暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

オランダを歩いて縦断するのに10年かかった

2012年10月22日 00時04分40秒 | 日常
土日の二日でグロニンゲンの北の端を40km弱歩いてきた。 これでこの10年ほどでぼちぼち歩いてきた南北460kmほどの「ピーターの小途」と呼ばれるルートを済ませたことになる。 家族4人と息子のガールフレンドを加え5人で電車で3時間半ほどかけてグロニンゲンまで出掛け、駅から歩き始め、市内を通り抜け土曜の青空市では2ヶ月ほど前に日記に書いた茸屋を横目に20km弱歩いてGarnwerd という村で一泊した。 ここは8月の終わりごろには毎年開かれるグロニンゲンジャズフェスティバルの会場になる村で何度も来ているから様子は分かる。 たまたま「ピーターの小途」がここを通っているからここを宿泊地にしただけなのだが泊まったところは昔は跳ね橋を上げ下げしていた管理人が住んでいた橋の袂にある一軒家で今はカフェーの持ち物になっていて希望者には泊まれるようになっている。 このカフェーの料理はなかなかいいのでここに泊まることにした。 それについては下のように書いた。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62893435.html

泊まった家は階下にキッチンと居間、階上には寝室が3つあるので我々には丁度よかった。 風車と跳ね橋、この家の描かれた絵が居間にかかっていたのでカメラに収めた。 そこには一番右にこの家、その隣に農家の干草を貯蔵して置く納屋が共に赤い屋根瓦の三角屋根として描かれていて、今は納屋はパーティー会場として使われるように改造してあってこの夏には気に入りの若いサキソフォン奏者のデュオがここで30人ほどの客の前で演奏したのだが、これが録音されてオランダ国営音楽局からライブ放送されたところでもある。 左の風車には思い出がある。 今はドイツに住んでいるロシア人のフリージャズ・ピアニスト、シモン・ナヴァトフという巨漢の男ともう何年も前に二人ここで夜空を見上げ、奇妙にオレンジ色に大きく光る火星を眺めたものだ。 そのとき、ジュリアード音楽院の当時の教育が如何にゆがんだものか、如何に個人の才能の芽を摘むものであるかを滔々と語りこちらを辟易させその火星の様子と共に忘れられない思い出となっている。 この場所はそんなジャズに絡む思い出がいくつもあるところであり、これからも新たな思い出が作られる場所でもあってこのウォーキングの全行程でも自分には偶々ではあるけれどよく知った特別な場所となっている。 そのほかの場所は殆んど初めて通る場所だったのだ。

今回は天気予報では上天気となるはずのものが、強い雨はふらなかったものの曇り空が続き、時々空から細かい雨が降るような鬱陶しいものだった。 見晴らす限り広大な田舎を歩くときには雨は殆んど降らなかったから遠くは見渡せるものの空は重く垂れ下がり、灰色のバリエーションが豊かで雲が早く流れて行く様子には飽きなかった。 二日目、10時を廻って歩き始め、3時前にはオランダ本土の北の端の村、 Pieterburen に着いた。 これでこの10年ほど少しづつ歩いてきた全行程が済んだことになる。 日曜日には一時間に1本、毎時06分に来るはずのマイクロバスが来ず、10分以上待ってやっと来た。 客は我々だけで女性の運転手は大慌てで我々を乗せて、10kmほど離れた我々が途中通ってきた村の電車の駅まで連れて行くからそこからだったグロニンゲンの駅にいくにはバス連絡より早く着くはずだと田舎道をどんどん飛ばした。 その駅に着くと運転手は料金を取らず我々を駅舎に急がせた。 そこに電車がすぐに来て30分ほどで今回の出発点であるグロニンゲン駅に着いた。 町で夕食を済ませてからまた駅に戻り6時45分発のハーグ行きの電車に乗ると40分ほど行ったところで車内放送が流れ電車の具合が良くないので次の駅で別の列車に乗り換えるアナウンスがあった。オランダ国鉄全体が乱れているようで日曜の夜にも関わらず乗り換えの駅は他の線の乗客と合わさって大混乱だった。 急いで言われた列車に乗り込むと座れないものが沢山いて日頃電車を利用しない自分にはこのようなものはもう10年以上ぶりの経験だった。 一等車両に入って立っていたのだが日頃はほとんど客がいないところなのだがこの日は満席で通路に立っている人が殆んどで車内は混雑していた。 次のユトレヒトになると降りるものもかなりいて我々もやっと座る事が出来た。 結局30分ほど遅れてうちにたどり着いたときには11時前になっていた。