自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

映画で未来を変えよう 大林宣彦監督からのメッセージ

2020-08-03 11:32:16 | 自然と人為

ETV特集「青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言」 メランコリア 2017/09/15

憲法9条を無視する国家犯罪者・安倍晋三を追放し、市民政治の確立を目指そう。 初稿 2020.6.14 更新 2020.7.28
中国が内需型に転換し世界経済を主導する? 2020.8.6 田中 宇
青い山脈 本澤二郎の「日本の風景」 映画「青い山脈」 昭和24(1949)年版
「法外の正義」どころか日本はまず「正義のイロハ」からやり直せ
 :郷原信郎氏(弁護士) 2020.8.1
自民党の「新しい(独裁)憲法」の中身

映画で未来を変えよう (NHK番組:動画)
 大林監督 最後のメッセージは4人の監督へ、そして私たちに託されたものでした。
  『みなさん 今 世界は映画を本当に必要としています。
   映画で過去の戦争の歴史を変えることは出来ないが、
   未来の平和を手繰り寄せる力は映画にはあるんだよ。』


 2011年3月11日に起きた東日本大震災と原発事故、この日を境に大林さんは何かにとりつかれた様に、「太平洋戦争」というテーマに没頭していきます。

この空の花 長岡花火物語」 2012年4月7日 公開

大林監督(82)最後の遺作「海辺の映画館ーキネマの玉手箱

大林監督のメッセージ ---> 4人の監督に託した未来

岩井俊二監督(57)ネットのニュース記事で拝見して、唐突に自分の名前が出てきたんでぎょっとしましたけど、素直に光栄ですし、そんな時に思い出していただけたのは本当に光栄というか、恐れ多い感じがします。
犬童一心監督(60)すぐに岩井さんからメールが来ました。「託されちゃったけどどうする?」託す相手がもっと若い人にしてよって感じも僕たちにはある。「映画を撮りたい」という衝動で、8ミリカメラをまず持って映画を作り出した人たちが、一番 自分の気持ちを分かってくれると思っていたんだなという気持ちがあります。そういう気持ちを持っている4人なんですよ。実は手塚くんも、岩井さんも、塚本さんも、俺もそう。大林さんもそうだった。8ミリ映画を作っていた時に。
手塚眞監督(58)正直、闘病が長かったんで、大分お身体を悪くされているなというのは分かっていましたから、まあそれが何時なのかというような感じではいました。だから急で驚いたという感じではありません。たまたま思いついて口にされたのが僕らの名前だったというだけで、そうではなくて作家性をなんとか保ちながら、日本映画を作り続ける人たちに、もっと頑張ってほしいという気持ちがあったのではないでしょうか。
塚本晋也監督(60)僕はわざと今回の映画に関しては、試写とかで見ないで、劇場でお客さんに交じって、個人のお客さんとして楽しみにしていたので、その日を待ちわびていたんですね。初日に行こうと思って張り切っていましたので、そしたらコロナのことで観れないなと思っていた矢先にそういう訃報が入ってきたので、まあちょっとしくじったかなあ、見とくべきだったなあと思ったのですが、それは後から言ってもしょうがないんで、今はもう、いっそ我慢しまくってデッカいスクリーンで観るのを楽しみにしているんですけど。

3.11と戦争映画

 塚本晋也監督「やはり、3.11みたいな出来事は本当に大きくて、その時に世の中の不安をとても強く感じて、ちょっとこれを調べるようになっていくんですが、見れば、これでは不味いんじゃないのというような設計図も結構作っているんだなんてのが、露骨に見えてきて、その未来が不味いんじゃないのこれではと言うのと、戦争が起っちゃうかなと言うのは、一見遠いようだけど、ものすごダイレクトに繋がって感じたものですから、そこからまた不安になったですね。 ・・・大林監督は僕のことを”戦前の監督”とおっしゃった。大林監督が”戦後の監督”なら、僕が”戦前の監督”だと。いよいよ抜き差しならぬ状況に、今が来ているんだと。
 犬童一心監督「原発事故が人災だとすると、戦争も人が起こしているので、ものすごくとんでもないことが人のせいで起きたのに、そのことに対して、人が何も責任を持たない。原発事故のときに”人間が犯してしまう愚かさ”を突き付けられて、原発の映画を作るんではなくて戦争のほうに行く
 手塚眞監督「僕らはメッセージ性が薄いと言われて映画を作り始めて何十年もやっているのですが、未だに日本の映画はメッセージ性が薄いような気がする。その中で彼がいちばん主張できることは、戦争に対するメッセージだったと思います。映画というのは社会に届くもの、それをもっと作り手は意識した方がいいんじゃあないか、ということを仰っていたのではないでしょうか。
 
