年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

野田農工学校の資料を求めて

2020年01月11日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
千葉県野田市は醤油の町である。商店街は昔のようではないが中心のところに文化施設がある。その中に図書館がある。平日のほぼ無人に近いところで千葉県立清水高等学校60年史を出してもらう。かなりの卒業生の戦中の記録があった。
 多くは戦争に派遣されなかった人たちの記録でそれでも当時の野田市周辺の事情が分かる。農業系の生徒は北海道に耕作に行き、工業系の生徒はキッコ-マンの工場で労働したようだ。戦後学校は千葉県立清水高等学校となり、農業系の学科は昭和39年頃に消えた。今は食品化学の学科が残るが後は工業系の学校である。
叔父が卒業した時期はモノ不足で埼玉師範学校でも農業を教えていて、学校教師を目指していたののだろうか。
 東武野田線の江戸川に架かる橋を描いた絵を川辺小学校に残して特攻に行ったという言い伝えがある。この絵の意味は歩いて農工学校まで行ったということとかも知れない。学校行事で野田市から二重橋を見るため歩いて行った記録がある。帰りは電車のだった。埼玉師範学校も浦和から二重橋で皇居遙拝後歩いて戻ったという行事があった。
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