きょうは三井修歌集『汽水域』を再読しました。
5月に読んで、ようやくきょうノートに写し終えました。
・身をひねり宙に放てる投網なり 光を絡め水に拡がる
・雨後の朝葉先を雫が落ちてゆく次の雫を引き出しながら
投げられた網は濡れているのでしょう。 網は光を絡めたあと水に拡がっていく。「身をひねり」という網を投げた漁師の力強さから目の前に展開されていく網と光と水の動きが迫力をもって表現されています。 こういう歌を読むと、デッサン力の差を見せつけられたようで、ううむ、と唸らされます。 雫の歌も、「次の雫を引き出しながら」がとてもよくて、対象にむける細やかさに、驚きました。 雫はぽたぽたと連続して落ちてくるように見えますが、そうではなくて「次の雫を引き出し」ていると捉えられたところが個性的。
この歌集は第9歌集。 「悲しみのまえぶれ」の靄のようなものが一冊を覆っていて、どんな場面を読んでもどこか静かで心が揺れているように思いました。
・靴紐が緩みたるまま行くような心もとなさ 母病みてより
・池の面(も)の浮き草不意に揺らぎたり揺らぎて蜻蛉を驚かせたり
・先をゆく人はたちまち紫の闇に紛れて戻りては来ず
・ひと夜さを我を守りていし窓は朝(あした)涙のごときを垂らす
・井戸はまだとどめているや覗きたる少年の我の素顔を
なかでもいいな、と思ったのは、
・決断のありたるならむ春にても北へ帰らぬ白き鳥には
北へ帰らない白い鳥に、諦めとか哀れさを見るのではなく、「決断」と捉えるところが毅然としていて勇気づけられるものがあります。
そして最後の章には
・北国は吹雪くと聞けどこの朝われの花桃光を結ぶ
という美しい歌が含まれています。
真夏の窓にはさみどりの光が揺れて、その中でひとつひとつ歌を写していく、という時間はとても幸せな時間でした。
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