 大林宣彦監督『3.11以降は、日本の教えられなかった、あるいは知っていても、あえて忘れてしまった相手、そういう”日本の敗戦後の記憶”を映画という面白いメディアのハラハラ、ドキドキするメディアの中に託して語れば、眉にシワを寄せなくても、楽しく大事なことを学ぶことができる。映画を使いながら自分自身を語り、過去を、未来を生きる人たちに伝えていく。”敗戦少年”として最後の生き残りの僕らの世代が、語り、作り、伝えなきゃいけない。それが僕が今、生かされてここにいることの理由だと思う。

 大林宣彦監督『僕は戦争反対だとはあまり言えないで、戦争は嫌だとしか言えない。「戦争は嫌だ」が正しいね。戦争反対する権利もないと思う。かつての軍国少年だから。』

 大林宣彦監督『皆がしっかりと怯えてほしい。大変なことになってきている。過剰に怖がらせているように思われるかもしれないが、過剰に怯えていた方が間違いないと僕は思う。それが実際に怯えてきた世代の役割だと思うからあえて言いますがね。怯えないといけない、戦争というものに対してね。』


 大林宣彦監督『凄いね、これは凄い!子供なりに「日本負けるんだな」って感じはどこかにありましたよ。ハワイ海戦のころには、「僕、ルーズベルトをやっつけた」って感じだけど、これは、僕、殺されるって感じだものね。』

 大林さんと同じく、妻の恭子さんも、この戦争を経験しています。1945年3月10日の東京大空襲、当時、6歳の恭子さんが見つめた焼夷弾の雨、10万を超える人々が無くなりました。

 大林宣彦監督『2階の窓を開けて、お父さんが恭子さんを連れて上がって、「恭子、よく見ておけ。花火のようにきれいだろう。しかし、この花火の一つ一つの下でな。人が死んでいくんだ。今度はお前かも知れんし、わしかも知れん。今きれいだと言ったあの下で、人が2人も3人も、首を奪われ、手足を奪われて、死んでいくんだぞ。よく見ておけ」と言われたそうですね。「人間というものは、かくも愚かなものである。これをよく見ておけ」と。』

 大林宣彦監督『上から落とすのが爆弾で、下から上げるのが平和を祈る花火。ひっくり返して、全部花火にしてしまえば、世界が平和になるよね。
 恭子さん『いつも、胸が熱くなります、ここの花火は。父とか母とか、死んだお兄ちゃんとか、やっぱり思い出します。』

 大林宣彦監督『僕より若い世代の塚本くんというね。僕の息子世代の若い世代の友だちが、新しい”戦前派”として戦争映画を作り始めました。過去の戦争ではない。次にくる戦争をいかにして止めるための戦争のむなしさ、むごさを描いていこうと』

塚本晋也監督の「野火
 塚本晋也監督『「野火」はずーっと作りたかったんですが、「野火」を絶対に今作らないとと急加速していったのは3.11以降ですね。今作らないと絶対だめだという焦りにも似た気持ちになったんですね。その時の世の中の状況がだんだんと戦争の方に近づいている。本当に戦前になりつつあるという危機感が強くあったからなんですけど、もう本当にあー作らなければという感じで、先のこととか、取り敢えずどのくらい皆さんにインパクトを皆さんに感じてもらえるか解んないけど、やらざるを得ないという、やらないと心配という、そっちの方が強いですけどね。』
参考:塚本晋也監督 戦争へ近づく危機感が『野火』製作のきっかけ 2020.7.19
   塚本晋也監督『野火』、終戦記念日を中心にアンコール上映 2020.7.15

