病、農村への強制移住によってゴーストシティに変わりカンボジアの社会基盤は大打撃を受けた。

 ポル・ポト元首相は1998年4月に心臓発作で死亡した。ポル・ポト政権下の大量虐殺に関しては、ヌオン・チア元人民代表議会議長、キュー・サムファン元国家幹部会議長、イエン・サリ元副首相兼外相と妻のイエン・チリト元社会問題相の4人が逮捕されている。4人は虐殺の指示は一切していないと関与を否定しいる。

  記事の紹介(抄出)終わりです。

 

 

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