暇つぶし日記

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アメリカ大統領選挙での第三回目の討論をテレビで観て

2012年10月23日 18時25分33秒 | 見る


1時間35分にわたるロムニーとオバマ両アメリカ大統領候補の第三回目の討論会をオランダ国営放送テレビで深夜3時から4時35分まで観た。 

第一回目を何週間か前に見てオバマ候補が相手の予想以上の勉強振りにどのように対応するか戸惑いがちの防戦となり、それがテレビ画面に流れると一般の眼には消極的な大統領、マイナスなイメージとして映り、一時的にロドニー候補に数ポイントで差をつけられたという報道があったものの、見逃した二回目の討論会では落ち着きを取り戻し現役大統領であることの強みで細部にわたる事実の積み重ねと自らの理念をもって対立候補の政策の弱みと誤りをつき、それに焦った余り自ら事実に反する発言をしてロムニー候補がその言説を質されるという失策を犯し、結果として第一回目の得点を帳消しにしてまだそれを上回る減点となったと後ほど解説されていた記憶も新しい。

これをボクシングの試合に例えてみる。 このボクシングには引き分けはなく勝者は一人でなければならない。 戦うには幾つものルールがあって試合はそれに合ったものでなければならない。 レフリーは公平でなければならないが第一回目では時間のこともあったのか審判がロム二ー候補に利するようにみえる分け方をしたこともあったように見えた。 ゴングが鳴って両者見合うがチャンピオンであるものは今までの戦のデータを思い起こし初めての対戦相手の様子を見ながら受身になる。 挑戦者は今までトレーナー、コーチ達から教わったチャンピオンの弱点をついてあちこち攻めるものの今まで自分が戦ってきた級とこの最上級ではクラスが違うことを自覚しているがゆえにより以上ある意味では無理をして戦わねばならないことになる。 第一ラウンドではセコンドの助言が功を奏してチャンピオンの戸惑いを誘っての攻めが優勢に見えたというところだろう。 一般観衆はこれを挑戦者の優勢と取ったようだがプロはそれには組しないものが多かったようだ。 あんなものはかすり傷にもなっていない、と守るものは焦り気味にいうものの第二ラウンドに向けてチャンピオンのセコンドは相手を侮ってはいけないことを覚悟し初回の態度を改めカウンターアタックに方向転換をし、その結果、相手のミスを誘ったことにより両ラウンドの合計では試合前に予想されていた通りのチャンピオン優勢に戻ったということだろう。

しかし最終ラウンドの第三ラウンドが勝負なのだ。両方とも自らの墓穴を掘るような失策をしてはならないことは当然のこと、負けずとも相手に勝る印象を観衆に与えなければならない。 第三ラウンドでは挑戦者の力不足が見えたようだ。 充分力をつけたとも思えない腕でパンチとまではいかないものを繰り出すがチャンピオンはそれを受け止め、それをしながらレフリーにある種のパンチはちゃんとした打ち方をしていないと助言する余裕をみせる。 終わりが近づき時間が来てここからはパンチを交互に出し合って終わりとするところでは挑戦者はほぼ自滅した過去の轍をまたもや踏んでいるようにも見え、正しいボクシングを好むものには挑戦者の力不足から、チャンピオンの仕事には不安要素はなくないものの、それでもチャンピオンは確実にポイントを獲得してこのボクシングでは手に汗握るプロボクシングのショー的場面はなかったもののオリンピックのボクシングで見られるようなポイント制での得点を重ねた結果チャンピオンが手堅く勝利したように感じた。 共和党には力のある候補がなかったということだろう。 それが今回の自分の印象なのだが世界中でこれを観戦している人々の意見は知る由もない。 これに関係がないものの先日共和党副大統領候補として一時話題を集めたサラ・ペイリンの軌跡をドキュメンタリーにしたものを観てこれがアメリカ大統領を補佐する人物になっていたかもしれないと思うと背筋に寒いものが走ったものだ。 思い起こせばダン・クエールにしてもディック・チェイニーにしてもペイリンほどではないにしても信頼がおけるようには見えないし、ブッシュ政権下でのチェイニーの仕業は今回オバマ候補の口から出ただけで誰にも苦い記憶を思い出させるに充分だった。 とはいえアメリカを周りから眺める外部世界の人間がどういってもそれはあくまで部外者の意見でここでのチャンピオンを決めるのはアメリカ人なのだからその結果はスウィング・ステイツと言われる地盤が揺れる州の動向に拠るだろう。 

人は公平ではあり得ない。 読み書き計算ができ物心のつく頃には、例えば三つ子の魂百までも、というようなものと一緒に様々な価値観を既に持っている。 社会的動物である我々は出自と環境によってその価値観の束を補強されるなりそれぞれを再考、矯正しつつ個々の価値観を構築していくだろう。 そこから出てくる政策によって国の長を選ぶとなるのだが候補者のそれらの価値観が討論の場で白日の下に晒され検証され公衆に試されることになるのはいうまでもない。 選挙民は彼らの価値観が自分の期待に沿うものか、身の回りの諸問題を解決する策を持ち合わせ、それを実行する知力と決断力を持っているのかを値踏みして投票の材料にするのだがここでも彼らの価値観が今まで言われていたことを裏づけそれらは民主、共和両党の価値観を示すものであるようだ。
 
