年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

本屋のトドメ

2019年03月11日 | 宅老のグチ

明治期に福神漬命名者の梅亭金鵞のことを調べているが当時の出版事業が江戸から明治に移って、木版印刷から活版印刷に変化し、さらに手作りの和紙から洋紙というものに切り替わる大変革の時代であったことを知る。江戸期の本屋は明治の半ばごろに消え、今でも残っている本屋は教科書販売で信用を作った業者が残っているようだ。

 今デジタル化とアマゾンの力でこの教科書と言う本の最後の聖地が侵されつつある。多くの本の取次ぎ業者が消え、本屋の無い都市も増えてきたようだ。居間で国会図書館のデジタル本を読めるので、わざわざ待たされる必要が無い。ただまじめに研究している人たちの中にいるとまだがんばろうという気持ちが出る。

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明治の夕暮れ

2019年03月08日 | 宅老のグチ

昭和もあと少しで小昔となる。今日デストロイヤ-さんが死去したという。プロレスラ-でショ-マンシップで日本に愛された。昭和30年代初めはまだ白黒テレビで今のJR当時は国鉄といっていた時代駅前の広場に街頭テレビが設置され帰宅の途中に大勢の人たちが金曜日の夜にプロレス中継を見ていた。テレビ放送始まる前はラジオの前に集合してドラマを一家で聞いていた時代があった。君の名はと言うラジオドラマは放送時間になると女湯の銭湯ががら空きと言う逸話もあった。

 明治期にも新聞も無く、木版印刷の時代は本も少なく、女性の識字率も少なく、一家の識字者が八犬伝等を読み聞かせていた時代があったという。明治20年代までは読書というのは音読の時代で今のように黙読となったのは活版印刷の普及で本や新聞が大量に出版できるようになったからであるという。

 今は電車の中で本を読んでいる人は稀となったがスマホが普及する前は電車内で本を読む人が多かった。ほんの少しのことの変化で風景が変わる時代が今かもしれない。今後の十年の変化も過去より早いだろうが対応できない人が苦しい時代だろう。

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明治10年代の宣伝

2019年03月07日 | 宅老のグチ

明治の初めに西洋から珍しいものが大量に日本に入ってきた。蒸気機関車はその頂点だろう。ただ食品は従来のなじみに合わず、牛肉、牛乳などはごく先端を走る人たちによって消費されていたに過ぎない。政府の指導で西洋人との体格差を解消する目的であった。この考えは戦後も続いていて学校給食でご飯給食に牛乳が添付されるところが多いようだ。適当で安価なカルシウム摂取は今のところ牛乳しかないからである。どんな和食レストランで酒は出てもご飯に牛乳が出るところは見かけない。大人はカルシウムを摂取する必要性がない。

 なじみの無い食品は栄養とか薬用効果を謳っていて、明治十年代の広告を読むと面白い。

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検索のマジック

2019年03月05日 | 宅老のグチ

どこからの検索でたどり着いたのか今(書物学)と言う雑誌みたいな本を読んでいる。この中の文で明治10年代の広告を先導した守田宝丹と岸田吟香の話が出てくる。汐留の電通本社の地下には広告の歴史を展示していたが改装で明治初期の広告の展示物が大幅に縮小された。

 薬の宝丹がなぜ雑誌を出していたかがこの書物学という本で知った。明治の初めから20年代まで書物の流通が混乱していた。そこで薬のついでに出版物を宣伝していたようだ。

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まだまだ見に行く行くところが増えた

2019年03月02日 | 宅老のグチ

千の技術展でミズノプリントミュ-ジアムのところに行きたいと思った。中央区にいたときはいつでも自転車でいけると思っていたが中央区から離れると口実が無いと行けないところとなった。中央区は印刷業界の施設が多く、これは旧幕臣が起業した印刷関連企業が中央区周辺に集まった事情からきている。王子製紙が銀座のど真中にあるのも営業基点で必要だったかもしれない。

 福神漬と印刷の関連は宣伝の必要性を酒悦主人が考えていたからである。

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