6.戦後の政治もまた、改憲をめぐる攻防から始まった
憲法は占領軍(GHQ)の下に帝国議会で制定実施されたので、「押し付けられた」とか、「日本の意志が入っていない」とよく言われる。しかし、「家制度」が尊重される一方で、男女平等もなかった日本の「常識」を がらりと変えた憲法24条があることを多くの人は知らない。
また、占領解放後の1952年10月1日に実施された衆議院議員総選挙で、「公職追放」組(参考:第一次戦犯指名)は、日本を反共の砦にしたい米国の思惑もあり、念願の政界復帰を果たした。日本が戦争をできないようにするためのGHQの政策に対して、戦争責任で公職追放された人々は戦後の憲法を否定した。そして戦後の政治は、「改憲をめぐる攻防から始まった」のである。今も、憲法改正論議は公職追放の岸信介の孫である自民党安倍首相の陣頭指揮で続いている。
参考:「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(1993.2.5 放送)(動画)
第四次吉田茂内閣 1952.10.30-1953.5.21
先人たちの底力 知恵泉 「白洲次郎」 前編,後編 (動画)
平和条約以後の沖縄と日本外交
7.「対米従属」と「憲法改正」の矛盾
『1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効したが、その日の夜、吉田茂は「対米協調(というか追従)」を軸とし、アメリカの軍事力で守ってもらいつつ経済発展する道を選び、単独で「日米安全保障条約(安保条約)」に調印した。・・・日本がアメリカから独立したことで力を失った吉田と、逆に公職追放解除で力を得た鳩山・岸。時代は確実に動き始めた。そしてついに、翌1954年12月、自由党の吉田首相は辞任し、日本民主党の鳩山一郎首相が誕生した。・・・そして1955年10月、「日本社会党」が誕生、・・・1955年11月、今度は自由党と日本民主党が合流して、「自由民主党(自民党)」が誕生した。保守合同によりねじれと矛盾が混合して、国民が求めていない「憲法の自主的改正」を「党の使命」とする自由民主党が誕生し、自民党と社会党の55年体制が出来上がる。』(色めき立つ社会党と自由民主党の誕生)より部分引用
ここに、「対米従属」と「憲法改正」の矛盾をはらんだ自民党政治が誕生し、現在、安倍首相は憲法改正を政治家の使命としている。憲法は権力が国民を支配することを禁止するためにあるのに、その禁じ手を首相自ら破ろうとしている。憲法は民主主義を守る「自立した個人」が育たない国内問題もあるが、それよりも多様な価値観を持つ世界の人々の生き方を束ねる国際的な土台(動画)である。人間の集団が狂暴になるのは戦争中だけではない。ドイツ敗戦後にヒトラーへの復讐心に燃えた集団の狂気の異常を、アフター・ヒトラー 前編,後編は教えてくれる。
第2次大戦で米国は日本に原爆を2発も落とした。戦後は日本の武装解除を目指したが、今は再軍備させて米国のために自衛隊を戦に参加させようとし、北朝鮮に対しては核武装解除を強く求めている。使えない核武装に拘る北朝鮮も時代錯誤だが、核兵器の小型化に熱心な一方で、核兵器禁止条約には反対し、日本にも反対させる米国もガキ大将そのものだ。しかも子供ではない。米国は産軍複合体が防衛戦略で儲けている国だ。戦争を放棄した日本の主体性を強く主張しないで、没落の傾向が見え始めた「米国」と共に戦うために、世界の平和を守る憲法9条をなし崩しで無効にしようとする愚かな日本の政治であることよ!政治にとって、戦争放棄は必須条件だ!
