『小泉元首相が脱原発!』を講演等で本気で主張していることは知っていたが、「脱原発を力説する小泉元首相」(あさチャン編集放送(2016年10月5日)録画)で、その声を聞くことが出来た。小泉元首相は新自由主義に影響されて「郵政民営化」を大胆に実行したことがある。
人の考えることには固定観念があり、それが利益を伴う信念となることがある。しかし、自然と命を守る平和への願いでもある「脱原発」は固定観念ではなく人間として自然の考え方であり、原発の廃棄物の処理はお金でも我々の生きている間の時間でも解決できないが、「原発支持」は固定観念による眼の先の利益の主張に過ぎない。
「固定観念」とはどのような脳の状態なのか、心理学的に深く考えても面白いと思うが、ここでは生まれ育った環境や仕事の立場から育った思い込みとか先入観で、「科学的に検証できない考え方」といった程度に使っている。ただ、ある時には固定観念は信念となり、他者と対立したり他者を支配したがる原動力にもなる。しかも最近の政治家の信念に、肝心要の「国民を守る」という視点が完全に欠落している。
小泉元首相は東京都の豊洲新市場やオリンピックの問題は誰も責任を取らない原発の問題と似ていると言う。都の問題も原発の問題も大型予算=税金を伴い、大型企業の安定な利益に政治と行政が絡む問題であり、産軍複合体と体質がそっくりだ。もっと過去に遡って追及すれば、日本の戦争は国民やアジアの人々の命を奪い、様々な破壊をもたらしたが、その責任を日本で問われることはなかった。日本の政治と行政には国民に責任を取る体質がないし、国民もそれを求めないのだろう。自己の魂の強さを誇りつつ、不満鬱憤は弱い人への攻撃(動画)に向かう。それは安倍政権が大企業優先のアベノミクスで国民の格差を拡大させる一方で、軍事優先の政権をもっと長く維持しようとしていても、これを批判することなく安定している良い政権だと評価する国民が多いことに通じる体質だと思う。
「脱原発を力説する小泉元首相」から
小泉元首相「本当にね、金まみれの産業ですよ、原発は。」『原発ゼロにできるのに、なんでしないんだ』というようなことを日頃思っていたから、『総理(の行動)が変わればすぐ変わるぞ。』(と直接言った。)」
小泉元首相の”直訴”に対する安倍首相の反応は?
小泉元首相「色よい返事どころじゃないよ。黙ってね苦笑しながら聞いているだけだから。もうここまで推進しちゃって、原発の輸出まで奨励しようとしている。無理じゃないかな。それとねあんまり関心ないんじゃないかな。どっちでもいいと思っている節があるよ。むしろ憲法改正の方が大事、優先順位が違うね。」
参考: 小泉元首相、退任後初のTVインタビュー NEWS23(1) (2) (3)
この対談は約1時間半の「小泉元首相、退任後初のTVインタビュー」に公開してあるが、TVインタビュー(1)には、上記の安倍首相に投げかけた言葉について、小泉元首相は毎日新聞(2016年10月3日朝刊)『「風知草 山田孝男」に書いてある通りだ。新聞記者は的確に捉えるもんだね』と褒めているので、参考にしていただきたい。
毎日新聞(2016年10月3日朝刊)「風知草 山田孝男」
小泉「原発、なんでゼロにしないんだよ」
安倍「微笑、黙礼」
小泉「原発ゼロの方が安上がりなんだよ。こんな簡単なことが、どうしてわかんねえかな。ぜーんぶウソだぞ、経産省が言ってんの。原発推進論者が言ってんの、みーんなウソ。だまされんなよ。」
また、TVインタビュー(2)は、小泉元首相が力をいれている米軍のトモダチ作戦 (コピー)で被爆した兵士のために救援活動をしている話がでてくる。これは軍事行動よりも国際災害救助活動の方がはるかに偉大で尊敬されることを証明していると同時に、原発の放射能汚染について極秘にする日本政府の体質がもたらした災害でもある。また、メディアが報じない東京の放射能汚染の可能性についても語られていて必見だ。
日本の美とか伝統を重んじるなら、安倍首相は育ててくれた先輩、小泉元首相の意見を尊重すべきだ。わざわざの先輩の忠告に苦笑で返答しないとは、特権化した政治社会の3代目安倍首相の地位と意識は北朝鮮のように高慢なものになりつつあるのだろう。それにしても、なぜ安倍首相にとって自然や人間の命を大切にする「脱原発」よりも、軍事行動を可能にする「憲法改正」の方が優先順位が高いのだろうか。一つには「脱原発」で利益を失うという固定観念を持つ側にいること、もう一つは現在の憲法はGHQ(アメリカ)に押し付けられたという固定観念を持っているからだろう。以前(2015年12月4日)、このブログで「なぜ安倍政権は憲法を無視するのか」と論じたことがある。安倍晋三の父方祖父の安倍寛は反戦政治家であったが、一般に子供時代は母系家族との交流で育つので、母方祖父の岸信介(A級戦犯容疑者=戦時中の支配者)を尊敬する体質が身に沁みついたのだろう。安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」とは「岸信介=A級戦犯容疑者」の名誉回復を目指すように見えるが、岸信介が保釈され首相にまでなれたのは、当時反共的支配者であったアメリカ(CIA)の後押しと、国民が戦争責任者を追及しないで戦時中の支配者を偉いと思ったからであろう。それにしても岸信介を救ったアメリカのことは置いておいて、アメリカから憲法を押し付けられたという固定観念には矛盾がある。矛盾がないとすれば憲法を押し付けて戦争放棄させながら、その後に日本を反共の砦として再軍備させたいアメリカが背景にあるということだろう。
一方、「脱原発」に転じた小泉元首相だが、イラク戦争の過ちだけは認められないそうだ。この件についてもTVインタビュー(3)で「日米同盟でお世話になっているアメリカの要請を断れるはずがない。イラク戦争はフセインが査察に応じなかったから起きた戦争だ」と主張している。多分、郵政民営化も過ちだとは思っていないだろう。「脱原発」は人間として自然の考え方だが、「イラク戦争賛成」も「郵政民営化」もアメリカ(共和党)との強いつながりで育った「固定観念」だろう。
原発を自然と人間の命の関係で見れば「脱原発」は当然なのに、なぜ「脱原発」が出来ないのだろうとじれったく思う。しかし、原発により利益を得ている側からすれば「利益を得ている」という固定観念が「脱原発」をとんでもないことだと思わせる。同様に、「イラク戦争」に賛成した立場からは、イギリスで「ブレア元首相がイラク参戦したことは不当」と批判されることは耐えられないことであろう。長い歴史を考えれば、政治家は何のための利益かを熟慮し、利他的に判断することこそ名誉は守られる、と私は思う。
初稿 2016.10.7
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