自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

日本沈没、地方沈没と自然の積極的活用(追記)

2019-05-21 22:41:04 | 自然と人為

 1973年に発表された小松左京の「日本沈没」映画化 (予告:動画)されて大反響を得た。当時は新しかった「プレートテクトニクス」理論の壮大な拡大解釈(2)を背景に、日本という愛すべき国土を失ったとき、日本人は世界で孤立しないで生きていけるかを問う小説(映画)であった。
 参考:(解説 町山智浩 × 春日太一の映画塾!:59分(動画) 荻昌弘氏の解説(動画)

 そして最近、「日本地図から四国が消滅。イギリス国立鉄道博物館が驚愕の展示という記事を見つけた。新幹線だけしか考えていない外国人にとっては、「四国」の意識はなく、「四国沈没」を展示しても、気にしなかったのだろう。これと似た現象として、日本を愛せない「政治経済の志の低さ」と自然を愛せないで「人工の世界」を良しとする社会的現象により、大阪や東京等大都市への人口集中による「地方沈没」が始まっている。

 「日本沈没」が発表されて37年、2010年2月18日の日本経済新聞夕刊は、「工業化で疲弊する農業」(画面右下をクリックして150%にする)と題して、日本の農業(畜産)に対する私の思いを取り上げてくれた。最後の部分をここに再録させていただく。
 「三谷さんは35年も牛のハイブリッド生産の研究と普及にこだわり続けてきた。
 F1牛(交雑牛)は乳牛の副産物だから安く、強健で繁殖能力も高い。種を組み合わせれば相当なものを作れるという。米国に負けない自信の技術を研究10年で確立、全国に普及するために「畜産システム研究会」を立ち上げた。そして10年でF1牛の肥育は全国に普及定着した。
 「ところが、北海道旭川市の斉藤晶さんの牧場と出合って、自分は現場のことを考えて一生懸命やってきたつもりだったが、斎藤牧場が見せてくれる自然の大きさ、美しさ、それを作り出す牛と斎藤さんのすごさに比べて何とちっぽけなことかと教えられた。」
 早春に牛を放牧すると、牛は草がまだ短く少ないので、懸命に草を探して食べ歩く。草は地をはうように生き残る芝の草地となり、石ころだらけの厳しい山が庭石の美しい庭園に生まれ変わっている。
 「牛がどうしようもない山をまさに宝の山にして見せてくれた。あそこで学んだのは、牛と自然の関係、人と自然の関係という意味で非常にいい勉強をした。これは日本の宝だと思った。
 三谷さんはF1雌牛を里山に放牧して、子牛を生産するシステムを考え出した。放牧牛が評価され、牛の放牧で里山を管理する夢が一歩動き出した。
 「農業には多様な役割があり、農業が報われる道を探したい。」
                          (編集委員 工藤憲雄)

 参考: 牛が拓いた斉藤晶牧場 

 残念ながら日本経済新聞夕刊「工業化で疲弊する農業」は、クリックしても読めない。直接、新聞のコピーを掲載しておくべきだった。この新聞発表の前年の2009年11月14日(土)、15日(日)に富士山岡村牧場(動画)で研修会を開催し、懇親会に70名、講演会のみの参加14名を加えて84名の参加をいただいた。この「富士山岡村牧場」は「大谷山里山牧場」とともに、2017年10月21日に広島県で開催された第31回畜産システム研究会:テーマ「自然と地域につながる肉牛生産」で発表して頂いた。また、「ふくやま環境会議」の依頼で定年退職を記念して「ハイブリッド社会の共創」と題して講演したこともある。
  

 しかし、2010年に口蹄疫が発生し、ブログ「牛豚と鬼」を発信し始め、「口蹄疫」を勉強するのに時間を取られてしまった。専門でないことに頭を突っ込んで「里山の放牧管理」の仕事がおろそかになってしまった。ブログ「自然とデザイン」に改名したのは2013年9月からだが、この頃からテレビ放映された番組を皆さんと共有することに、また時間を割いてしまっている。 参考: 「自然とデザイン」ライブラリの回覧 2013-09-25
 また、この頃すでに「現場に行くことが出来なくなって1年を経過し、現場での情報交換ができなくなっていますので、しばらく休ませていただきます」と記しているので、2012年秋には里山の放牧管理の仕事は出来なくなったようだ。大谷山里山牧場シルバー世代が作った牧場(動画))に放牧牛が到着(2011.8.29)し、途中から預かっていたもう1頭の放牧牛を返した日(2012.6.24)までは牧場に行き写真を撮ったが、子牛(弟)が生まれた(2013.2.28)の写真は「朝日新聞」から切り抜いている。

 私の仕事は「自然とデザイン、システムの共創」に関するものだったが、地方から若者が流出して高齢化社会となり、空き家が多くなり、顔なじみの住民も少なくなり、お祭りも廃れ、お葬式と墓参りも少なくなり、お寺の維持さえ困難が予想される時代になった。これからの放牧による里山管理は、経済的行為というよりも社会的維持管理の側面が強くなるのではないか? 県単位の畜産や農業試験場は土地の所有と維持管理に自治体としての責任を持ち、その管理を民間に委託する方法を検討する時期に来ているのではなかろうか。里山の放牧は自治体が民間に委託する方法を検討しては如何であろうか。大学や試験研究機関と行政と住民、政治が信頼をもって語り合い、「地方沈没」を防ぎ、地方で豊かに生活できる町づくりに真剣に取り組んでいただきたい。

 若者の都市への流出の一方で、農業の高齢化も進み、既に町へのクマ、サル、イノシシの出没が話題にされるようになった。高齢者が農業を維持できなくなると、里山は人が住めない野生動物の楽園に戻る。経済成長を追い、国防軍で日本を守るのではなく、自衛隊を「国際災害救助隊」として、世界から感謝される組織にするだけでなく、「牛の放牧」を含めて里山を管理し、いつまでも「美しい日本」を守って欲しい。
 参考:スピノザ「エチカ4真理」 主体の解釈学(デカルト的契機)
     主体は真理に到達できるが、真理は主体を救うことができない時代となってしまった。


 渡辺京二「逝きし世の面影」は、明治以降、日本の文明は滅んだという。「維新」と云う幻想(山伏太賢さまのブログより転載)では、『明治以前の「循環と調和」を尊ぶ、即ち「和を以って尊しと為す価値観」、これこそが我が国最大最高の武器である』としているが、戦争を放棄し、自然の循環と調和を尊び、和を以て貴しとなすことこそ、『日本沈没』や『地方沈没』ではなく、『日本人が世界の人の目標』となれる道ではなかろうか。


初稿 2018.5.16 更新 2019.5.21

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