参考:『映画 日本国憲法』予告編(動画)
サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日は「沖縄屈辱の日」でもある。独立の気概を持たず、国民を犠牲にし続けるこの異常事態を、メディアは報道しない。「国民の為に働くという国やメディアのタガが緩めば、愛国心という道徳の美名(動画)の下に国家優先主義が頭を持ち上げ、気が付けば国民の自由が奪われている。」
参考:「愛国と教育」は何を目指すのか?(動画)
8.自民党の新綱領と新しい憲法の制定
自民党の改憲案の前文には、『国民統合の象徴である天皇を戴く国家である』ことをわざわざ明記し、第一章 天皇の第一条には『天皇は日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存在する日本国民の総意に基づく』とある。これは日本国の伝統である家族制度を、国にまで拡張して、国の家長を天皇とした解釈であろうが、憲法の第一条に「天皇は日本国の元首」であると明示しながら、『その地位は国民の総意に基づく』とした矛盾はどう説明するのか!元首は地位ではないとしたら、何を示すのか!
この点について現憲法と比較してみよう。現憲法の前文では、『「諸国民との協和」による成果とわが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する』とある。第一章 天皇については、『第一条 天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存在する日本国民の総意に基く』とある。天皇は象徴であり、その地位は国民の総意に基づくのだから矛盾はない。しかも現憲法の第2章 戦争の放棄は、自民党案では第2章 安全保障に変えられ、第9条の2に国防軍が追加されている。一方で国民の自由を道徳で規制し、もう一方で戦争を準備する。これが時代に逆行した自民党の常識であろうが、彼らはその古い常識を誇りにしているようだ。その一方で、「自立した個人」が育たない日本にあって、現天皇・皇后は「象徴天皇」を見事に根付かせていただいた。
参考:日本国憲法誕生 全編(動画)
日本国憲法の草案はメイドインジャパン(動画)
「憲法と日本人~1949-64 知られざる攻防~(動画)
Japanデビュー:2回天皇と憲法~憲法の日本の120年(動画)
NHKスペシャル「憲法70年 平和国家はこうして生まれた」(動画)
「憲法を考える」① ~ 民衆が作った「五日市憲法」とは?(動画)
政府が明治維新150年を祝う式典 天皇陛下は出席せず
初稿2018.11.4 更新 2019.3.13 更新(ブログ目次削除)
憲法は占領軍(GHQ)の下に帝国議会で制定実施されたので、「押し付けられた」とか、「日本の意志が入っていない」とよく言われる。しかし、「家制度」が尊重される一方で、男女平等もなかった日本の「常識」を がらりと変えた憲法24条があることを多くの人は知らない。
また、占領解放後の1952年10月1日に実施された衆議院議員総選挙で、「公職追放」組(参考:第一次戦犯指名)は、日本を反共の砦にしたい米国の思惑もあり、念願の政界復帰を果たした。日本が戦争をできないようにするためのGHQの政策に対して、戦争責任で公職追放された人々は戦後の憲法を否定した。そして戦後の政治は、「改憲をめぐる攻防から始まった」のである。今も、憲法改正論議は公職追放の岸信介の孫である自民党安倍首相の陣頭指揮で続いている。
参考:「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(1993.2.5 放送)(動画)
第四次吉田茂内閣 1952.10.30-1953.5.21
先人たちの底力 知恵泉 「白洲次郎」 前編,後編 (動画)
平和条約以後の沖縄と日本外交
7.「対米従属」と「憲法改正」の矛盾
『1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効したが、その日の夜、吉田茂は「対米協調(というか追従)」を軸とし、アメリカの軍事力で守ってもらいつつ経済発展する道を選び、単独で「日米安全保障条約(安保条約)」に調印した。・・・日本がアメリカから独立したことで力を失った吉田と、逆に公職追放解除で力を得た鳩山・岸。時代は確実に動き始めた。そしてついに、翌1954年12月、自由党の吉田首相は辞任し、日本民主党の鳩山一郎首相が誕生した。・・・そして1955年10月、「日本社会党」が誕生、・・・1955年11月、今度は自由党と日本民主党が合流して、「自由民主党(自民党)」が誕生した。保守合同によりねじれと矛盾が混合して、国民が求めていない「憲法の自主的改正」を「党の使命」とする自由民主党が誕生し、自民党と社会党の55年体制が出来上がる。』(色めき立つ社会党と自由民主党の誕生)より部分引用