 自民党憲法改正草案
 【憲法改正草案を発表】谷垣禎一総裁 2012.04.27
 自民党「憲法改正草案」を斬る
 憲法9条を守る和歌山市共同センター緊急勉強会 2016.7.31
 自民党憲法改正草案の危険性
 【講師:大山勇一・弁護士】 豊島9条の会学習会  2016.9.26
 自民党の憲法改正草案について 前編
 自民党の憲法改正草案について 後編(国防軍)
 自民、“復古調”改憲草案を棚上げ 審議進めるため 2016.10.18
 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
 医事争論by内科医師・神前格 220.7.25
 「軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやりました。特攻作戦も同様です。特攻隊員たちの純粋な気持ちを利用した。“日本的美学”などと言われるが、とんでもない。・・・」
 医事争論by内科医師・神前格 2020.7.26
 「日本の右派の有力政治家が歴史を美化しようとするたびに、韓国や中国、そして世界中で日本への不信が生み出されている。愛国を語って日本の国益を損じている。...」
 前原・吉村合体維新合流? 小池都知事のやってる感 2020.7.20

大林さんは「野火」を見たとき塚本さんに声を掛けました。
「本当は今、戦争映画を軽く作っちゃいけないと思っていたけど、「野火」を見たら「こういうものなら作るべきだ」と仰っていて、「必要に駆られてやむにやまれる気持ちで作る戦争映画じゃないなら作らない方がいい」とおっしゃっていました。何かお客様が喜ぶためとか、涙を誘うためとか、お客様のヒロイズムはもってのほかですが、例えそれが涙であってもカタリシスを喚起する目的委で戦争映画を作ってはいけない。戦争映画を作る時は、もうこれつくらなきゃ大変って気持ちで作らないといけない。」

大林宣彦監督『”カタルシス”だけは絶対に描かないと、これが戦争映画を作ることの一番大事な点なんです。どんな反戦映画、「戦争はいやだってことを描いても、
”カタルシス”はそのことを体験することで、どこか気持ちよくなる、というのが映画というものの怖いところであって、そういう意味では塚本君の「野火」は本当にうれしく迎えることができたと言うのもそうゆうことですよね。

2016年夏、大林さんは戦争をテーマにした3作目の撮影に入ります。撮影前日に行われた顔合わせ、それは思いがけない言葉で始まりました。
大林宣彦監督『ガンになりました、私。(余命は)あと半年か1年だ』と、
この作品でも恭子さんがプロヂューサーを務めます。
恭子さん「監督は頑張ると言っていますから、最後までキチンと仕上がるまで元気でやりますから。よろしくお願いします。』
当初は撮影中断も考えましたが、抗癌剤を服用しながら現場に臨みます。夫の病状を誰よりも心配しながら、恭子さんはプロヂューサーとして撮影続行を決めました。

大林監督『ヨ~、とってもうまくいったぞ』
恭子さん『ちょっと足が...』
大林監督『ん?うまくいかなかった?』
恭子さん『いやいやいってるんだけど。ズボンの線がね・・・』
大林監督『全てのタイミングはうまくいった。あとはズボンの線だ。デリケートなもんだ。』
恭子さんはここから何をみていますか?
恭子さん『監督の頭の中を見ているかもしれない。だってもう60年近く一緒ですから。見えます。でも、いつも0号試写の時に、私の想像以上のものを表現してくれるから、一緒にいられるんでしょうね。なんか、そんな気がします。もし、私の想像以下だったら、一緒にいるかどうかわからない。すごいこと言っちゃった。』
大林監督『私があの年まで映画作家としてやりきれたのは、恭子さんがいたからだとおもいますけど。』
犬童監督『ほとんど”コーエン兄弟”みたいな感じで、”大林夫妻”という感じなんです。大林宣彦という才能や思いだけでなく”夫婦”で観ていかないと、続いてないし、やりきれないし、大林さんはああいう形になっていない。』

