年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

阪谷朗廬 素

2021年11月01日 | 宅老のグチ
渋沢栄一のドラマで阪谷朗廬が出て、ようやく渋沢栄一が彼との出会いで出世のきっかけとなったことを知る。谷中墓地の散策で、石川和介(関藤藤陰)の墓を探したが位置的には阪谷朗廬の墓に近い所にあるのだが見つからない。ただ空き地がある。関藤藤陰の墓誌は阪谷素の名前で書いてあるという評伝があった。
四方の波 小説関藤藤陰伝 栗谷川虹著 平成20年
『敗れざる幕末(小説:福山藩儒者・関藤藤陰) 見延典子 著 平成24年

この件で墓地を研究している人にメ―ルしたら、何年か前に集合され、碑だけが残るという。やはり今では無名の人になってしまったようだ。頼山陽とその家族を死後まで支え、老中阿部正弘の手足となって活躍し、蝦夷地にいたとき阿部が死去したため、幕末の歴史文献から消えた。水戸と幕府の関係修復の手足となったのは石川和介で、この人を介在して開国指向のあった浦賀奉行与力の中島三郎助と攘夷指向の水戸藩を謹慎解除した。中島は水戸藩に塩の輸送で水戸藩御用の印を認めさせ、また水戸藩では浦賀の人たちの造船技術を導入し、石川島で洋式造船所を拡大した。これがの今のIHIの始まりとなる。IHIの社史的にはこのようになるのだが実際は築地で活版印刷をしていた平野富治(平野 富二 )がさびれていた隅田川河口の工場を復活させた。平野はまた八丈島に流罪となり、赦免漏れとなった近藤富蔵を助けた。近藤の著書八丈実記には大恩人と書かれている。


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