年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

震災ウツの人を知っているので

2021年03月09日 | 宅老のグチ
3.11の週はTV等の報道で連れウツとなる。あの日は午前中に保険会社と損金として経費扱いされるガン保険の商談中だった。午後からの震災で、その日から5月の連休明けまで約二か月無休で商品の手配のアシストや計画停電対応などに追われた。あとでわかったがスーパ-の棚は漬物以外の食品が欠品が目立った。高齢者以外は災害でも買いだめの対象とはなっていないことを実感した。震災に関連する荷主と気仙沼とか石巻の市場に3月中に義援金として送金した。3月決算なので一応交際費扱いでも良いではないかと判断だった。この期は2月に仮決算をしていて、期末賞与の話も出ていたが、様子見という事で賞与は消えた記憶がある。損金で処理できるガン保険(翌年から通達で全額損金とはならなくなった)の決断も大変だった。原発の水素爆発で東京も汚染となりそうな雰囲気だったが築地市場内の放射能講習会の専門家の講義を聞いて安心感が出て、これから放射能は増えないと決断した。
 2021年の2月の大きな余震の後、腸閉塞となったが、医者の言う事は腸閉塞は精神的なものでは起きないと言われたがあの日の下痢の前はTVを点けて、3.11の思い出にひたっていた。。多くの知り合いの人の家族が津波の犠牲者となった。特に老人を助けに行き、自分が流され死去した人の話を聞くと堪えられない。まだ10年では過去とはなりえない。まだ神戸の記憶も残っている。10年経ったがあの時の判断は間違っていたか解らないが仕事を通じて不安を取り除こうとしていた記憶がある。原発は今でも何とかなったのではないかと思う。
 10年に一度の災害に加えてコロナと言うものが記憶に残すものとなった。まだ戦争が加わっていないがそろそろ想定していた方が良い気がする。江戸幕府がペリ-の来航で武器の差と無風でも動く船によって開国に追い込まれたが、戦後の平和ボケで戦争続きの国々の兵器と戦術の進歩は日本の平和主義者の想定を超える。
TVゲームのような操作で、人殺しが遠隔地で行われる。無人の特攻では加害者の心は痛まないし自己の死の危険もない。原爆投下したB29の乗組員は任務を果たしたと思っていたようだ。そんな時代の護憲を唱えるだけで永遠に戦争が起きないとは思えない。もし攻め込まれたら、仮定の話は答えられないとか想定外と言うのだろうか。
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