暇つぶし日記

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ハロウィ-ンの夜に

2012年10月31日 22時14分37秒 | 日常

イギリスのBBCテレビで、鳥や獣、昆虫などの生態を紹介する秋のワイルド・ウオッチというライブ番組を見ていたら玄関のチャイムが鳴った。 ドアの豆粒ほどのレンズを覗くと子どもが一人立っているのが小さく見えて、ああ、ガン募金かクリスマス・新年に向けての子ども切手を買ってくれというようなことかとドアを開けたら口の周りを赤く塗った小学生が「Trick or Treat]と小声で消え入るように言う。

ああ、そうだった、今晩だったのかと気がついて、はて、そのようなことは今までなかったから何も用意していなくて、子どもに、ちょっとまってくれ、家には小さな子どもがいないから御菓子はあるかどうかわからないけど、捜してくる、と言い置いて居間に入りお茶請けのブリキ缶を開けたら Oreo ビスケットの小さなパッケージがあったのでそれを2つほど掴んで戻りその坊主に差し出した。 写真を一枚撮ってから手に提げているビニールバッグの中身を見せてもらったら同じような御菓子が沢山入っていた。 見た事のない顔つきだったので何処の子か尋ねたら3つほど向こうの通りの名前を言ったのでそれじゃ、だいぶ廻っただろう、それにしては少ないなと言うと、この辺は年寄りが多いから説明しないと分からないところが多いし言っても分からない人らが沢山いる、というので笑った。

ウィキペディア、ハロウィンの項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3

もともとオランダにはこういうものはない。 アメリカ経由だ。 何年も前に高校生だったうちの子供達が学校で夜にハロウィン・パーティーをする、といい、それも仮装して飲み食いし、ダンスをする、ハロウィンをただダシにして騒ぎたいだけのものだったのだったがその頃からオランダのメディアにも徐々にこれが見られるようになり、またアメリカ文化がここにもおしよせてきているのかと思ったものだ。 もっとも、オランダの子供達は小さいときからアメリカのテレビを見てその子ども番組やシットコムでも育っているからそれが彼の国ではどのようになされるのかはもう知っている。 考えてみると日本ではもう戦後普通になっている宗教色抜きの形だけのアメリカ流クリスマスのようなものかもしれない。 日本のものは今ではクリスマスイブの若者の恋愛遊戯・狂騒にみえるものもこちらでは珍しいものと映り、自分がオランダに来た30年前にはそんなものもなく、馬鹿馬鹿しいと取り合われなかったしクリスマスは宗教儀式であるから厳かなもの、アメリカのサンタクロースなどは商業主義の唾棄べきものだと言われていたものが今はどうだ、サンタクロース抜きのプレゼント交換という商業主義にはまたとないチャンスとなって12月の第二週ごろからは広告の紙ふぶきがドアの隙間を抜けて束になって届けられる。

そこに来てこの近所のこどもたちの 「Trick or Treat」 行動となったのだから還暦を過ぎたといっても自分は若手の部類に入るこのあたりの住民には、何のことだ、と訝る年寄りが多いのも無理もない。 オランダにはサンタクロースはない、と言ったが実際はアメリカのものより遥かに古いかたちのものがある。 ある向きにはアメリカ版サンタクロースのプロトタイプ、オリジナルだといわれるシンタクラースだ(ウィキペディア/サンタクロースの項、もしくは英語版 Sinterklaas の項 参照)。 シンタクラースの誕生日の前夜12月5日は国民的行事となって11月の初めにシンタクラースが蒸気船でスペインから来るときにはそれがライブでテレビ放送となり毎年8時のニュースで大きく報道される。 だからこれがサンタクロース不用の理由だった。 オランダの小売業は毎年ここでピークを迎え、その波が引いたあとに新たな商業チャンスがクリスマス商戦となって現れてきている、というのがこの10年ほどの現象だ。 だから12月5日のほぼ一ヶ月前、今の時期にハローウィンというものが来ると子供達にはお菓子を近所から集めるまたとない機会となる。 シンタクラースの時は家族からだけのプレゼントで量も質もこれとはまるで違ったものだが、これでは外に出掛けていってよその家の玄関でいくらでも駄菓子がもらえるはずだから子どもにとってはまたもない機会だ。

それを見ていてぼんやり思い出したことがある。 もう30年も前のことだ。家人と知り合った頃一時期、北部グロニンゲン州の過疎地、ドイツとの国境から遠くない、周りに何もない大きな農家の母屋と大きな納屋で何組かの若者たちとシェアをしてコンミューンまがいにして暮らしていたことがある。 隣まで100mかそれ以上のところで、夜には遠くの家の灯りだけで廻りは真っ暗になる。 ところが11月の或る夜、親に手を引かれた4つ5つか、5つ6つかといわれるぐらいのこどもが提灯をもって家のドアの前に立ち、歌をうたいその家のものからお菓子をもらい、次の家に移る、ということがあった。 近所の農家でそういう習慣があると聞いていたのでこちらも小さなミカンや子供達が好むような一つ一つ包まれたキャンディーや駄菓子を大皿に盛って用意し待っていたのだが生憎、村外れにあったからなのか3組ぐらいしか来なくてお菓子が沢山残ってしまい何日もそれを口に入れたということを覚えている。 その後、オランダの都市部、西部に越してきてこのことを色々な人に尋ねても自分の地方にはない、という答えが多かった。グロニンゲン州、フリースランド州、北ホランダ州の一部にはあるとは聞いた事があるけれど全国的になってはいないようだ。 それを Sint-Maarten の祭り、といっていたように思う。 今みてみるとウィキペディアには聖マルティヌスの日となって提灯をもって歩くオランダのこどもの写真も出ていた。

ウィキペディア・聖マルティヌスの日の項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%97%A5

このオランダ版からするとあの夜、11月の10日ごろ、3組ほどの子供達の口からぼそぼそと歌われていた歌は次のようだった。

Sint Maarten, Sint Maarten,    シント・マーテン、シント・マーテン
de koeien hebben staarten,     牛には尻尾
de meisjes trekken rokjes aan    娘はスカート
daar komt Sinte Maarten aan.     そこに来たのはシント・マーテン

なんとも単純で語呂合わせだけの素朴な歌だったのだがそれでも只玄関に立ってぼそっと「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」というよりは気分的には遥かにいい。 これは日本の慣習でいうと地蔵盆の「施餓鬼(せがき)」というものに当たるのだろうけれど今でも田舎では行われているのだろうか。 自分が育った村では今でも地蔵を管理する従姉妹の家が毎年行っているはずだ。

その後、今日はゴミを出す日だというのでゴミのコンテナーをゴロゴロ引いて舗道を歩いていると今は雨雲も切れて強い月の光が射していた。 そういえばさっきのテレビで野生の生態、夜の森では赤外線カメラをたくさん森の中に仕掛けていたけれどまるで動きがなく、解説者がその理由を今はほぼ満月で明るすぎるから夜行性の動物も活動を控えている、といっていたのがよみがえってきて、改めて空を眺めていたら右上がほんの少し剥がれているだけの満月がかかっていた。




 

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