両候補の出自を見ればそれは対照的である。 裕福で何不自由なく育ちアイヴィーリーグの大学を卒業し資本家の策を積極的に推し進め産業利潤を上げ州知事となった保守的なキリスト教の価値観をもつロムニー候補と今までの大統領になかったような多民族、文化、宗教観を自らの出自にからめて在学時代、弁護士時代を通じて社会問題に直接対応してきて大統領となった人物の社会福祉、教育に投資することで国力を回復しようとするオバマ現大統領には今回の討論の議題である外交と安全保障についてはロムニー候補が共和党路線の強硬策をもって中東での現政府の対応策を衝けば優勢に立てそうなのは予想できていた。 けれどそこでも防衛予算にからんでオバマ大統領は財政難のもとでの防衛力の合理化を例を挙げて統合参謀長として現代戦略を説きロム二ー候補の提案を時代遅れのものとして一蹴しブッシュ時代を旧弊なものと印象付けたように見えた。 世界における米国の役割、アフガニスタン戦争、イスラエルとイラン、変化する中東情勢、テロリズム、中国の台頭などという議題の中で日本という言葉が出たのはただ一度だけ、中国を意識してアメリカの太平洋地域のパートナーとして重要であると述べたのみの発言で、これを現在の日中間の領土問題にからめて中国をけん制したものと受け取るには難があるようだ。中国の台頭と特に項目を設けて論題にするもののそこでは特に新しい具体策がでてきたとも思えないが、そのことが他の安全保障分野ではロシアやイラクなどを敵国としてひとまとめにしてこわもてに扱うロドニー候補も中国はそうとはしないことからここでは両者ともまだ現在進行中のこととして特に触れない態度であるようにも見受けられる。 この態度こそが中国の台頭ということが近い将来には重要課題となるを物語っているようだ。

興味があったのはロム二ーの企業家として自己の実績を過去の共和党ブッシュ親子、チェイニー路線のオイル関連でロム二ー候補は中国に投資しそれが中国に利し、自国の雇用や職の機会をマイナスにするものとオバマ大統領に指摘されていたことだ。 これに対する反論はなかった。 だから防衛費削減についてのロム二ー候補の稚拙な追求が逆に取って返され今ではもう使い物にならない戦略だと切って棄てられ我々の記憶にまだ新しいチェイニー、ラムズフェルドに戻るのかと共和党失政の戒めに釘を刺す指摘からしてそれぞれの議論では現大統領のほうがより広い視野と具体例をもって全体的にロム二ー候補に勝ったとの印象が強かった。

テレビ討論の「印象」で気付いたことをいう。 これにはケネディーとニクソンのテレビ討論がよく引き合いに出される。論の内容はともかくもテレビに映った「見栄え」が国民の支持を大きく左右したというのだ。 若いケネディーに対してテレビライトが暑いのかしきりに汗を拭きテレビ写りはけネディーに劣るニクソン、ここから若く攻めるケネディー、防戦一方、疲れ気味のニクソンという印象が当時勃興のテレビという視覚に訴えることの強いメディアを通して勝敗を分けたというのだ。 第二回目は未見であるからその印象は確かではないものの、第一回目のオバマ大統領の言い澱みと時には不安定に見える視線の動き、ロム二ーの攻撃に戸惑いを見せたように映ったものが第三回目ではそれが大統領としての安定した眼差しでロム二ーを見据えて語る画像が印象として残った。 逆にロム二ー候補には焦り気味にもみえる顔のテカリとイギリス前首相のトニー・ブレアにみられた「にやけ」ぎみの半笑顔の兆しがあっってそれが自信のなさに見えないこともないように映ったことも確かだ。

秋の夜中に異国の大統領選の討論会を別の異国で観るという体験をして、それがどうなのか、ということにも想いが行くけれど、世界の情勢を左右する国の選挙結果は直接でなくとも間接的には影響があることは確かであるから、現在進行中の極東の島国での瑣末で稚拙な解散選挙を巡る論議をめぐるニュースに絡めてその口直しの意味でもため息をつきつつ、一級政治家の言動をメディアで覗くことにしたのだと思う。 自分の住むオランダでは先日の選挙で首相をいただく保守党と盛り返した労働党の連立内閣が今までの例とは違い速いスピードでこの二週間ほどの間に成立するだろうと観測されている。 福祉、教育などの分野で与党が後退し、その結果我が家でも学費負担分30万円ほどの無駄金を払わずに済むこととなり、ここでも選挙の結果が個人に直接に影響することの例をみている。 

自立した国の政府はその国民が作る、というのだが国民の質というのはどのように形作られるのか、そこにより興味が行く。

秋日和

2012年10月23日 06時13分09秒 | 日常

昨日、一昨日と鬱陶しく曇り、時には細かいものが降る日はどこに行ったのかというような今日の陽気だった。 これが一昨日、昨日と予想されていたものなのだが気圧の動きが予想より遅かったのだな、というのが昼前に起き出した者の感想だった。 セントラルヒーティングにスイッチが入らずとも17度の外気プラス日光に暖められて室温は20度まで登るのだから外気が生ぬるく感じられるのは当たり前だ。

 家の前の緑地の立ち木はこれまで紅葉し黄色く変わっていた木々の葉が陽射しの中で輝いている。 この天気がこのまま数日は続けばいいと期待するものの昨日一昨日と同様、そこを歩いたグロニンゲンは同じくまだ雲に覆われ太陽が顔を見せることはないだろうと8時のニュースの予報官は言い、自分の住むオランダ西部は晴れ間は見えるものの今日ほどではないとノタマっていた。

そろそろ自宅の裏庭に積もりつつある枯葉の整理をしなければならないのだが、その作業はこのような陽射しの下でするのなら問題はないのだが、、、、、、、。