戦争というテーマに向き合い続けた年月、この間、日本と世界は大林さんの想像を超えて大きく変化しました。
大林監督『僕らも何もしてこなかったってことです。迂闊なことにね。戦争の気配や世の中が流れて行く方向を、僕たちが楽観視していたのは、「迂闊であった」としか言いようがなくて、僕が「花籠」,をここで作った理由も、迂闊であった自分を戒めるためであるということが当然ある訳で・・・。』

迂闊であった自分、その事実と向き合いながら撮影は続きます。夜の海岸で主人公が友人と会話をする場面、そこには若者の戦争への率直な心情が・・・「戦争が青春だなんて、まっぴらだ。」このセリフに戦争へのより切実な思いを加えることにしました。
大林監督『あのね、ここんとこだけど、「戦争が青春だなんてまっぴらだ」をもっと具体的に「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」と』、
俳優『消耗品』
大林監督『青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ、この映画のテーマみたいなものだから、テーマを直接言うのもどうかなと思ったけど、』
俳優『誰に対する怒りも消えてます。戦争に対する怒りだけは爆発している。』
大林監督『よーい、スタート』

戦争が青春の消耗品だって、まっぴらだ!

手塚眞監督『花籠は最高傑作で、代表作で、もしかしたらこれが本当のデビュー作と思ったんです。最初観たときはうれしくて、あっ、これが大林映画だって始めて本当の意味で実感しましたね。これが作りたかった人なんだなと、大林さんが普段言っていることであるとか、戦争に対する思いも含めてですね、全部入っているんですね。そして自分のやりたい表現をとことん追求している、その気迫と言うか迫力がすごくあったんですよ。』


岩井俊二監督『自分はもう感極まりました。映画ってこんな自由でいんだなと改めて感激した前夜祭でした。』
大林監督『人は何かを残すために生きているのね。』
岩井俊二監督『悲惨な戦争を全て悲惨一色で描くのではなく、たまたまそのタイミングで生まれてしまった若者たちの青春が、そんな環境ですら徒花のように咲いてしまうというか、戦争体験のない人が圧倒的多数になった日本人にとっては、100%理解するのは難しいですよね。簡単にわかる戦争映画でないのは、それも一つの大林さんのメッセージだったような。』


大林さんの最新作、「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」、80歳を超えてもなおエネルギッシュなパワーが全編に満ちています。舞台は故郷尾道の映画館、大林さんが幼いころから自分を育んでくれた映画への愛を綴りました。映画界の先人にオマージュをささげたシーン、手塚さんが小津安二郎監督を、犬童さんが山中貞夫監督を演じています。小津と山中は昭和を代表する監督、しかしともに中国戦線に出兵、名作「人情紙風船」を作った山中は28歳で戦病死しました。

手塚眞監督(小津安二郎役)『小津さんの持っていたメッセージを大林さんは自分が引き継いだと感じられたと思うんですよ。表現者であると同時に、特に映画監督としての意識ということをちゃんと引き継いでほしいという思いがあったと思いますね。
犬童一心監督(山中貞夫役)『”奪われてしまった作品”って言うんですかね、山中貞夫が戦後生きていれば、生まれてきたであろう作品たち、戦争によって映画作家がいなくなるということは、あるアートが作品と言うか、できるはずだった作品が全部消えて仕舞うんだという象徴というか、だからどうしてもあの映画の中にそれ(シーン)を入れておきたいみたいな、大林さんは本当に”映画が大事”なので、”映画が好き”で”映画が大事”なのです。』

抗癌剤治療を続けながらの撮影、花籠の時に比べ体重も減り大きな声も出ません。
犬童監督『だんだん自分の思うとおりに身体がなっていかなくなるから、やっぱりどこかで「もしかしたらこれが自分の最後の作品かのしれない」というのは、ある時期からどうしようもなくあったはずだと思う。「自分が果たしてないことをしなきゃ」という気持ちが「海辺の映画館」の時はどんどん強くなっていった。仕上げの時、ダビング前のアフレコに行ったんですけど、聞いたら「アフレコが15日目だ」と言ったんです。普通アフレコってやっても2日とか、毎日朝から晩までアフレコをやりながらシナリオのセリフを直していて、やっててそれで15日たっていた。ああゆう体調になっても、しんどい方を選択する。そうじゃなきゃ”映画”じゃないと思っている。