ここに、「対米従属」と「憲法改正」の矛盾をはらんだ自民党政治が誕生し、現在、安倍首相は憲法改正を政治家の使命としている。憲法は権力が国民を支配することを禁止するためにあるのに、その禁じ手を首相自ら破ろうとしている。憲法は民主主義を守る「自立した個人」が育たない国内問題もあるが、それよりも多様な価値観を持つ世界の人々の生き方を束ねる国際的な土台(動画)である。人間の集団が狂暴になるのは戦争中だけではない。ドイツ敗戦後にヒトラーへの復讐心に燃えた集団の狂気の異常を、アフター・ヒトラー 前編,後編は教えてくれる。
第2次大戦で米国は日本に原爆を2発も落とした。戦後は日本の武装解除を目指したが、今は再軍備させて米国のために自衛隊を戦に参加させようとし、北朝鮮に対しては核武装解除を強く求めている。使えない核武装に拘る北朝鮮も時代錯誤だが、核兵器の小型化に熱心な一方で、核兵器禁止条約には反対し、日本にも反対させる米国もガキ大将そのものだ。しかも子供ではない。米国は産軍複合体が防衛戦略で儲けている国だ。戦争を放棄した日本の主体性を強く主張しないで、没落の傾向が見え始めた「米国」と共に戦うために、世界の平和を守る憲法9条をなし崩しで無効にしようとする愚かな日本の政治であることよ!政治にとって、戦争放棄は必須条件だ!
参考:『映画 日本国憲法』予告編(動画)
サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日は「沖縄屈辱の日」でもある。独立の気概を持たず、国民を犠牲にし続けるこの異常事態を、メディアは報道しない。「国民の為に働くという国やメディアのタガが緩めば、愛国心という道徳の美名(動画)の下に国家優先主義が頭を持ち上げ、気が付けば国民の自由が奪われている。」
参考:「愛国と教育」は何を目指すのか?(動画)
8.自民党の新綱領と新しい憲法の制定
自民党の改憲案の前文には、『国民統合の象徴である天皇を戴く国家である』ことをわざわざ明記し、第一章 天皇の第一条には『天皇は日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存在する日本国民の総意に基づく』とある。これは日本国の伝統である家族制度を、国にまで拡張して、国の家長を天皇とした解釈であろうが、憲法の第一条に「天皇は日本国の元首」であると明示しながら、『その地位は国民の総意に基づく』とした矛盾はどう説明するのか!元首は地位ではないとしたら、何を示すのか!
この点について現憲法と比較してみよう。現憲法の前文では、『「諸国民との協和」による成果とわが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する』とある。第一章 天皇については、『第一条 天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存在する日本国民の総意に基く』とある。天皇は象徴であり、その地位は国民の総意に基づくのだから矛盾はない。しかも現憲法の第2章 戦争の放棄は、自民党案では第2章 安全保障に変えられ、第9条の2に国防軍が追加されている。一方で国民の自由を道徳で規制し、もう一方で戦争を準備する。これが時代に逆行した自民党の常識であろうが、彼らはその古い常識を誇りにしているようだ。その一方で、「自立した個人」が育たない日本にあって、現天皇・皇后は「象徴天皇」を見事に根付かせていただいた。
参考:日本国憲法誕生 全編(動画)
日本国憲法の草案はメイドインジャパン(動画)
「憲法と日本人~1949-64 知られざる攻防~(動画)
Japanデビュー:2回天皇と憲法~憲法の日本の120年(動画)
NHKスペシャル「憲法70年 平和国家はこうして生まれた」(動画)
「憲法を考える」① ~ 民衆が作った「五日市憲法」とは?(動画)
政府が明治維新150年を祝う式典 天皇陛下は出席せず
初稿2018.11.4 更新 2019.3.13 更新(ブログ目次削除)
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