うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む101

2010-05-12 06:07:24 | 日記

その二 焼夷弾投下凄まじく<o:p></o:p>

 防空壕の口に立っていた自分は、間一髪土煙をあげてその底へ滑り込んだ。仰向けになった空を、真っ赤な炎に包まれたB29の巨体が通り過ぎていった。<o:p></o:p>

 はね起きて、躍り出してみると、もだこの隣組は大丈夫らしい。しかし暗い濛々たる煙は四辺に満ちて、眼が痛い。水にひたした手拭で拭き拭き、蒲団を防空壕に運んだ。<o:p></o:p>

 ときどき仰ぐ空には、西にも東にもB29が赤い巨大な鰹節みたいに飛んでいる。四つ五つ火の塊に分解して落ちてゆくやつもある。地上から、あれが新兵器のロケット砲であろうか、火の帯のようなものが空へ流れてゆく。この夜ほど多数のB29が墜ちるのを見たことはなかった。<o:p></o:p>

 万歳! 畜生! ザマミヤガレ! と叫ぶ余裕も次第に消え、煙の底で自分はレインコートを着、ノート類と奉公袋をポケットに押し込むと、また外に出て、防空壕の覆いの上であばれ出した。防空壕の口には杉の板戸が渡してあり、その上には土がかぶせてある。それをそのまま踏み落とそうというのである。ポキッと戸の折れる音がして覆いはたわんだが、なかなか落ちない。高須さんはもう一方の口に手で土を一心に掻き落としている。シャベルがないのでどうにもなすすべがない。シャベルがないのが命取りになりはせぬか、とは常々考えていたが、手に入る見込みなどどうしてもなかったのである。しかしこれはほんとうに家財の命取りになってしまった。<o:p></o:p>

 夢中になってあばれていると、ザザッ、ダダダッと凄まじい音がして、ついにこの一帯も焼夷弾の雨の中に置かれた。<o:p></o:p>

 自分は思わず軒下にへばりついた。目の前の、裏の藤原という家の塀の下で白い炎があがっている。茫然たること一瞬、自分と高須さんと隣の遠藤さんはこれに飛びかかって水をぶっかけた。しかし黄燐の炎は消えない。靴で踏むと、靴も燃え上がる。土と砂をぶっかけてやっとこれを消したが、一個木小屋の下に転がりこんで白い炎を噴いているのが、場所が悪くて処置なしだ。遠藤さんの娘で節ちゃんという子が狂気のように、<o:p></o:p>

 「藤原さん! 藤原さん! 焼夷弾落下ですよ! 何してるの、何してるの、逃げちゃだめですよ!<o:p></o:p>

 と叫ぶ声が鼓膜をかすめてゆく。しかし藤原家には一人もいなかった。あとで分かったことだが、この一家はそれ以前に自動車に荷物を積み込んで一目散にどこかへ遁走していたのであった。(凄まじい光景です。小生の両親も、勤労動員で東京に残った兄と姉も、このような悲惨な場面に遭遇していたのかと思うと胸が詰まります。)<o:p></o:p>

 自分に代わって防空壕の覆い落としに必死になっていた勇太郎さんはついに成功した。しかし隙間はまだ大きく開き、まして完全に土一尺の厚さで埋めるなどということは思いもよらない。それにもう一方の口は開いたままになっている。のども痛い、恐ろしい煙だ。焼けて崩れる音が近くで聞こえだした。<o:p></o:p>

 木小屋の下の焼夷弾は次第にとろとろと奥深く燃えひろがってゆく。ちらっと顔を投げると、隣の小口家は火に包まれ、安達家は完全に燃え上がっている。<o:p></o:p>

 「だめだ!<o:p></o:p>

 と自分は叫んだ。<o:p></o:p>

 「だめだ!」と高須さんも叫んだ。


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