大林監督『ヨオ!ストップ! ハイ、アカデミー賞!』
映画(海辺の映画館)は中盤に入ると、それまで虚構であった戦争がリアルなものとして差し迫り、主人公たちの意識に変化が生まれます。

俳優A「広島が危険なんじゃ、明日、とんでもない爆弾が落ちる。」
俳優B「映画って、僕たち観客も死ぬん?」
俳優C「僕は血を流したよ!」
俳優D「観客が高見の見物じゃあ世の中何も変わりゃせんで!」
俳優E「痛い、胸が痛い!」
俳優F「映画で歴史はかえられんけど、歴史は映画で変えられるんだ!」
俳優G「それをハピーエンドにするのはわれら観客だ!」

「海辺の映画館」が公開される予定であった4月10日の夜、大林さんは恭子さんに看取られ、82歳の生涯を終えました。

犬塚監督『大林映画が本当に評価されるのはこれからだと思います。これからの10年間で評価が全然変わる方なんだろうと思います。そういう方の近くにいられたのは、非常に幸せな立場だったんだなと、改めて僕らは思うかも知れません。今は貴重な先輩を失ったという気持ちだけ精一杯ですけど、もしかしたら監督が僕らに残したかった大半のメッセージは、まだ僕らにはわからないかもしれない。あと5年か10年、自分たちが頑張ったときに、初めてちゃんとした声が聞こえてくるのかな、そんな風にも思います。』

岩井監督『戦争をしたいと思う人たちが、力を持った人たちが戦争をしたいと思えば始まってしまうんだろうと思うんですね。やっぱり、ものを作る側として目を背けてはいけないところだと思うし、大林さんが拘っておられたテーマは壮大なんですけど、”人類の未来に対する不安”なんだと思うんですね。おそらく、「岩井ちゃん次頼むよ」というメッセージが聞こえる気もしますし、「岩井ちゃんも天国に行くときには次の子たちにバトンリレーしてあげてよ」というような優しいメッセージをそっと置かれて旅立たれたのかなという風に捉えていますけどね。』
塚本監督『大林さんがあのご年齢であれだけのご病気でますますパワフルに映画を作ったことを考えると、対外なことではくじけちゃいかんというすごく強い励ましになります。「何か(映画作りが)炎のように足りん」って感じがしていて、なんかこのままずるずるいくことを、ちっとでも食い止めるための微妙な堰を止める「堰」にならないかなと、もしかしたらばっと広がるかも知れません、その考えが・・・。
『犬童監督『大林さんが亡くなってからの方が、大林さんのことをよく考えます。今の映画作りが、うまくいってない気持ちが大林さんにはあった。迎合しているというか、俺も含めてですが、「本当にこれがやりたいんだ」とか「これを扱うんだ」とか、「自分の中でこんな衝動があるんだ」というものから生まれたものじゃないと、本当に強くならない。大林さんのことを思い出して自分を律する気持ちになる。ああいうふうに映画を作っている人を見ちゃうと、もうごまかしが効かなくなってくる。できるだけ自分の中にあるものに準じて映画を作ろう。

 尾道の生家に残された古いピアノ、長い戦争が終わり自由が戻ったとき、父が大林少年に買い与えたものです。最後の作品で、大林さんはこのピアノを演奏しています。今、未来の戦争など誰も知らない平和な夜を切実に夢見るより若い世代の人に、賛美と羨望の念を込めつつ、僕らはこの映画を作りました。映画で未来を変えようよ。大林さんが映画作りに込めてきた思いです。




初稿 2020.2.17 更新 2020.7.30(総合目次の変更、「野火」の追加、危険な安倍内閣等追加) ページ変更 2020.8.6 修正 2020.8.10

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